〜序〜
『ヒュー……』
風が渡る。乾いた砂が巻き上げられ、空を赤く曇らせた。どこまでも続く、ごつごつとした岩と赤い砂の地平。湧き出る泉ははるか遠い。
「都は遠い……な」
長身の人影が呟く。体の線を隠すように、頭から長い上衣を纏っている。ボロ布のように裾が擦り切れたその布目には、赤い砂粒が刺繍飾りのように埋まっていた。腰の辺りに体の一部ではない物が、その形を布地に浮かび上がらせている。
日が傾いて来た。すぐに夜が来る。闇は人の方向感覚を奪う。暗くなってから歩き回るのは危険だ。
「休まねばなるまい」
岩場の窪みに身を寄せ、その人は上衣を取った。
癖の無い、銀の後れ毛がさらりと零れる。後で緩く編まれた長い髪は、薄暗がりの中でも美しく輝いて見えた。濃い睫毛に縁取られた深碧の瞳には少しばかりの疲れが窺える。
上衣にその形を浮かび上がらせていたもの。腰から外したそれは、長剣であった。大事そうに手にとり、鞘を払って沈み行く日の光に透かし見る。よく手入れされた刀身が剣呑な光を返した。
「誰だ」
岩場の上から誰何の声。低く響くその声には隙が無かった。
「先客か」
油断なく気を窺いながら銀髪のその人は剣を鞘に収めた。このような場合、刀身を見せただけで敵意ありとみなされて斬りかかられる事も多々ある。都を離れたこの地で、無益な戦いはしたくなかった。
頭の上から黒い影が落ちてきた。その影はゆっくりと立ち上がる。
「俺の名はタウ。お前は?」
タウと名乗った男は値踏みするような目をこちらに向けた。漆黒の長い髪を後で緩く束ね、同じく漆黒の瞳がギラギラと光る。纏った衣さえ闇の色で、さながら死の使いのようだった。
「名には聖霊が降りる。無闇に名乗りをあげると呪いを掛けられるぞ」
鞘に収めたものの、未だ剣を降ろさず銀髪のその人は言った。
「ふ……。呪いなど怖くはない。そんな物に怯えて剣が持てるか。腰抜けめ」
タウは明らかに侮蔑の色を含んだ声で言い放つ。腰抜けと蔑まれた銀髪が風に舞った。
「私とて呪いなど怖くはない。いいだろう。私の名はカイだ」
お互いがお互いの双眸を探るように睨み付ける。強い風が吹いて、赤い砂が岩場の上まで吹き上げられた。
一瞬早く剣を抜いたのはタウだった。目にはそれと判らぬ速さで鞘を払い、そのまま斜めに薙ぎ上げる。刃と紙一重のところでカイの体が高く跳ぶ。天に向かって伸ばされたタウの剣の先から銀の髪が一筋、零れ落ちた。
「何故戦わねばならん」
カイも剣を抜いた。
「それさ」
タウは岩陰の方向を顎でしゃくった。
「水が要るんだ」
タウの視線の先にはカイが背負ってきた革袋がある。獣の皮をなめして作られたその中には、赤い砂地を渡るための水が入っていた。
「水などお前も持っているだろう」
革袋とタウとに交互に視線を配りながら、カイはじりっと間合いを詰めた。
「生憎と俺のは剣で突かれて破れちまった」
タウも間合いを計る。
「盗賊に襲われてな。奴らは倒したが、はずみで水はパァさ」
「ならば私のを分けてやる。無益な戦いはしないことだ」
水はまだたっぷり残っている。半分に分けても、都に行く位の分量は残るだろう。カイは剣を収めようとした。
「俺は白か黒か、どちらかしか信じないんだ。盗るか盗られるか、さ」
戻そうとした刀身をタウの剣が弾く。固い峰に弾き上げられて、剣を持つカイの手が緩んだ。
隙を突いて、タウの剣が斜めに振り下ろされた。身をかわすカイ。
『シャ……』
カイの肩口から胸にかけての衣が裂けた。きめの細かい白い肌が露になる。胸の膨らみへと続くそれは、男のものではなかった。
