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あなたが、好き。


〜11〜


 パンプスのヒールが床を踏む音が近付いて来た。稜はちらりとそれを見やり、サッとテーブルの上の空の皿に手を伸ばす。片付けている風を装っていると、片野が化粧室から戻って来た。
「なんだか凄く混んでて……先輩、お待たせしちゃいましたね」
 席に座ると、彼女はバッグを隣の椅子に置き、ウエイターの仕事に目をやる。
「やっぱり混んでたの? 気分悪いのかと思って、もう少し経っても戻って来なかったら、様子見に行こうかと思ってたのよ」
 真樹は自分のおしぼりで先ほど描いた相合傘を消しながら、片野を迎えた。
 稜は黙々とテーブルの上を片付けている。空いた皿を重ねて盆の上に乗せ、破られたおしぼりのビニール袋をその上に乗せた。
「ごゆっくりどうぞ」
 すっかり中身の薄くなったジョッキだけを残して、小さく頭を垂れた。はずみで癖の無い長い前髪がサラリと顔を撫でる。
 片野がそれを見上げた。
「あ……」
 小さな声が上がる。
「どうかされましたか?」
 稜がそれに応えた。
「いえ……何でもないんです。ごめんなさい」
 片野は恐縮したように俯くと、肩をすぼめて謝った。
 稜は何か言いたそうに少しだけ逡巡すると、ちらりと真樹に視線を向ける。すぐにそれを片野に戻し、彼女がそれ以上何も言う気配が無いのを見てとると、首を伸ばすようにして小さく頷いた。
「では、ごゆっくり」
 少し鼻にかかった声でそう言うと、稜は盆を片手に持って奥へと戻って行った。
 その姿が店と厨房を分ける暖簾(のれん)の向こうに消えるまで見送ると、片野はようやく肩から力を抜く。
「まさか、ですよね」
 そう呟いて、いつまでも稜の消えた辺りを眺めている。真樹はそれを不思議そうに見ていた。
「どうしたの? 何か変よ?」
 真樹は、片野の顔と稜の消えた出入り口とを交互に見比べた。
「ええ……」
 片野はいつになく歯切れが悪い。
「あの人……モデルの『稜』にそっくりだな、って思って……」
 視線は戻さないまま、片野は言った。それはまるで、もう一度出て来てくれるのを待っているかのようだ。もちろん、厨房の仕事が主である彼が片野の期待に応えることはなかったのだが。
 真樹は片野の口から出た名前に、どきりとした。片野はあまりそういった世界の話題を口にしない。そんな彼女でさえも知っているなんて……。
 改めて稜の人気を思い知ったような気がした。
「良く似た人なんじゃない? 彼、今時の子って感じだったし」
 真樹は、努めて興味なさそうに言った。そうすることで、彼女の記憶から『稜』を消してあげたいと思った。
『相手の子が欲しいのはオンの時の俺なわけよ。『稜』は欲しいけど『神鳥稜』は要らない』
 それは『神鳥稜』のために。彼が、少しでも普通にしていられるように。
「そうですね。あの『稜』がこんなところに居るなんて、そんな偶然……あるわけないですもんね」
 厨房の出入口から視線を剥がし、真樹に向かって微笑むと、片野はチューハイのジョッキを手にした。
「わ、薄ーい」
 一口飲んで眉をしかめ、片野は嫌そうに声をあげる。そうして小さな声で笑った。
「先輩、今日は本当に有難うございました。私、頑張れそうな気がします」
 そう言った片野はとても可愛らしくて、真樹もつられて思わず笑顔になる。
「そう、それは良かったわ。私なんかでもお役に立てて。福浦君には、ちゃんと返事するのよ」
「はい。先輩、また一緒に飲みに行きましょうね」
「そうね、また今度」
 真樹は唇の端を引き上げて、綺麗に笑った。


 今度、などという日が、本当に来るのか分からない。「また今度」と安易に交わされる口約束の内、守られるのはほんの一割にも満たないだろう。
