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銀の剣士


〜二〜


 祭りは七日間続いた。その間、二人は足止めを食って、同じ宿屋に逗留していた。こんな時にへたに動こうものなら、宿も取れずに野宿を迫られることになる。赤い砂地を渡って来たばかりの二人は、せっかく手にした寝台の上で眠る生活を手放す気にはどうしてもなれなかった。
 カイは相変わらず物騒な時間になると部屋を抜け出し、何事か調べて回っている。それがどういった事であるのか、凛として拒絶されたタウは、問い詰める術を持ってはいなかった。
「そうか、ありがとう。手間をとらせたな」
 怪し気な酒場から出てきたのはカイ。今日は上衣を被ってはいない。見事な銀髪も編まれてはおらず、大股で歩くのに伴って、風を含んでふわりと舞い上がった。
「そろそろアスティリアに戻らねばならんか」
 懐具合が寂しくなった。この街での噂は大体調べが済んだ。どうやら人違いのようである。求める者は、再びカイの手の届かないところに行ってしまった。
 ――アスティリア――
 その街の名を聞くだけで、カイの胸の内には懐かしさと嫌悪の念が渦巻く。
「我が名に降りし精霊よ。我を護りたまえ」
 剣士である筈のカイが印を結ぶ。その内からポウと湧き上がった光の珠が、吸い込まれるように彼女の額に溶けていった。


「アスティリア?」
 次に向かう先を告げられたタウは、『うえっ』と露骨に嫌そうな顔を見せた。
「あの街は貴族の街だ。戒律が厳しくて、俺は好きになれん」
 嫌そうな顔を更に歪める。
「別について来なくてもいいぞ。私の行く先はそこだ、と告げたまで」
 さらりと冷たく言い切るカイ。その顔は別段名残を惜しむでもなく、本当にどうでもいい、といった表情を浮かべていた。
「なあ、俺は邪魔か?」
 聞いても仕方が無いと思いながらも、タウは聞かずにはいられない。
「邪魔でもないし、必要でもない」
 思った通り、道端の石ころと同じにしか思われていない事を確認したに過ぎなかった。


 ただの旅の剣士がとうやって工面したのか知らないが、アスティリアへの道のりを馬車を調達して行く、とカイが言い出した。そしてその車中である。馬車の揺れが眠気を誘ったのか、程なくカイはウトウトとまどろみ始めた。連日の夜歩きの疲れが溜まっていたのか。
 長い睫毛が白い頬に影を落とす。薄く紅を引いたような桜色の唇は、おそらく化粧などしていないのだろう。癖の無い銀の髪が、窓から入る風に弄ばれて頬を撫でていた。
「我ながら、珍しく鉄の自制心だな」
 無防備な女を目の当たりにして、それでも手を出さないというのは、今までのタウの人生の中で考えられない事だった。
 それでもと、その形の良い唇に指を触れる。滑らかな感触。しばらく指でなぞっていたが……。
「まずい。もっと触りたくなってきた」
 抱き締めてしまいたくなるのをぐっと堪える。そんなタウの胸中を知ってか知らずか。カイは眉根を寄せ小さく呻くと、その頭を彼の肩にもたせかけた。白い手が縋るように彼の衣装の胸を掴む。
「ますますマズい」
 鉄の自制心もあわや、と思われた時、カイの唇が微かに動いた。
「逃げ……クシー……」


 アスティリアの街に入ると、しばらくは森が続いた。曲がりくねりながらも続く一本の小道がなければ、迷ってしまうかと思われる程の深い森であった。
「着いたぞ。降りるか降りないかはおまえの勝手だが」
 馬車が止まりそっけなく告げられて、タウはやれやれといった顔で扉をくぐる。長い間座っていたせいか、腰がぎしぎしと音を立てるようだ。
 ポンポンと腰を叩いて伸ばしながらふと見上げると、目の前には立派な貴族の屋敷が威圧感をもって建っている。
「どこだ? ここは」
 思わず口にしたタウの言葉に、御者に金を払い終えたカイが事も無げに応じた。
「私の叔父の屋敷だ」
「叔父さんが貴族……じゃあ、おまえも貴族なのか?」
「まあ、そういう事になるな」
 それがどうした、という眼差しでカイが続ける。
「ところで入るのか? 入らないのか?」
 振り向くカイの背筋はピンと伸びて、その顔には今まで見たことも無いような艶然とした微笑みが湛えられていた。
 その笑みに屋敷と同じ威圧感を感じ、タウは圧倒されながらも彼女の後に続く。侍女や下仕えの者が頭を垂れて迎える中、カツカツと靴を鳴らしてタウの前を歩いて行く様は、まさに貴族そのものであった。


