> 銀の剣士 INDEX  > 銀の剣士
 

銀の剣士


〜四〜



 同じ魂を持つ者よ
 我が傍らに疾く来よ
 気配は近い

 ――突然の閃光
 ――地の揺らぎ
 眩惑(げんわく)から醒めた視界に、金の(はな)が舞った――

 『クシーッッッッ!』


 イティオス家の墓地には大小さまざまな墓石があり、どれも掃除が行き届いていた。その端の方にひっそりと立つ新しい墓石。
『クシー・グリュサ』
 石に刻まれた名はカイの剣の師のものであった。その上にひっそりと添えられた花の小さな花弁が風に弄ばれる。花の香を含んで吹き上げる風の中、震えるカイの睫毛が濡れているようだった。
 傍らに立ったまま、タウがその肩に手を置く。思いのほか華奢な背中が、ピクリと跳ねた。
「おまえの剣の師か。だったら俺も手合わせ願いたかった」
 カイにならって膝をつき、胸の前で指を組む。一旦は瞑った瞼をそっとこじ開け、傍らの剣士の美貌を窺い見た。
「おまえなど、足元にも及ばん」
 自分でさえも敵わなかったのだからと、カイは墓石に立てかけた稽古用の剣に目を落とした。
「クシーは妾腹でさえなかったなら、王宮にも出仕できるほどの剣の使い手だった。それも筆頭剣士として、な」
「なら、何故死んだ? 若かったのだろうに。病を得たのか?」
 クシーの問いに、カイの碧眼が蒼を帯びる。剣に顔を向けたまま、短く言葉を吐き出した。
「おまえには……関係ない」
 何度も聞かされたその言葉。だがその響きの中には、憎悪と憤り、そして深い悔恨の情が感じられ……タウは口をつぐんでもなお、カイの碧眼を見つめていた。


「お世話になりました」
 イティオス伯の用意した馬車に乗り込み、カイが名残惜しそうに窓から顔を覗かせる。まるで置物のように隣に掛けたタウも、重厚な装飾も美しい貴族仕様の馬車に気後れしながら、それでも遠慮がちに会釈をした。
「今度はいつ寄ってくれるのだろうな」
 笑顔の下に寂しさを覗かせて、伯は問うた。
「近い内に、必ず」
 普段は隙もなく涼やかな碧眼を、いつになく和ませてカイが答える。
「やはりクレイオス家には立ち寄らぬのだな」
「……ええ」
 伏目がちに小さく答えるカイ。今更顔を出したところで自分の居場所はないのだと付け足して、カイは静かに微笑んだ。
「はっ!」
 御者が馬の尻に鞭をくれる。カッカッ……と響く小気味よい蹄の音と共に、馬車の輪がゆっくりと回りだした。
 それは運命の糸車が回るのにも似て……。


 オルセイヌ王都に入ったところでカイは馬車を止めさせた。
「これより先は歩いて行く。ご苦労だったな」
 足が地面に着くや否や、扉に手を掛けたまま御者に労いの言葉をかけた。御者は帽子のつばに手を掛け、小さく会釈をする。それを見て取ると、カイはまだ馬車の中に座っているタウを振り返った。
「おまえはどこまでついて来るつもりなんだ?」
「おまえの行く所、どこまでもついて行ってやる」
 半ば意固地とも取れる口調でタウは応じた。
「……だそうだ。私たち二人はここで降りる。叔父上にくれぐれも礼を述べておいてくれ」
 御者に向かって声を掛け、カイは扉を勢い良く閉めた。その音が合図だったかのように馬車が動き出す。馬の鼻面をもと来た方角に向け、馬車はぐるりと回って遠のいて行った。丘を越え、もうすぐ地平の先に沈むというその刹那。イティオス家の紋章が日の光に眩しくきらめいた。
「ところでカイ、どこまで行くんだ?」
「放り出されたくなかったら黙ってついて来い」
「何故馬車で行かない?」
「叔父上に知られてはならんのでな」
 カイは見事な銀髪を隠すように上衣を頭の上まで引き上げた。
 裾のすり切れた上衣を頭から被り、みすぼらしく装ってはいても、カイの体からは気品が溢れていた。それは貴族の生まれだったからかと、タウは斜め前を歩くカイの背を見つめる。背の割に華奢に見える肩幅は、その素性を知るタウにはまろやかな丸みを帯びた女のそれに映った。
 カイはと言えば、タウの気配を背で感じながら、その存在を当たり前のものとして受け入れ始めている自分に少々困惑顔だ。タウの漆黒の髪もイティオス家にいる間に綺麗に整えられ、闇色の衣装も上衣も、伯が新しい物と取り換えてくれた。今見る限りではタウの方が身分ありげな者のように見える。
 もともと整った顔立ちの男。それなりの家に生まれていれば、さぞ社交界の女共が騒いだであろう。剣の筋もなかなかだ。家柄だけで剣士として王宮に出仕しているボンクラな貴族どもより、よほど腕が立つ。この男にその気があるのなら、伯を後ろ盾にどこぞの貴族の家にでも召抱えさせてやろうと……後ろに従う気配を感じながら、カイは口元を緩ませた。


