〜一〜
「ふぅ、やっと一息つける。見ろよカイ。二人共、砂だらけだ」
赤い砂地を抜け、ゴツゴツした岩場を上ると、唐突に現れたエクトラの街。その外れにある一軒の宿屋の軒先で、タウは己の上衣を派手に叩いて見せる。赤い砂粒が布目に埋まり、彼の黒い上衣は赤黒く変色していた。上衣だけではない。豊かな黒髪も赤い埃をかぶったようにすすけ、漆黒の艶を返してはいなかった。
そんな様子を横目でチラリと見やり、カイも己の上衣に埋まった砂粒を軽く払う。膝の辺りを払おうと前かがみになると、彼女の癖の無い銀の後れ毛がサラリと零れた。
「払ってやろうか」
タウがその脇にかがみ込んで手を伸ばす。伸ばし切らない内に、乾いた音と共にその手はカイの手によって払い除けられた。
「結構だ」
銀髪の下から碧色の瞳がタウを睨んでいる。女のように扱うな、とその瞳は釘を刺していた。
「いらっしゃいませ!」
すっかり砂を払い終え、宿屋の扉を開けると、すかさず帳場の中から声が飛んできた。扉に付けられた大振りの鈴がカランコロンと小気味良い音を立て、迎える声と交じり合う。
「空いている部屋はあるか?」
つかつかと帳場に歩み寄り、カイは低い声で尋ねた。
「えーと、お二人様ですね?」
カイの見事な銀髪に目を奪われていた宿屋の主人らしき小柄な男が、気を取り直したようにパラパラと台帳をめくる。指先を時折舐めながらのその仕草は、いかにも下町の商人、といった風情だ。
「あなた方は運がいい。ちょうど予約の取り消しがあったんで、一つだけ部屋が空いていまさぁ」
宿帳を差し出し、ここに記名を、という主人を制し、カイはタウを振り返った。
「部屋は一つだそうだ。おまえは他を探した方がいいんじゃないのか?」
冷たく言い放つカイ。彼と同室になろうとは、これっぽっちも考えていない様子だ。
彼女の横顔を帳場の台にかがみこんだまま困惑の眼差しで見上げ、宿屋の主人が申し訳なさそうに口を挟む。
「あの、こう言っちゃなんですが……今日はどこも満員御礼だと思いますよ。この先のオルセイヌ王都で祭りがあるんで、近隣の街はどこも見物客でいっぱいなんですわ」
主人の言葉に、タウの顔がニッとにやける。
「じゃあ、俺達は幸運だ、という事だな?」
「そういう事ですね。男の方同士ですし、相部屋でお願いできませんか?」
是非に、という二人分の眼差しを一身に受け、カイの表情が強張る。その訳を知るタウだけが、口の端で笑っていた。
『カイ・クレイオス』
『タウ・テュポン』
宿帳の一番最後の欄。カイの品の良い署名の下に、タウの奔放な書体が添えられた。
「おまえは……っ!」
案内された部屋に入り、扉を閉めて主人が出て行ってしまうと同時に、カイのいつもより高い声が飛んだ。
「相部屋なんかして、どうするつもりだ!」
今にも掴み掛からん勢いで、寝台の端に座ったタウににじり寄る。その迫力に気圧されて、タウはもう少しであお向けにひっくり返るところだった。
「仕方ないだろ? この国中の宿屋がいっぱいだって言うんだから。それに……」
片肘を寝台の上に付き、もう片方の手でカイを制しながら、それでもタウは不意に挑戦的な笑みを浮かべた。
「おまえは女じゃないんだろう? だったら問題ない」
いつも言っている事を逆手に取られ、カイは反論の余地も無く唇を噛んだ。しばらく黙って彼の顔を睨んでいたが……目を瞑って、ふぅ、と大きく息を吐く。
「少しでも不審な行動をしたら、ただではおかないぞ」
そう言って口の端を引き上げた彼女は、いつもの冷静なカイに戻っていた。
夕闇がひたひたと忍び寄る。隣接する料理屋の厨房でも料理の支度を始めたらしく、この部屋にまで食欲をそそる良い薫りが漂って来た。窓から差し込む光がだんだんと赤色を帯び、部屋の中まで赤く染め上げる。その残照に向かってカイは剣を差し出し、透かし見た。
「毎日毎日、ご苦労なこったな」
隣の寝台の上からタウの眠そうな声が響いた。
「剣の手入れは剣士の基本だ」
そう言い放って、カイはまた剣の返す光にじっと目を凝らす。微かな刃こぼれさえ見落とすまいと、少しずつ角度を変えていった。
一通りの手入れを終えると、カイは身なりを整え始めた。湯を使ってさっぱりしたカイは、髪も肌も光り輝いて見える。その長い手足が行う優雅な一連の動作を、タウは舞を見物するような心持ちで眺めていた。だがカイが腰に剣を付けたのを見て、はっと正気を取り戻す。
「出掛けるのか?」
「ああ」
問い掛けるタウを一瞥しただけで、カイはまた仕度に余念が無い。