「おお、帰って来たか、カイ。今度は長くいられるのだろうな」
 侍女の知らせを受け、奥から屋敷の主が迎えに出る。口元に髭をたくわえ、落ち着いた物腰の大柄な男であったが、その瞳は優しげに細められている。
「はい、イティオス伯。お元気そうで何より」
 うやうやしく膝を折って会釈するカイをイティオス伯と呼ばれた叔父が手を振って制する。
「他人行儀な。幼い頃のように叔父上と呼びなさい。カイは……もう十八になったか」
「十九です。叔父上」
 いつものタウに対する態度とは打って変わってにこやかなカイ。タウがあまりにも違い過ぎるその態度に釈然としない想いを抱きながら事の成り行きを見守っていると、イティオス伯の目がそちらに向けられた。
「こちらの方はどなたかな?」
「タウ・テュポンと言います。剣だけが取り柄の旅の者で、カイとは……」
 言いかけたタウだが、ふと二人の関係を何と説明したら良いのか、言葉に詰まってしまった。
「カイの想い人かね?」
 イティオス伯が細められた目を更に細めて尋ねる。
「はい」
「いいえ」
 ほとんど同時に二つの声色が正反対の言葉を奏でていた。


「やっぱりバカだ、おまえはっ!」
 カイは通された客室の調度品の間を靴音も高く歩き回りながら、怒りもあらわに怒鳴る。
「何だって『想い人』だなんて言うんだ? こっちの都合も少しは考えろ!」
 口調は男そのものである。傍目には男同士の痴話喧嘩のようでもあるが……。
「少なくとも俺はおまえが好きだ」
 カイは十九。タウは二十一。二つも年下のカイを相手にしていても、何故だか分が悪い。叱られた子供のように背中を前かがみにしながらも、タウは己の想いをカイにぶつけていた。
「それは何度も聞いた。だが私はおまえの事を好きでもなんでもない。気持ちを押し付けるのはやめてくれ」
 花瓶に生けられた花を一輪抜き取ると、カイはそれを真っ直ぐにタウに突き出した。
「男の愛情の押し付けは……もうたくさんだ」
 カイの碧眼に蒼い憎悪の炎が灯る。手の中に握られた花の茎が、たちまち萎れて干からびていった。
「おまえ……術師か?」
 タウの漆黒の瞳が見開かれた。その中に映るカイは、いつものカイではない。
 銀髪が風も無いのにふわりと持ち上がり、蒼味を帯びて輝く。碧眼も蒼く揺らめき、氷のように冷たい。
 と、台座に載せてあった剣が、誰も触らないのにコトリと倒れた。鞘につけられた房飾りが、刀身に遅れてハラ、と床に舞い散る。はっと我に返るカイ。しまった、という目でタウを窺い、そして深く息を吐いた。
「誰にも……言うな。特にこの屋敷の者には」
 それはどういう事かと問うタウに、カイは椅子に掛けるよう促しながら自分は近くの机に体を預ける。
「我がクレイオス家は代々剣士としてオルセイヌ王宮に仕える家柄なのだ。こちらのイティオス伯は父の弟。何くれと私の面倒を見てくれている。まあ……私の家もいろいろ有ってな。あちらには帰り辛い。剣士の家の者が術師だなどと……口が裂けても言えないんだ」
 自分の言霊は不安定だから、と付け足して、再び釘を刺す。
「いいか、絶対に言うな。言ったら……」
 カイは床に落ちた剣を拾い上げると、すらりと鞘を払った。切っ先をタウの首筋にぴたりとあてがい、その美貌を近づける。お互いの息が掛かるほど近づいて、見据える瞳はそのままに、ふと口の端を引き上げた。
「これだ」
 首筋の刃を一層強く押し付ける。その声は冷たく、タウの心の中までも凍りつくようであった。


『コンコン』
 カイに割り当てられた部屋の扉が二回、叩かれた。
「どうぞ」
 暇つぶしに、と書庫から持って来た読みかけの書物から目を上げ、扉に向かって促す。微かな音を立てて開いた扉の先には、叔父のイティオス伯が立っていた。
「突然帰る気になったのは、これが入用だったからであろう」
 イティオス伯が手にした包みの中には、当分困らないだけの旅費。
「おまえは自分からは、なかなか言い出さない。遠慮は要らんぞ」
 つい、と手を伸ばし、掌の上の包みを差し出す。
 布に包まれたそれを受け取ると、カイは申し訳なさそうに目を伏せた。
「いつもいつも叔父上の世話になってばかりで、心苦しく思っております」
「いいのだよ、カイ。わたしには子がいない。妻にも先立たれてしまった。姪であるおまえにしか、財を譲る宛はないのだから」
 そう言って、イティオス伯は目を細めた。
「そうか。十九になったか。ますますおまえの母、イリスに似てきたな」
 手を伸ばして滝のように背に落ちる銀髪を一筋すくい上げる。
「この髪も母譲りだ。その碧眼も……。わたしが最初にイリスに会ったのも、彼女が十八、九の頃だったか。既に兄の婚姻の相手として、ではあったがな」
 遠い日を思い出すようにその銀髪に視線を落とす。癖の無い銀の糸は、伯の指の間から零れてキラキラと輝いた。
「私は母ではありませんよ、叔父上」
 カイの凛とした声が無闇に広い部屋の中に響いた。その声は怒っている風でもなく、困っている風でもなく、ただ穏やかだった。伯の人となりは知っている。母の面影を自分の中に見たからといって、無体な真似をするほど落ちぶれてはいなかった。
「ああ、そうだな」
 イティオス伯はカイの上に重ねた母の面影を引き剥がし、名残惜しそうに立ち上がる。その目に、台座に立てかけられた、象嵌も美しいカイの剣が映った。
「クシーのところには寄るのだろう? きっと寂しがっているぞ」
 去り際にカイの肩に手を置く。
「ええ」
 短く答えたカイの笑顔は、少し寂しげであった。


