ドリー夢 きよしこの夜
〜聖なる夜〜
「ううっ……。さむ……」
はすっかり冷え切った手をこすり合わせた。制服の上にコートを着ているとはいえ、朝の空気は肌を刺すように冷たい。
「この動きって、何かに似てる……」
そうつぶやいて、こすり合わせた手に『はぁっ』と息を吐きかける。息は白く凍って、それでも少しは暖めてくれた。
それを眺めていたは、はたと気付いて動きを止めた。
「あ、ハエか」
文化祭も無事に終わり、テストや個人面談などあまり有り難くない行事に追われるうちに、街中にジングル・ベルが鳴り響く季節になった。
ここ駅前広場も普段はなんの変哲もない木が、いつの間にかイルミネーションを巻き付けられている。
日が沈むとキラキラと輝きだして、道行く人に幻想的な気分を味わわせてくれるのだ。
「ごめん。待った？」
改札を抜けて来たが、定期券を胸ポケットにしまいながら声をかけた。
制服の上にコートを着てマフラーも巻いている。暖かそうだ。
「私ゃ、ハエになっちゃったよ。ほら見て。こうして手をこするとさ、似てるでしょ」
はさっきのように手をこすって見せた。
「ハエか。さんらしい発想だな」
はクスクスと笑った。
「くんはいいね。暖かそうで」
はじぃっとのマフラーを眺めた。
「貸してあげようか」
そう言うと、はするするっとマフラーの結び目を解き、の首にぱふっと掛ける。
「あ……そんなつもりじゃなかったんだけど」
マフラーにはまだのぬくもりといつものコロンの香りが残っていて、触れている場所からの体温が染み込んでくるようだ。
はなんだか照れてしまった。
今日は終業式。明日から学校は冬休みに入る。
今朝はどの部も練習が無いので、二人は降りた駅で待ち合わせをしていたのだ。
「早いねー。もう二学期終わっちゃうよ」
はのマフラーをありがたく首に巻きながら、並んで歩く彼の顔を見上げた。
「もうすぐクリスマスだな」
マフラーにはさまれて少し乱れたの髪を手で梳き直してやりながら、は呟いた。
は髪に触れるの手を心地よいと感じながらも、意識してしまった。
「くんは何か冬休みの計画ある？」
の手から気をそらすように、わざと明るく聞く。
「僕はバイトする事にしてるんだ。短期集中のヤツ」
「ふうん。そうなんだ」
つまらなそうに、は下を向いた。
「あ。今『つまんない』とか思っただろ？」
はの顔を覗き込む。その顔はなんだか楽しそうだ。
「そ……そんなことないけど」
は強がってみせた。
「なーんだ。つまんないの」
は残念そうに口を尖らすと、終業式なので何も入っていない学生鞄を放り上げた。
「バイト、何するの？」
宙を舞う鞄を眼で追いながら、はたずねた。
「ん。近くのケーキ屋でケーキ作るんだ」
「あぁ、それで短期集中？」
「そ」
落ちてきた鞄を両手で挟むようにキャッチすると、は顔だけの方に向けてニコッと笑った。
「イヴの夜ね、出て来れない？」
そのままの姿勢でたずねる。
「うん。大丈夫……だと思う」
毎年家のクリスマスは、母親が焼いたケーキを家族揃って食べるのがならわしだった。でもあらかじめ言っておけば大丈夫だろう。
娘の幸せをブチ壊すような無粋なマネはしない……と思う。
「バイトさ、イヴの夕方五時までなんだ。時間、六時くらいでどう？」
「わかった。六時ね」
も何だか楽しくなって、ニコッと微笑んだ。
「これでどうかな。……んー、ちょっとケバいか……」
自分の部屋にある大きな姿見の前で、はさっきから衣装をとっかえひっかえ。
「やっぱりこれかな」
最終的に選んだのは、クリスマス・カラーの赤をポイントにしたワンピース。それに誕生日に買ってもらったシルバーのネックレスをつけて出来上がり。
今日は約束のクリスマス・イヴ。