 店を出て駅へと向かう道すがら、真樹は別れ際の片野の笑顔を思い出して唇の端を歪めた。
 今度誘われたら、自分は多分断るのだろう。何やかやと理由をつけて。
『お褥辞退』。
 心の隅にずっと引っかかっている、課長の言葉。世間一般の見方でいけば、真樹はいつまでも結婚もしないでフラフラしている、みっともない女なのだろう。
 片野達と一緒にいれば、嫌でも自分の歳を感じてしまう。だんだんそういった場が、苦手になってしまっていた。
――お酒にも弱くなったみたいだし――
 店から歩いて来たせいで血の巡りが良くなったからか、アルコールが体内を駆け巡っているように思える。心臓の鼓動が速くなったのは、歩いたせいばかりではないだろう。
 昔はこんなんじゃなかったのに……と思えば、ますます若い子達との飲み会に出る気力も萎えてくる。
――ほんと、昔はこんなんじゃなかったのにね――
 とりあえずは前向きだったはずだ。心の奥底に何があったとしても、いつまでも思い出してウジウジしているような性格ではなかったはず。歳を重ねるというのは、こういうことなのだろうか。必死に護っていたなけなしの自信でさえ、薄皮を一枚一枚剥ぐように、徐々に真樹の手元から消えていってしまうようだ。
 バッグが振動を始めた。そういえば店から出た後も、携帯のマナーモードを解除していなかった事に気付いた。カバーを開けて、発信者を確認する。
 『柴山瑠実』。
 この間電話して、フラれた女友達だ。真樹は歩きながら携帯を開き、通話ボタンを押した。
「はーい?」
『元気だったー?』
 真樹がアルコールの勢いで陽気に応えると、間髪を入れず、スピーカーから勢いのある声が聞こえて来た。
「元気だったわよ。瑠実は?」
『元気に決まってるよー』
 相変わらず、瑠実は明るい。この明るさに何度救われたことか。彼女と話している間だけは、真樹が抱えている息苦しさが軽くなるように思える。
『あのさー、こないだの埋め合わせしようと思って、さっきからずーっと電話かけてたんだけどね。うーん、もうこんな時間になっちゃったか』
「え? 電話かけてくれてたの?」
 真樹は思わず着信履歴を確認しようとして、通話中はそれができないことに思い当たる。
「ごめーん。さっきまで会社の子と飲んでたから、マナーモードにしてあったんだ」
『多分、そんな事だろうと思った。楽しくやってるんじゃない、若い子達と』
 既に同期が皆退職して行ったことは、話してあった。会社の子と言えば若い子しかいないのだということも、瑠実は知っているのである。
「そんなんじゃないのよ。相談事を持ちかけられて……それでね、ちょっと」
 そんなつもりは無かったが、真樹は自分でも知らない内にため息をついていた。
『あ、そうだったの? そうかー、あたし達ぐらいの歳になると、そんなんばっかだよね』
 瑠実が電話の向こうで笑った。
「そうなのよ。自分の事もちゃんとできないのに、人の相談に乗ってる時はいい大人ぶっちゃって。こんな自分がつくづく情けないわ」
 真樹は空を見上げた。今日の空は晴れているのか、星が綺麗に瞬いて見える。車のヘッドライトばかりが洪水のように溢れる道路に、真樹のパンプスの音がやけに響いた。人込みの中で自分だけが一人なのだと感じてしまうことがあるように、たくさんの車が通りを行き交っていても、真樹はここでは一人ぼっちだった。
 携帯から聞こえる瑠実の声だけが、寂しさに崩れてしまいそうな真樹の心を、かろうじて繋いでいてくれる。
『あたしもそうだよ。でもさ、世間から見ればあたし達、いい大人なんだよねえ。結婚して子供でもいれば、無理やり大人らしくできるかも知れないけどさ……あーあ、お互いにこの歳で独身って、辛いよね』