「お前……女か?」
タウが剣を下げた。
「剣の前では、女も男もないだろう」
カイは裂けた衣を合わせ、露になった肌を隠すように半身を引いた。
「女と剣を交える気はない。女は可愛がるものだ。そうだろう」
にやけた笑いを口の端に浮かべ、タウは剣を収めた。
「私を見くびると痛い目に遭うぞ。剣を抜け」
蒼い憎悪の炎がカイの深碧の瞳に灯った。
「おもしろい」
蒼い炎に剣士の血が沸き立ったのか、タウも剣を構えなおした。
カイが跳ぶ。高く、軽く。剣がその残像も残さない程の速さでタウに向かって突き出される。
タウの剣筋もなかなかのものだ。だが……。
「つ……っ!」
カイの剣がタウの足に刺さった。足を庇い、身をかがめるタウ。女に己の身を傷つけられた事が余程悔しかったのだろう。タウの顔には信じられない、といった表情が浮かんでいた。
「だから言っただろう。私を見くびるな、と。利き足でなかった事を感謝するんだな」
カイは剣を収めた。タウは地面に座ったまま、完全に戦意喪失してしまっている。
「貸せ。傷口を縛ってやる」
タウの返事も待たず、カイは彼の足を乱暴に引っ張って投げ出させると、自分の衣の裾を引きちぎって傷口をきつく縛った。カイの銀髪が零れて、タウの肩にかかる。長旅の途中だというのに、その髪からは良い薫りがした。
「夜が明けたら、私は出発する。水は半分置いていってやるから安心しろ」
すっかり意気消沈してしまったタウを横目で見ながら、カイは獣避けに焚いた火をかき混ぜた。
「そんなに落ち込むな。お前の剣筋は素晴らしいぞ。私と戦ってあれだけの時間持ちこたえられたのは、お前くらいなものだ」
ふふ、と楽しげな笑みを浮かべる。タウはそんな彼女を真摯な目で見つめた。
「何故そのような物言いをする? 女はしおらしくしていた方が可愛いというものだ。そんな物騒な剣など振り回さず……な」
「うるさい。お前の知ったことか。私には私の事情がある」
カイの表情が硬くなった。
「ふ……ん。事情か。どんな過去を背負っているのか知らんが……」
「もう寝ろ。お前が目覚める頃には私は消えている。お前には関係のない事だ」
その後はお互い口をつぐんでしまった。赤々と燃え盛る火のはぜる音だけが、時折闇を小さく揺るがすのみだった。
風が渡る。乾いた砂が巻き上げられ、空を赤く曇らせた。どこまでも続く、ごつごつとした岩と赤い砂の地平。
「おーい、待ってくれ」
後から闇の中でさんざん聞いた声が追いかけて来る。
「どこまで付いて来るつもりだ」
振り返ったカイの顔は厳しい。銀の髪がさらりと風になびいた。
「怪我人など、足手まといになるだけだ」
厳しい声にタウは足を止め、ただ彼女の双眸を見つめる。二人の間にヒョオ……と砂煙が舞った。
「ふ……」
カイの頬が緩む。
「いいぞ、付いて来ても」
「いいのか、本当に?」
「物好きな奴だな、お前は」
「俺はお前が気に入ったんだ。その腕も、お前自身もな」
タウの漆黒の瞳が新しい門出に期待するように輝いた。
「勝手にしろ」
乾いた風が銀の髪を舞い上がらせた。ボロ布のような上衣は肩から掛けられているだけで、その美しい顔を隠してはいない。
「お前、綺麗だな。剣士にしておくのが勿体ないくらいだ」
「うるさい。置いて行くぞ」
カイが早足になる。タウも足を引きずりながらその後に続いた。
――赤い砂が舞い上がった。
to be continued...
Kiririku by Mei Fukami(Thanks!) 2002.07.04 UP