待ち合わせは六時だというのに、は二時から仕度を始めた。昼から時計ばかりが気になって何も手につかないので、仕度だけでも先にしておこうと思ったのだ。
「あ。そうだ。イヴにはプレゼントがつきものだよね」
はハタと思いつく。
危ない、危ない。忘れるところだったよ。どうせ何もすること無いし、プレゼントを選びに行こう。
「行って来まーす」
コートをはおって玄関でブーツを履き、奥に声を掛ける。
「あらぁ。夕方の約束じゃなかったの？」
母親がキッチンから顔を覗かせた。
「仕度できちゃったし、手持ちぶさただから出かけてくるワ」
苦笑いをして手を振ると、はドアを閉めた。
さすがに天下のクリスマス・イヴ。
仏教徒も正真正銘のクリスチャンも、この日ばかりはごちゃまぜになってキリスト生誕前夜をお祝いしている。
それに商店街の思惑も重なって、街は絵の具をぶちまけたように色とりどりだ。
「男の子へのプレゼントって何がいいのかな」
こんないいシチュエーションの時にあまり登場して欲しくないのだが、兄の持ち物を思い浮かべてみた。
「んー……」
ショー・ウィンドウを覗き込んでいたの眼が、ある店の前で釘付けになる。
「あ、そうだ。これこれ」
あまり忙しくなさそうな店の中に入り、店主を探す。
「あのー、これプレゼントにしたいんですけど」
「はいはい。男の方へのプレゼントですか？」
にこやかに店主が答えた。
はボッと顔から火が出るのを感じたが、なんとかこらえた。
「は……はい。それでお願いがあるんですけど……」
は何事かを店主に依頼した。
「そろそろ……かな」
待ち合わせの喫茶店。
外がよく見えるようにと窓際の席に座り、ホット・ミルクを注文するとは時計を眺めた。
針は五時五十八分を指している。
程なく注文のホット・ミルクが運ばれて来て、はそれに口をつけた。
店内にはカップル達が入れ替わり立ちかわりやって来ては少し話しをし、二人で出て行った。
ここで待ち合わせをして、今からどこかに出かけるのだろう。どのカップル達もとても幸せそうに微笑み合っている。
「私たちも、あんな風に見えるのかな」
は想像を巡らせると、一人で照れてしまった。
「遅いな……」
ホット・ミルクをおおかた飲み干してしまった頃、読んでいた雑誌から眼を離しては時計を見た。
針は７時を指している。
との約束は六時だったはず。
いくらなんでも遅すぎないかな？
店のドアが開く音がした。入り口の方を振り返って見る。
違った。くんじゃないや。
外はすっかり真っ暗で、イルミネーションがキラキラと輝いている。店の中はやっぱりカップル達でいっぱいで、みな楽しそうにしている。
はひとり置いてけぼりにされたようで、なんだか急に心細くなった。
ウェイトレスが、五回目の水をつぎに来た。なんだか居心地が悪い。もう少し待って来なかったら、この店を出よう。
ドアが開く音がする。その度に、何度振り返っただろう。がっかりするのが嫌で、はさっきから振り返ることをやめてしまった。
「はぁ」
意識せず、ため息が漏れる。
「何、ため息ついてんの？」
頭を撫でられた。
見上げると……。
「……く……」
言おうとした言葉の最後は、涙声になってしまった。
「ごめん。ホンっとにごめん！」
はの向かいの席に座り、脱いだコートを隣の椅子に置くと顔の前で手を合わせた。
急いで走ってきたのだろう。髪が乱れ、息がまだあがっていた。
からはいつものコロンの香りではなく、甘いバニラの香りがする。
「この不景気で思ったより売上が伸びなくてさ。ケーキ残んないようにサンタの格好させられて店の前に立たされたんだよ。おまけに時間も延長してくれって泣き付かれてさ。ひどいだろ」
は心なしいつもより饒舌だ。
「でもさ、おかげで女の子の客が増えたって……これもらった」