 近道だからと抜けた森が、唐突に切れる。目に痛い程の抜けるような青空が広がった。振り返れば、穏やかな日差しを受けて森の木々の葉がキラキラと光る。その森を背にして、こじんまりとした家が建っていた。
『ザッザッ』
 戸口までの道のりに敷き詰められた、細かい砂利を踏む音。不協和音のように響く二人分の足音に、戸口で木の実をより分けていた女が顔を上げた。
「カイ様!」
 女の顔がパッと輝く。白い肌に散ったそばかすが何とも愛らしい、まだ少女と言っても通用しそうな小柄な女である。足元の籠には森で拾ったと思われる木の実がぎっしりと入っていた。
「ミリィ、元気だったか?」
 心からの笑みを浮かべ、カイが手を振る。上衣がハラリと外れて、銀の髪が日に映えた。
 タウはそんな彼女を傍らから見ていて面白くない。
 ――俺にはあんな顔を見せてくれた事など無いのに――
 確かにミリィと呼ばれた女は可愛らしい。歳の頃は自分と同じ位か、年下に見える。そこまで考え、タウの頭には良からぬ想像が渦を巻いた。
「カイ……あの女はおまえの女か?」
 言ってはいけないとは思いながらも、つい口が滑った。カイの歩みが止まる。
「……どうやったらそういう考えが出てくるんだ?」
 カイの深碧の瞳が呆れたようにタウを見据えていた。
「ミリィはクレイオス家の侍女だったんだ。昔、いろいろと世話になってな。今は屋敷を下がってここで暮らしている」
 呆れたような視線はそのままで、一語一語、噛んで含めるようにカイは言った。
「こちらにはいつお帰りに? ああ、こんな所では何ですわ、中にお入り下さいな」
 足元の籠を脇に退けると、ミリィは玄関の扉を中に押し開けた。こじんまりとした家ではあったが、綺麗に掃き清められ、手入れも行き届いている。
「狭くて申し訳ないのですけれど。そちらのお連れの方もどうぞ中に」
 そばかすの顔を明るい笑みで彩って、つっ立ったままのタウに手近な椅子を勧め、手馴れた手つきでお茶の仕度をする。程なく差し出されたお茶からは、香草のよい薫りがした。
「今日はお泊りになって下さるのでしょう? あの子も喜びますわ」
 ミリィは、ちら、と飾り棚の上に置かれた小瓶に目を向ける。カイもそちらに目をやり、口元を僅かに引き上げた。しかしすぐに濃灰色の睫毛が伏せられてその深碧の瞳は隠れてしまう。小瓶の中には、柔らかそうな金の糸が一房、入れられていた。
「そうだな……ああ、これは生活費の足しにしてくれ」
 カイはミリィの掌を差し出させ、イティオス伯から受け取った包みの中から僅かな金を取り出して乗せてやった。それでも一年は楽に食べて行けるだけの金だ。イティオス伯がどれだけの額をカイに持たせたかが判ろうというもの。
 どんな事情があって、カイがミリィにそれだけの金を渡したのか、タウには窺い知ることもできなかった。問いただせばまた、冷たい双眸で見据えたまま、『おまえには関係ない』といわれるだけであろう。
 タウは金持ちの屋敷を剣士として渡り歩きながら、その腕だけで生きてきた。そんな彼には、目の前の男のなりをした女が、やはり別世界の人間なのだと思われた。