 剣を交える音が、屋敷の中庭に木霊する。刃を潰した稽古用の剣ではあったが、重さも握った柄の感触も本物と寸分違わない。両の剣の先には、カイとタウの姿があった。
 タウの漆黒の髪が体に遅れて右へ、左へとなびく。カイの銀髪がそれに絡みそうに近づいたかと思えばふわりと離れた。
 二人の眼差しは真剣そのものである。刃を潰した剣だと判っていても、そこにあるのは命を賭けたやりとりであった。
 カイの剣がタウの胸先を払う。
「まだまだっ」
 体を仰け反らせてそれをかわしたタウの口から強がりとも取れる言葉が吐き出された。
「口を開くなっ! 真剣になれば、言葉なぞ出ん筈だっ!」
 腕がなまるから是非に、とタウに乞われての稽古である。
 タウの剣筋はいい。今のままでもどこかの屋敷に筆頭剣士として召抱えられることは可能だろう。だがカイから見れば、今ひとつ何かが足りなかった。
 右かと思えば左を薙ぎ、正面から突くと見せかけて足を払う。
 カイの剣は、蝶が舞うように軽く、宙を切り裂いた。
『ビイィィッ』
 突然かん高い音がして、カイの剣がタウの衣装の袖を貫いた。刃が潰してあるにも関わらず、その切っ先は庭の立ち木に深々と刺さり、タウの腕を縫いとめている。
「勝負あったな」
 息も乱さず、カイが口の端を引き上げて微笑んだ。
「足を庇っている。まだ良くならないのか?」
 縫いとめた剣を引き抜き、カイはちら、とタウの足に目をやる。赤い砂地でカイが負わせた傷だ。歩く、走るといった日々の動きでは感じられないぎこちなさ。だが剣を使う際の足裁きの不確かさは、如実にカイに伝わってきた。極めた者だけが知り得る動きの無駄である。
「そんなつもりは無いんだが。やはりおまえには判るか」
 破れた袖を手で払いながら、タウは溜息をつく。
「安心しろ。私にしか判らん」
 慰めとも侮蔑ともつかない言葉を残し、カイは剣を鞘に収めた。くるりと踵を返すと、遅れて銀髪が舞った。
「どこに行くつもりだ?」
 タウは、さっさと行ってしまいそうになるカイの背に問い掛ける。
「会っておかねばならん者がいる」
 立ち止まり、顔だけをこちらに向けてカイが答えた。


 稽古用の剣を携えたまま、カイは歩いた。中庭から屋敷の裏手へ。
 屋敷の裏は林になっている。人の通りもあまり無いのだろう。草が生い茂り、行く手を阻んでいた。女の足とは思えないほど、カイの歩みは速い。草を払いながら、大股で歩いて行く。それに続くタウも、草を払う際、手に小さな掻き傷を作っていた。
 しばらく行くと、木々が切り倒され、広場になっていた。だが、ただの広場ではない。そこには大小の墓石が並び、荘厳な雰囲気をかもし出していた。
「イティオス家の墓だ」
 墓石の間を進み、カイは迷わず端の方にひっそりと立つ新しい石の前に膝をついた。
「会っておかねばならない者と……?」
「そうだ。この下に眠っている」
 タウの問いに、カイは墓石に顔を向けたまま答える。途中の林で手折って来た花をその上に添え、目を瞑って胸の前で指を組んだ。
『クシー・グリュサ』
 添えられた花の間から墓石に刻まれた名が読み取れる。
「イティオス伯の妾腹の息子だ。私の従兄殿で剣の師範だった」
 カイの深碧の瞳は、濃い睫毛に隠されていてタウからは見えない。だが細かく震える濃灰色の睫毛がカイの心の内を映していた。