が出したのは品のいい箱に入ったケーキとシャンパン。
……と小さな赤い包装紙に包まれた箱。
「何？ これ」
はの顔を見上げた。
「開けてみな」
いたずらっ子のような笑みでは促す。
ガサゴソ……。
「指輪じゃないの。どうしたの？」
箱の中身は小さな赤い石のはめ込まれた指輪だった。が今、身に付けているようなシルバーではない。それがプラチナである事はにもわかった。
「それ買うためにバイトしたんだ」
は照れくさそうに前髪をかき上げた。
「前から目星はつけてあったんだけど、バイト料入るの今日でさ。間に合わないんじゃないかってアセったよ」
は箱から指輪を取り出した。
「手だして。……違う。右じゃなくて左手」
そしての手をとり、薬指にはめる。
「よかった。ぴったりだな」
満足そうには微笑んだ。
左手の薬指ってことは……？
の表情を読み取ってが頷く。
「そういうこと。今から予約だから」
そして照れくさそうに笑った。
「あ……の……バイト終わってから買いに行ってくれたの？」
は半分放心状態で聞いた。頭の中にもやがかかったように半透明だ。
「そ。閉店ギリギリ」
はぺろっと舌を出した。
「ありがと……う」
はまた半ベソ状態になった。
とは喫茶店を出た。二人の様子は他の人が見たらきっと、さっきまでが眺めていたカップル達のように見えただろう。
は心の中が暖かくなった。
くんといるだけで、こんなにも心が満たされるんだ。私きっと今、すごく幸せそうな顔してる……。
はそこで、はたと気が付いた。
「あ……。そういえば私もくんにプレゼントあるんだ……けど。……う……」
こんなすごい物をもらった後で出せるような代物ではない。は躊躇した。
「なに？」
が顔を覗き込む。
「私……ロクな物じゃないんだ」
はポケットの中のプレゼントの包みを握り締めた。
「何でもいいよ。さ……が僕のために選んでくれた物なら」
「ホントに笑わない？ がっかりしないでね」
そう念を押すと、は包みを取り出した。
それを受け取って、は包みをほどく。
「シャープ？ ははは……。ちゃんとネーム『Ｓ』って入れてくれたんだ」
箱の中身は、ネーム入りのシャープ。
「前にくんがきっかけ作りに使ったシャープ……。私が沢田くんにあげちゃったから……」
下を向いて蚊の鳴くような声で、は言った。
「らしいね。ありがとう」
は笑って続ける。
「今日は僕にとって特別な日だから。二倍嬉しいよ」
「え？ 何かあったの？」
特別な日って……？ は薬指の指輪をくすぐったく感じながら聞いた。
はふっと微笑むと、真っ暗な空を仰いだ。
「僕の誕生日。これでと同じ十七歳だな」
「へ？ くんってクリスマス・イブ生まれだったの！？」
自分より後の誕生日だという事は知ってたけど。
「普通は名前見て気づくよ。『』なんて名前、イヴ生まれのヤツ以外の誰に付けるのさ」
はクスクスと笑った。
やだ。イヴで、おまけに誕生日なのにシャープ一本のプレゼントだなんて。しかも今日思い出して買った物だなんて、言えないよー。
「どうしよう。誕生日プレゼント用意してないよ」
はオタオタするをじっと見つめた。
木々に巻きつけられたイルミネーションに照らし出されて、の顔はとてもキレイだ。
は、しばし見とれてしまった。
が近づいて来る。の前に立ち、頬に手を添えた。その手からのぬくもりが染み込んでくる。
「じゃ、プレゼントくれる？」
の眼をじっと覗き込む。の顔が近づいた。は自然に眼を閉じる。
イルミネーションに照らしだされたまま、唇と唇が重なった。
クリスマス・ソングが流れ、二人を祝福しているようだった。
イヴの夜に神様がくれたもの。それはくん自身と、くすぐったい約束。そして、自分への自信。
きよしこの夜――――。
「……くん」
小さな声では、そっと呼んでみた。