「何言ってるのよ。この間の彼、まだ続いてるんでしょ?」
『続いてるけど……なんか出口が見えない感じでさー』
 間延びした瑠実の声が、投げやりに聞こえる。
「入口すら見えない私よりもいいじゃない。もしかして、それで今日誘ってくれようとした?」
 真樹は努めて明るく言った。
『うーん、そればっかりじゃないんだけどね。ここんとこ真樹に会ってなかったからさ。また今度、ちゃんと飲もうよ。んー、……ちゃんと飲む、って言うのも変だけど』
「ははっ、ほんと、ヘン」
 瑠実の言葉に、真樹は笑った。
『じゃあ、そういう事で。また連絡するわ』
「うん、じゃあね」
 終話ボタンを押して、通話を切った。間近から聞こえる音に慣れた耳の奥が、ジーンと鳴っている。笑みの貼り付いた頬が、妙に強張っているように感じた。
 歩道には、街灯の灯りが落ちている。道標のように点々と連なるそれは、人の行く先を教えてくれているようだ。
――私は人の道標になれるような生き方をして来たんだろうか――
 相談を持ちかけられることは有っても、自分のことは何一つ満足にできずに、ただ足掻いているだけだ。それでも周りからは、仕事もできて人生経験も豊富と見られ、頼られる。
 がっかりさせたくなくて、皆が思う自分の姿を、無理やり自分に当てはめている。本当はそんなに強いわけでもないのに。
 先輩風を吹かせているわけではないが、後輩から頼られれば、それなりに応えてあげたいと思う。
――結局は、イイ子を演じているだけなのよね――
 『こうあるべき』『そうであるべき』姿に、自分を当てはめているだけ。書けば必ず賞をとっていた、子供の頃の感想文と同じだ。相手の求める自分という人間を、自分でも知らない内に演じているだけなのだ。
 良い先輩を求められればそれを演じ、良い社員を求められれば、やはりそれを演じる。酔いが回って来たのか、考えれば考えるほど、気分は落ち込んで行きそうだった。
「悪い酒だわ。脱、ネガティブ!」
 携帯を持ったまま、何度か軽く頬を叩いて自分に喝を入れる。暗い空を仰げば、やっぱり綺麗に星が瞬いていた。


 携帯をしまおうと、バッグを開ける。すると手の中のそれがまた、振動を始めた。
 なんだか胸がドキドキいっている。いつもより多めとは言っても、そんなに飲んでいないはず。それなのに、今日はやっぱり酔ってしまったようだ。
「今日は遅くからよく電話がかかるわね」
 独り言を呟きながら、真樹は発信者を確かめるのも面倒くさく感じて、いきなり通話ボタンを押した。
「はいー?」
 ちょっとだけ間延びした声は、少し気だるそうに聞こえたかも知れない。それでもこの時間に掛けてくる相手は、プライベートな付き合いの人ばかりだろう。
 オンではなくオフの自分だから、こんな声でも構わないだろうと、真樹は思った。
『真樹さん? 今、どこ?』
 聞こえてきたのは、鼻にかかった甘い声。――稜だ。
「今、帰るとこよ」
『だから、どこ? 駅に向かってるの?』
「う……ん、そうね、駅に向かってる」
 歩けば歩く程、酔いが回ってくるようだ。少しだけ休憩しようと、真樹は歩道の脇の縁石に腰を下ろした。
『まだ電車に乗ってないんだね? 良かった。真樹さんの伝票打ったヤツに訊いたら、結構飲んでたみたいだから心配になっちゃって……』
「大丈夫よー。あれぐらい、何てことないし」
 空いている方の手をひらひら振って、真樹は笑った。
『俺、すぐに追いつくから』
 電話の向こうの稜は歩いているのか、息が少し上がっている。
「バイトある時は、店長に送ってもらうんじゃなかったの? えと……店長じゃなくて、奥さんだったっけ?」
 確か、家まで送って行った時に、そう聞いた記憶がある。普段は自転車通学だが、バイトの時は誰かに送ってもらうのだと。
