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ドリー夢 きよしこの夜


〜始まり〜


「待って、待って! その電車、待ってーっ!」
 は剣道の防具一式を背負ってホームを走っていた。肩より長いストレートの髪が歩調に合わせてはねている。叫んでも電車は待ってくれないってわかってるけど、このシチュエーションでは叫ばずにいられない。
 ダダッと駆け込むと同時に
『プシュ……』
 ドアが小さな音をたてて閉まる。ぎりぎりセーフ。
 肩で息をしながらあたりを見ると、みんながこっちを見ている。
「ははは……」
 照れ笑いをしながら何ともバツの悪い思いで下を向いた。
 ああ、あと五分早く起きればよかった……。
「おはよう。さん」
 頭の上から声が降ってきた。
 前を見ると黒い学生服。ずずーっとその上に視線を移すと……。
「ありゃ。くん」
 頭二つ分高いところにの顔が有った。


 は県立高校の二年生。とは同じクラスだけど、あまり言葉を交わした事はない。電車通学をしている事も知らなかった。
「あれ? 部活は? 朝練ないの?」
 確かくんは弓道部だったハズ。あんまり話した事がないのになぜ知ってるか。弓道部は、我が剣道部と部室が隣同士なのだ。
「今日は試合後の骨休め」
 そう言うと、はクスクスと笑い出した。
「え? 何?」
 が怪訝そうに見上げると、はそっと耳打ちした。
「スカート。見てごらん」
 驚いてスカートに目をやると、裾が電車のドアにはさまれている。
「……!」
 引っ張っても抜けない。仕方がないので防具で隠した。
「隠してもダメだと思うよ。僕たちの降りる駅、向こうのドアが開くだろ」
 そうだよ。降りる駅は二つ目。次の駅で開くのは……。
「やだ。こっちのドア開かないよぉ」
 は泣きたい気分だった。
「取ってあげようか」
 そう言うと、の後ろにまわった。スカートの裾を持って引っ張る。はさまれている部分は少しだけなのに、なかなか取れない。
「ちょっと力入れるよ」
「うん。お願い。少しくらい破れちゃってもいいから」
 そう言うと、は手を合わせてお願いのポーズをした。
「じゃ、遠慮な……くっ!」
『ビリィッ!』
 周りの視線がいっせいに二人に集まった。


 駅から学校に向かう道。
 スカートの破れを隠す為にの斜め少し後ろを歩きながら、はすまなさそうに言った。
「ごめん。ハデに破れちゃったな」
「イイって。こっちこそゴメンね。気ぃ使わせちゃってさ」
 はそう言って、顔の横で手をヒラヒラさせた。
「あのままだったら学校遅刻するトコだったんだよ。助けてもらって感謝してるんだから」
「でもどうするのさ、そのスカート。そのまま授業はヤバイよね」
「ジャージでもはいておくわ。今日一日ぐらい許されるでしょ」
「帰りは?」
「しまった。帰りの事まで考えてなかった」
 は少し考えていたが、ややあってこう切り出した。
「僕がさん家まで送るよ」
「えー。悪いよぉ」
 はびっくりして声が裏返ってしまった。
「だって僕の責任だから。僕がそうしたいんだ。な?」
 斜め後ろから顔をのぞきこまれて、はちょっとあせった。
 間近にの顔がある。
 ふーん。今まで気にしてなかったけど、結構キレイな顔してるんだ。そういえば、隣のクラスの中西さんがくんの事好きだって噂が有ったな。
「あ……ありがと。じゃ、アテにしてるよ」


 校門が見える。登校する生徒たちが増えてきた。
っ! おはよっ!」
 校門の反対側から歩いてきたショートカットの女子生徒が声をかけた。
「あ。おはよ」
 も手を振って答えた。
「あれー? くんと一緒なの?」
 と呼ばれた女子生徒は、傍にピッタリくっついているに眼をむけて言った。
「僕が力入れすぎて、スカート破っちゃってさ……」
「ええええーっ!?」
 の説明を最後まで聞かずに、は大きな声をあげた。
「しぃーっ! しぃーっ!!」
 二人に口を押さえられて、は眼を白黒させた。
「はぁっ、苦し……。ちょっとアンタたち、朝っぱらから何やってんのよっ」
 押さえられた手を払うと、声をひそめてでも強い口調で言った。
、アンタ……なんかイケナイ想像したでしょ」
 がしれっとした眼でを眺める。
「え? 違うの? だってスカート破ったって、そういうコトしてたんじゃないの?」
「ばぁーか」