 客用の部屋に置かれた寝台の上でまどろみながら、タウは何度目かの寝返りを打った。空いている部屋はここしか無い、というので、カイとタウは仕方なく同じ部屋で休むこととなった。隣の寝台でこちらに背を向けて眠るカイの体からは、規則正しい寝息が聞こえる。それを聞いている内に、ますます目が冴えて寝付けなくなってしまったのだ。
「なあ、カイ。おまえには俺には関係ないという事情がたくさん有り過ぎる。俺はおまえの事を理解したいと思っているのに、おまえはいつもつれないんだよな」
 答えぬ背中を見つめ、小さな溜息をつく。
「どうしてこんな女に惚れちまったのかね、俺も」
「こんな女で悪かったな」
 独り言に思わぬ答えが返ってきて、タウは驚いて寝台の上に飛び起きた。
「おまえ、起きてたのか」
 取り繕うように夜具を体の上に引き上げてみる。
「夜中に大きな声で独り語りなどされたら誰でも起きるだろう」
 隣の寝台の上で、カイの体がゆっくりとこちら側に寝返りを打った。
「ついでに言うが、私は女ではない」
 銀髪が乱れて頬にかかる。月の光に照らされた首筋が銀髪の隙間から白く輝き、少し眠そうに焦点の定まらないきつい瞳は、それだけで充分男を誘っているように見えた。
「カイ……」
 タウはゴクリと唾を飲み込み……。
「よからぬ事を考えていると、その頭、胴体から切り離してやる」
 カイが冷たく放った言葉に、タウはただ黙って頷くしか無かった。


「うわっ!」
 まどろみの中、冷たいものが頬に押し当てられた感触に、タウは何事が起こったのかと飛び起きた。
 昨夜はカイとこの客室で眠った。眠ったと言っても、隣の寝息が気になって、なかなか寝付かれずにいた。明け方になってようやく瞼が重くなったと思ったら、この仕打ちだ。
「何だ? どうした?」
 まだはっきりと開かない瞼を無理やりこじ開け、辺りを見回す。その視界の中に、タウの寝台の端に座ったカイが珍しく楽しそうに笑っているのが映った。
「寝坊だな、おまえは。もう日は高いぞ」
 カイが手にしているのは水に浸した布。たっぷりと濡らしたそれで、タウの頬を撫でたらしい。
「剣士ならば、寝ている時もちゃんと気を張っていなければならん。それでは剣士失格だな」
 できの悪い弟子を侮蔑するようにカイが眉根を引き上げた。
 よく眠れなかったタウの頭にカイの言葉が響く。己の剣の腕を頼りに生きてきたタウにとって、それはこれ以上ない程の侮辱に思えた。あまり眠っていないせいか、いつもなら何気なく聞き流せる言葉が、今はそうできない。タウは腹の奥底で、何かがザワザワと蠢き出すのを感じた。
 やおら、タウはカイの手首を掴んだ。湿った布がボトリと音を立てて床に落ちる。
「何を……するっ!」
 カイの顔が引き攣った。手首の縛めを解こうと、力を入れる。
「残念だな。いくら剣の腕が立つと言っても、所詮おまえは女だ。腕力では敵わんだろう」
 タウはそのまま体を翻し、寝台の上にカイの体を押し付けた。
「離せっ! おまえの首、掻き切ってやる!」
 カイは身を捩る。それでも押さえつけられた手首は、ピクとも動かなかった。
 カイの銀の髪が乱れて寝台の上に広がる。近づく唇から逃れようと顔を逸らすと、うなじが白く透けた。
「離して……くれ……。いやだ……」
 カイの口調が懇願するものに変わった。見れば、深碧の瞳から大粒の涙が零れ落ちている。
 その雫の煌きを見た刹那、タウの体の中で蠢いていた物がすっと引いていった。
「すまなかった。どうかしてた、俺は」
 顔を背けたままのカイを見下ろし、タウは深く息を吐いた。
「折角おまえの事をいい奴だと思い始めていたのに」
 きつい瞳でカイが睨む。濃灰色の睫毛を伏せると瞳の上の水面が雫となってこめかみへと零れ落ちた。
「俺の剣を侮辱されたと思って、つい……」
 未だ手首の縛めを解かず、タウは再び深く息を吐いた。
 それを黙って聞いていたカイが、伏せていた睫毛をゆっくりと開ける。
「……私も悪かった。おまえにとって剣は大切なもの。それを侮辱するなど、同じ剣士として許されることではなかったな」
 タウの漆黒の瞳を見上げ、カイは口元を僅かに引き上げた。それが今の彼女にできる精一杯の謝罪だったのだ。
「ところで……」
 引き上げた唇を元に戻し、カイが言葉を繋ぐ。
「いい加減、離してくれないか。手首が痛くてかなわん」
 視線でちら、と己の手首を指し示す。
「ひとつ聞いていいか?」
 タウはまだ手首を掴んだままだ。
「この手を離しても、俺を斬ったりしないか?」
 そう問うたタウの顔は、心なし引き攣っていた。