『今日は早上がりさせてもらったから、奥さんの帰る時間と違っちゃったんだ』
「……どうしてそんな?」
 訊ねた真樹に、誰かの足音が近付いて来る。
「真樹さんが心配になったから」
 頭上から降ってくる、声。驚いて見上げれば、そこには携帯を耳に当てたままの稜がいた。
「大丈夫じゃ、ないじゃん」
 携帯のスピーカーからの声と、直に聞こえる声が重なる。真樹は携帯を耳から外し、カバーを閉じた。
 稜の手が差し延べられる。導かれるまま、真樹は何も考えずにその手を取った。力が込められ、体が引き上げられる。立ちくらみなのか、スッと気が遠くなったような感じがして、真樹は少しよろけた。
「おっと」
 稜がそれを支える。思ったよりも強い力で腰を支えられ、抱き留められるような格好になった。
「ありがと……」
 稜の手が回された腰の辺りが、なんだかムズムズする。意識するつもりはないのだが、その手から逃れようと、自然と体が弓なりに反ってしまう。そうすれば却って、彼に触れてしまいそうになった。
 稜の体がすぐ近くにある。彼は学校の制服を着ていた。ボタンを外したブレザーの前が開き、中のワイシャツが直に真樹の頬に当たってしまいそうだ。
 体温が伝わってきそうなほどの距離。心臓がうるさいくらいにドキドキ鳴っているのは、きっとさっき飲んだアルコールのせいだ。
「電車で良かったよね? 真樹さん家は駅に近いから……」
 まだ手を掴んだまま、稜が覗き込むようにして訊ねる。真樹の目の前で、稜のツンツンとした前髪が揺れていた。
「う……ん」
 思わず目を逸らす。髪の向こうに見えた稜の顔は、今日もとても綺麗だ。女の子達が騒ぐのも、無理はないと思う。
「あなた、帰るならバスを使うんじゃなかったの? 遠回りになるでしょ」
 目を逸らしたまま、精一杯、大人の分別をもって真樹は言った。
――大丈夫、口調はちゃんとしてるわ――
 さっきまでの気だるそうな話し方ではない。これなら稜の前でもちゃんとした大人に見えるだろう。
――ちゃんとした大人……ね――
 つい今しがた瑠実と、そんなの情けないよね、なんて話していたのに。
「真樹さん、なんか具合悪そうだし。送ってくよ」
 逸らした瞳を追いかけるように、体をずらしてまた覗き込まれる。心配げな稜の瞳が、真樹のそれを捉えた。引き込まれてしまいそうになる自分を感じて、真樹は眉根を寄せた。
 何をやっているんだろう、自分は。こんな、子供相手に。
 捕まれたままの手に視線を落とす。縋るように稜の手を握ったままの自分の指が、情けなく思えた。
「手……」
 それ以上、体が触れるのを拒むように、真樹は指を開いた。
「え?」
「手、離して」
「あ、ごめ……」
 気付いた稜が、慌てて指を開く。繋いでいた手がほどかれた。
「心配してくれてありがと。でも大丈夫よ」
 自分にできる、精一杯の綺麗な笑顔を作った。背筋を伸ばし、パンプスのヒールをしっかりと踏ん張って。
 稜はまだ心配そうにこちらを見ている。真樹は、つい、と視線を逸らした。
「じゃあ、そうね……」
 逸らした瞳を、まだここからは見えない駅の方角に向けた。
「駅までは送って?」
 分からないように息を整えると、再び稜を見た。
「あなたの乗るバス、駅から出るんでしょう?」
「うん、そうだけど」
 稜は納得が行かない様子だ。真樹は構わず、歩き出す。
「置いてっちゃうわよー」
 バッグを掛け直すふりをして肩越しに窺うと、しぶしぶ稜が歩き出す気配が背中に届いた。
 通りはヘッドライトの洪水だ。週末の金曜日だから、遅くまで遊んでいたところで仕事に差し支えることもないのだろう。
 花火のようにキラキラと定まらない光源の中を、真樹と稜は並んで歩いていた。二人ともなぜだか無口になってしまって、ただ歩く。