さんって、おもしろい事言うんだね」
 傍でがクスクスと笑い出した。
「僕はどう思われてもいいけどさ。さんが誤解を解きたいなら、ちゃんと説明しておいてよ。じゃ僕、顧問の先生のトコに用事あるから」
 そう言っては職員室の方に走っていった。
「ちょっと! どういう事?」
 に詰め寄られて、今朝の出来事を最初から説明するハメになっただった。


「ふぁーあぁっ」
 は教科書の陰であくびをかみ殺した。
 おべんと後の授業はツライ。今日は部活の朝練がなかったから良かったけど、でも眠たいや……。
 憎たらしい程、今日もいい天気だねぇ。ぽかぽかとお日様が入ってきてさ。こんな所で授業受けてる気分じゃないよ。
 窓の外をぼーっと見ていたがふと視線をはずすと、窓際の席に座っているが視界に入った。
 お日様に照らされて、もともと茶色っぽい髪がキレイに透けて見える。ノートをとるために伏目がちにすると、長い睫毛が影をつくった。
 はクラスでもそんなに目立つほうではない。運動もできるし勉強だってテストの成績発表時にはより上位に名前が挙がる。だって成績が悪い方ではないので、は『とても頭がいい』部類に入るだろう。
 背も高くてキレイな顔立ちをしているのでもっと騒がれてもイイと思うのだが、の控えめな物腰がそれを押さえているようだ。
 表立って騒がれるタイプではなかったが、隠れファンはたくさんいそうだ。
「中西さんが知ったら、泣くかな」
 今日の帰りに送ってもらう約束を思い出し、はちょっと罪悪感を感じた。


「はい、。次読んで」
 英語の教科担任がを指名した。
「え?」
 ボーッとを眺めていたおかげで、どこまで授業が進んでいたかわからない。
 あわてて教科書をパラパラとめくっていると
「五十六ページ!」
 斜め後ろの席から小さな声が聞こえた……ような気がした。
、サンキュ」
 心の中で感謝して、おもむろに読み始める。
「どこ読んでんだ、
 教科担任のあきれたような声がした。
「何をボーッとしてたんだ? 彼氏でも見てたか? もういい、座れ」
 教室中が爆笑する中、視線でに救いを求める。
「ばっかねぇ。五十八ページって言ったじゃない」
 のあきれ返った声。
 ……聞き間違えたのね。
『キーン、コーン……』
 いいタイミングで、授業終わりのチャイムが鳴り響く。
 天の助け。これ以上笑われるのはまっぴらだ。


 今日はこの授業が最後。この後は各自、部活の場所に移動となる。
 教室の中がにわかに騒がしくなった。
、先行ってるねぇー。先生に部室の鍵もらってくるから」
 同じ剣道部のが、そう言って教室を出て行った。
「わかった。私もすぐ行くね」
 も机の中から引っ張り出した教科書を学生鞄に詰め込んだ。
「さよならー」
 誰に言うでもなく、そう挨拶して教室を出ようとしたその時。
さん」
 後ろから呼び止める声がした。
 振り向くと、がこっちに向かって歩いて来る。
「部活終わったら校門のところで待っててよ」
 追い抜きざまそう小声で言って、は教室を出て行った。


 剣道着に着替え、は道場に向かった。
「お願いしまーす」
 一礼して中に入る。
 先に来ていたは、すでに(たれ)(どう)をつけ終わっていた。
 この時期、三年生の先輩たちは引退してしまっている。たち二年生が主になって部活を進めているのだ。
 急いで垂と胴をつけ、肩より長い髪を後ろでひとつにまとめると、も竹刀を持って道場の中ほどに進む。体をほぐしてから、と竹刀を振り始めた。
「いーっち、にーい、さーん……」
 全身を気が巡りはじめる。気持ちいい。竹刀が風を切る音も耳に心地よかった。


 一年生や他の部員も集まったので、ひとしきり素振りをした後、面と篭手(こて)をつけて稽古を始める。
 部の中でもは大将、は副将を務める程の実力だ。たとえ稽古でも他の部員はかなわない。
 輪転(りんてん)(=相手を変えるため場所を移動すること)を繰り返すうち、の稽古となった。


「稽古、はじめっ!」
 掛け声と共に、気を(うかが)いながら激しく打ち合う。
 他は何も見えない。聞こえない。ただ相手と自分がいるだけ。雑多な日常は静かな喧騒の中、遠のいて行った。
 じりじりと間合いを計りながら、は気力を充溢(じゅういつ)する。相手の気に飲まれぬよう、自分も気を高める。
 が動こうとした、その刹那。
 先々の先(せんせんのせん)を狙って、渾身(こんしん)の一打。
『ばしぃぃぃっ!』
 竹刀が大きく(しな)って面が決まった。