「食事はどうするんだ」
「おまえ一人で勝手にやってくれ」
すっかり身支度を整えると、背中で緩く編んだ銀の髪をほどき、手櫛で梳く。残照の赤が銀髪に映って、燃えるように輝いた。再び緩く編みなおして革紐できつく縛り、背に垂らす。その姿は立派な貴公子のように見えた。
「じゃあな。先に休んでいてくれ。もっとも女遊びをする、と言うのなら、止め立てするような無粋な真似はしないが……な」
悪戯っぽく片目を瞑って見せると、カイは滑るように扉の向こうに消えていった。
タウは部屋にまで漂ってくる匂いに釣られるまま、隣の料理屋で食事を済ませた。カイと出会ってから、一人きりで食事を済ませたのはこれが初めてだ。一緒にいても、朗らかに微笑んで花を添えるわけでもなかったカイだが、その凛とした横顔が見えないだけで美味しい筈の料理が味気ないものに感じられた。
「女に不自由してたわけじゃないのに、まったく」
我ながら情けないとは思う。女には見えない女。そんなカイの剣に魅せられてここまで一緒に赤い砂地を渡って来た。ついて来るなと言うのを無理矢理承知させ、半ば邪魔者のように扱われてさえも、何故だか離れようとは考えなかった。
最初から決まったあてのあった旅ではない。女だてらに自分より優れた剣士であるカイが、何故女である事を捨てようとしているのか、それを知りたくなったのだ。
空がすっかり暗くなり、辺りの商家の軒先に灯された灯りがすっかり目に馴染んでも、カイは帰って来なかった。
「まさかあいつが女遊びでもあるまいし……」
男のなりをしていても、中身は女だ。妓楼に上がりこんで時間を潰しているわけではないだろう。
だったら何故こんなに遅いのか。そこまで考えて、タウは嫌な汗が背筋を伝うのを感じた。
もし、盗賊なんぞに襲われでもしたら……。いくら剣の腕が立つと言っても、多勢に無勢ではその身に何が起きるか判ったものではない。
「男色が趣味の奴もいることだしな」
以前、どこぞの街で好色そうな男に言い寄られた事を思い出す。背中に回された掌が無遠慮に這いまわっていた。腕を捻り上げてやったら涙を浮かべて許しを乞うていたが……。
タウは思い出してしまった気味の悪い感触に身震いをして、カイの姿が見えなくなってから何度目かの溜息を盛大に吐き出した。
「惚れた弱みだな」
半ば自嘲気味な笑いを漏らすと、タウは剣をとって部屋を後にした。
街外れといっても間近に王都を頂く場所だ。悩まし気な女の絵が描かれた看板を掲げた妓楼や、珍しい土産物を売る店まで雑多な商家が大通りの両側に建ち並んでいる。
タウは店先から奥を覗き込みながら通りを流して歩いた。客引きの誘いをのらりくらりとかわしながら、近隣諸国の中では珍しい銀髪を捜し求める。
「どこに行ったものやら……」
カイの行き先など見当も付かない。大体、何の用で出掛けたのかすらも判らないのだ。こんな事なら行き先ぐらいは聞いておけば良かったと後悔の念が頭をかすめた。
「この辺りから訪ねてみるか」
宿屋から遠く離れ、まずはここから、とカイは腹を決めた。
商家の灯りに照らされた大通りから横に伸びた細い路地は、ほんの少し奥に入っただけで胡散臭そうな輩がたむろしていそうな雰囲気を漂わす。客引きの女が薄暗い店の入り口に立ち、屈強な男達の腕を引いていた。
カイは唇を引き結び、見事な銀髪を隠すように上衣を引き上げて頭に被る。灯りの眩しい大通りでは却って目立つその格好も、薄暗い路地にあってはすっかり馴染んで見えた。
ちょうど男客に断られた客引きの女がこちらを振り向いた。大きな瞳のまだ幼さの残る面差し。カイよりも年下なのであろう。
「尋ねたい事があるのだが」
目深まで上衣を被り、その美貌を隠して問う。意識して聞かせた低い声が、カイが女であることを隠していた。
「あら、なあに?」
馴れ馴れしく腕に取り縋って女が見上げる。その体中に焚き染められた、幼さに似合わない妖艶な香がカイの鼻腔をくすぐった。
「この辺りで腕の立つ賊を見かけなかったか? 術師なのだが……」
術師とは、精霊を操る言霊使いのことである。念ずる力が強く、印を結んで言霊を唱え、あらゆるものに宿る精霊を操る。その数は少なく、稀少とされていた。
「盗賊なら何人も知ってるけど、術師なんて見たこともないわ」
大きな瞳をくるりと宙に向けて考えるふうを装い、女は首を振った。
「それよりねえ、暇なんでしょ?」
言うが早いか、女はカイを逃がさないように巻きつけた腕に力を込める。思わず身を引いたカイの上衣がはらりと落ちた。