 真樹は足元がフラフラしないよう、自分に喝を入れていた。高校生に心配される社会人というのも情けない。アルコールはさっきよりも随分回ってきたらしく、顔が熱い。明るい所で見れば、真っ赤になっているのだろう。
 駅舎が見えてくる。その前にあるのは、バスターミナルだ。もう少しで辿り着く。
「送ってくれて、ありがとね。じゃあここで」
 別れ際、もう一度真樹は、綺麗な笑顔を作った。モデルをやっていたという稜には及ばないかも知れないけれど、いつも鏡を見て練習している、極上の笑顔だ。こうやって余裕を見せて笑えば、少しは大人のメンツが保たれるだろう。
「ホントに大丈夫?」
 稜がまた心配そうに真樹の顔を覗き込んだ。
「大丈夫。ほら」
 わざとふざけて、片足を上げて見せる。稜が慌てて手を差し延べようとするが、真樹は小さく首を横に振った。
「ね?」
 うまくバランスをとって片足立ちをして見せると、真樹は眉根を上げて悪戯っぽく笑った。
「じゃあね」
 両足を揃えてから、くるりと踵を返し、一歩踏み出す。パンプスのヒールが、カツンと固い音を立てた。
「また電話するから!」
 背中に稜の声が追いすがった。背中を向けたままそれに片手を振って応えると、真樹は改札を抜けた。


 稜と別れた途端、耐えていた酔いが一気に真樹を襲った。ホームに出るために階段を上ると、心臓が早鐘のように鼓動を刻む。少し気持ち悪くなって、階段の途中で手すりに背中を預けた。
「あーあ、何やってんだろ、私」
 飲みすぎた自覚はないが、それでもこんなに酔いが回るということは、やはりそれだけ飲んだということだ。稜が心配する程だから、自分でも気付かない内に結構飲んだのだろう。
「何ヤッテルンデスカ、真樹サンハ」
 わざと片言っぽく抑揚をずらし、自分に向けて問いかける。そのまま顎を上げて目を瞑れば、何故だか世界に一人ぼっちになったような気がした。
 カン、カン……と、階段を上がってくる足音が聞こえた。こんな自分の傍を、人は通り過ぎて行く。あまりにもたくさんの人がそうやって通り過ぎて行った中で、寂しいと叫べば良いのか、寂しくないと強がれば良いのか、真樹にはもう分からなくなってしまっていた。
 足音が真樹の前で止まる。こんな時間にこんな所で女が酔っ払って何をやっているんだ、と文句でも言いたいのか。
 真樹は薄目を開けた。
「やっぱり具合悪いんじゃない」
 腰に手をあて、呆れたような様子で覗き込む稜が、そこに居た。
「強がって『大丈夫』なんて言ってるけど、ホントは相当辛いんじゃないの? はい、これ持って」
 稜が自分のデイパックを真樹に差し出す。訳もわからないままそれを受け取って自分のバッグに重ねて持つと、今度は反対側の手を引かれた。後から脇にもう一方の手を差し込まれ、真樹はビクリと体を固くする。それが自分を支えてくれようとしているからなのだと気付き、ようやく詰めていた息を吐いた。
「大丈夫よ……」
 強がったつもりの声が思いのほか弱々しく響いて、真樹は続ける言葉を失った。
「真樹さんが何言っても、送ってく。こんなフラフラしたまま帰ったら、ヘンな男にどっかに連れ込まれてヤられちゃうよ?」
 茶化しながら、稜が一歩、階段を上がる。真樹の体もつられて引き上げられた。
「何言ってんの。あなたこそ、その後どうやって帰るのよ。私飲んでるから、送れないわよ?」
 自分の体を支える稜を見上げた。真樹の家は駅の近くとは言っても、バスの路線からは少し離れている。時間も遅いから、運行本数も減っているだろう。
「真樹さんを家まで送ったら、タクシーでも何でも捕まえて帰るさ」
 決して軽くはない真樹の体を容易く引き上げながら、稜は小さく笑った。