、腕を上げたよね。すごかったよ、さっきの」
 礼の後、面を片付けながらは感心する。
「なんの。まだまだとの稽古は怖いですわ」
 汗を拭きながら、は笑った。
 久しぶりにいい汗かいた。今晩は良く眠れるだろうな。
 一年生が掃除をしたのを見届けて、最終的にが道場の鍵を閉める。これも部長の務め。


「お疲れ様でしたー」
「お先に失礼しまーす」
 着替え終わった他の部員が部室から出て行くと、まだ剣道着のままに目配せをした。
「じゃーん」
 学生鞄から取り出したのは……ポテチ。
「部活の後の楽しみと言えば、これでしょう」
 ぱり、ぱり、ぱり、ぱり……。
「部室で飲食禁止、って言ってもねぇ」
 ぱり、ぱり、ぱり、ぱり……。
「そうそう。育ち盛りだもんね、私たち」
 ぱり、ぱり、ぱ……?
「ぐっ!」
「どうした? ?」
「のど……つまった。水飲んでくる」
 バタバタとは給湯室の有る校舎の方に走っていった。


「がっついて食べるからだよ、
 ぱり、ぱり……。
「なんか一人で食べてるのも寂しい……。先に着替えてようかな」
 はするするっと袴の紐を解いた。
 胴着を半分脱ぎかけたところに
『コンコン』
 ノックの音。
 ったら、速攻で帰って来たじゃない。ははーん。さては私にポテチ全部食べられると思ったな。ちゃんと待っててやったのに。
「はぁーい。入っていいよぉー」
 半分脱ぎかけの格好のまま、間延びした声では答えた。
『ガラッ』
 ドアの向こうに立っていたのは……弓道着姿のだった。
さ……! うわっ……ごめんっ!」
 しどろもどろになったがどう力を入れたのか知らないが、慌てて閉めようとしたドアはハデな音をたててあっけなく外れてしまった。
 火事場の馬鹿力……とはこの事を指すのだと、は他人事のように感心した。


「あーあ、外れちゃったねぇ」
 さして慌てた様子も無く、は長めの胴着を羽織り直しただけの格好でドアに手をかけた。
さ……んっ! あの……服着てくれない……かな」
 は、なるべくの方を見ないようにして言った。
「え? どして? 見えないからいいじゃない」
 胴着の裾は膝上二十センチのミニスカート位。
「いや……その……。僕も一応、男だし……。僕が困る……かも」
 外れたドアを支えるために両手のふさがっているは、顔だけあさっての方向に向けて言った。
 そう言えばの兄も、が風呂上りにバスタオル一枚でウロウロしていると困ったような顔ですごく怒る。の表情はその時の兄の表情と似ていた。
 男の人にはそれなりのワケがあるのね。
「んー。わかった」
 は胴着の下に今朝のスカートをはいた。破れてるけど後ろ側だから見えないだろうし。


「このドアねー、外れるとなかなかはまらないんだ」
 とは反対方向からドアを支えながらは愚痴った。
「ごめん。急いで閉めようとしたら、つい……」
 すまなさそうにが言う。
「ああ、違うよ。くんを怒ってるワケじゃないって」
 そしては、ふとを見上げた。
「ところでさ、くんはなんでここに来たの? 待ち合わせ、校門でしょ? それにまだ弓道着だし」
「ああ。部活ちょっと遅くなりそうなんで、ウチの部室で待っててもらおうと思って」
「他の人いるでしょ」
「僕だけ自主トレなんだ。他のやつらはもう帰ったよ」
「ふーん」
 男子弓道部の部室か。ちょっと興味あるな。イケナイ本とか隠してあったりして……。


『ガタッ』
 外れた時と同じようにハデな音をたてて、突然ドアがはまった。
 一人で妄想にふけっていたは、反応するのが遅れバランスを失った。
「わわっ!」
 倒れそうになるのを必死でこらえていたが、は体がスローモーションのように斜めになっていくのを感じた。
 自分を支えてくれようとしているの手をわき腹あたりに感じた次の瞬間。
『どっすん』
 見事に二人共、コケてしまった。ちょうど仰向けに倒れたの上にが乗っかる格好。


「なぁーにやってんの、二人共。やっぱイケナイ事してるんじゃない」
 ちょうど給湯室から帰って来たが、しれっとした声で言った。