「まっ、いい男!」
女の大きな瞳がさらに大きく見開かれた。そのすみれ色の中に、カイの銀髪に縁取られた美貌が映っている。
「私は探さねばならない者がいる。ここで遊んでいる時間はないんだ」
困惑顔のカイ。相手は女だ。邪険に振り払う事もできずに、諭して離れてもらおうと努める。
だがそんな態度を紳士的ととったのか、女はますます体を擦り寄せてきた。
――こんな時、男なら嬉しいのだろうな――
一緒に旅を続けているタウならば、と考え、カイは男ではない我が身を振り返って途方に暮れた。
宿屋から随分離れた場所まで歩いてきて、タウは本当にこの方角で良かったのか、と自問し始めていた。目指す銀髪はどこにもいない。ひょっとして見落としたのではないかと、来た道を戻りかけては思い留まる。
もう少し先かも知れない、いや路地を曲がったのかも知れない、と様々な考えに翻弄されながら、それでも真っ直ぐに大通りを行った。
「何の用が有って出掛けたのかも知らないのに……」
聞いたところでカイが答えてくれたかどうかは怪しいのだが。
「どこかの店の中にしけこんでるわけじゃないだろうな」
仮にもカイは女だ。男のように妓楼に上がりこんでいるわけではないだろう。そこまで考えて、待てよと思い直す。
「あいつなら、やるかも知れない」
タウはこめかみを押さえて溜息をついた。
もういないかも知れない。大体どうしてこんなに心配しなくてはいけないのかと、もと来た道を引き返そうとしたその時。大通りから横に伸びた通りに、見慣れた銀髪が若い女たちに囲まれていた。
「ねえ、遊んで行ってよ。安くしておくから」
カイの右腕に自らの腕を絡ませた豊かな肢体の女が、肌も露な衣装の下で身をくねらす。
「あたしが先よ。ねぇ」
同じくカイの左腕に巻きついた、大きな瞳が印象的なまだ幼さの残る女が、不服そうに口を尖らせていた。
カイは、と見れば、女達よりも高い身の丈からその光景を困惑顔で眺めている。女が女に言い寄られても嬉しくは無いのだろう。
これは面白い見ものだと、タウは高みの見物を決め込む事にした。
「ああ、タウ」
腕を組んで壁に寄り掛かったところをカイに見つかる。彼女の声に導かれるようにして、女達の視線が一斉にタウに向けられた。
「あらぁ、こちらの方もいい男」
女達が駆け寄ろうとする。タウはチッと舌打ちをしながらその脇をすり抜け、速い身のこなしでカイの腕を掴むと、路地の奥へと走り出した。きつく結ばれた筈の革紐がするりとはずれ、縛めを解かれた銀髪が風になびく。
「何よぉ。逃げなくったっていいじゃない。とって食いやしないのに」
鼻にかかった甘ったるい声がそれに似合わない悪態をつくのを背で聞きながら、二人はぐるりと路地を巡って元の大通りに戻っていった。
「おまえだけでも遊んで行けば良かったのに」
髪を編み直しながら、苦笑混じりにさらりと言ってのけるカイ。
「そんな事できるか」
好きな女が目の前にいるのに、と続けたいのをぐっと堪えて、タウは半ば諦めたような表情で彼女を見返す。
「ああやって女に囲まれていると、ちょっと線の細い男にしか見えんな」
認めたくはないが、やはりカイの見た目は男そのものだ。それも随分といい男。
「ああ、結構だ。その方が気楽でいい」
サバサバした表情が、却って小憎らしい。タウは嫌味の一つも言ってやりたくなった。
「おまえ……誰も好きになったことなんかないだろう?」
「私だって恋の経験くらいはあるぞ」
返ってきたのは意外な答え。タウは思わず身を乗り出した。
「え? 相手は男か? 女か?」
「……もうおまえとは話さん」
先程の困りようを何だと思っている、と無言で憤るカイ。そんな彼女のふてくされた横顔を眺めながら、タウの胸の内に今までの心配が再び頭をもたげて来る。
「それより何だってこんな遅くにほっつき歩いてるんだ? この辺りは特に怪しげな店ばっかりじゃないか。盗賊の……」
盗賊の出入りしそうな所だと言いかけて、カイの表情が硬くなったのに気が付く。
「……賊が出入りしそうな場所だから、だ」
タウの言葉尻を拾って、カイが続けた。表情は硬いまま、瞳には蒼い憎悪の炎が見え隠れする。あの日と同じ蒼い色だ。
あの日――二人が初めて対峙し、カイが女である事を知った時。あの折にもカイの碧眼には蒼い炎が揺らいでいた。
「盗賊に何か恨みでもあるのか?」
心配して尋ねるタウを冷たい瞳で一瞥しただけで、カイはふと視線を逸らす。
「おまえには関係ない」
短く吐き出された抑揚の無い声が、それ以上の問いを拒んでいた。