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銀の剣士


〜五〜


 タウは、ここへ、とカイの細く長い指で指し示された椅子に掛けた。卓を挟んで向かい合う椅子には、カイがゆっくりと腰を下ろす。
「ミリィはどうした?」
 二人の他に人の気配がしないのを感じ、タウが辺りを見回す。卓の端の方には、昨日採って来た木の実がきれいに洗われ、水切り籠の中で仄かに光って見えた。
「もう日は高い。おまえが眠っている間に、また森へ木の実を採りに行った」
 卓の上に肘をつき、カイはすっと伸びたしなやかな指を組む。指先に顎を乗せ、上目遣いにタウの双眸をじっと覗き込んだ。
 タウは、と言えば、寝不足の考えの足りない頭であったとはいえ、あのような真似をしてしまった後だ。どことなく気後れしてしまって、カイの目を見ることができないでいた。漆黒の瞳を所在なさげに彷徨わせ、何度もその長い足を組替える。
「なあ……あの……手、痛くないか?」
 彷徨わせた視線の先に、ほんのり赤みを帯びたカイの手首が映った。タウの瞳がちらりとカイを窺い、剣の修行で節くれだった手が彼女の手首に伸ばされる。だがその指先はカイの手首に届くことなく、いたわろうとした相手の手によって振り払われた。
「心配には及ばん」
 振り払った指先をまた元のように優雅な仕草で組みなおすと、カイは冷たい微笑みをその美貌に浮かべる。
「おまえにまた、あのような真似をされてはかなわない。これは黙っているつもりだったが……良い事を教えてやろう。私の『事情』とやらをな。どうだ、聞きたいか?」
 微笑んだ口元を笑みの形に引き上げたまま、カイは声色だけを低く落とした。
 それはまるで重大な秘め事を打ち明ける前触れのような、それでいて、さほどには重要には思っていないような、曖昧な空気だった。
「この話を聞けば、おまえは私と共にいようなどと思わなくなるであろうしな」
 むしろ楽しげとも取れる口調で、カイは未だタウの双眸を見据えたままだ。
「どんな事情があっても、俺はおまえに愛想をつかしたりなどしない」
 負けじと深碧の瞳を見返し、そう言い切ったタウだった。
 組んだ時と同じように優雅な仕草で指をほどき、カイは、すっと立ち上がった。飾り棚の上の小瓶を手に取り、しばらくの間それに目を落とす。掌の中に大事そうに包み込むと、中に閉じ込められた柔らかそうな金の糸がサラリと形を変えた。
「何に見える?」
 卓に戻り、タウの前に小瓶を据えて、カイはまた指を組む。その先の深碧の瞳はもう笑ってはおらず、むしろ寂しげである。
「誰かの……髪か?」
 美しい髪だった。柔らかく細い、まだ無垢な髪。
「ミリィの子の髪だ。赤子の内に死んだ」
 カイは組んだ指に額を押し付ける。
「そして私の追う者は……」
 顔を上げ、タウの瞳の闇に映る己の姿を見据えると、一層低い、男とまごう程の声で短い言葉を吐き出した。
「術師」


 ――蒼い月が二人を見ていた
 ――愛ゆえか、それとも心の隙間を埋めるためであったのか
 ――銀の髪の美しい剣士と
 ――金の髪の雄々しい剣士
 ――確かに二人は熱い吐息を交わした

 折しもオルセイヌ王都では華やかな祭りが催されていた。
 遠く離れたアスティリアの都、クシーの屋敷。寝台の上の一組の影は深い悲しみと至上の喜びに震えていた。
 剣の師であり、五つ年上の従兄殿のクシーと生きる。それは女として生きるという事だった。男として生きたい、剣士としてクレイオス家の名を上げ、父に認められたい。その一念で生きてきたカイにとって、この決断は身を裂かれる程の苦痛だった。だが、このままクレイオス家に留まっていても、父の勧める縁談を受け入れなければならない。どちらの道を選んだとしても、もはやカイには女として生きるより他、残された道は無かった。
 足元が崩れる感覚に怯え、差し伸べられた手に縋ってしまった。
「他所の男のもとに嫁ぐくらいなら、俺のものになれ」
 クシーはそう言った。ならばこの身を預けてしまえばいい。全部壊して、自分という人間を最初から作り直せばいい。目の前の優しい従兄殿はずっと見守っていてくれるのだろう。優しく、厳しく、カイに剣を教えてくれた時のように。
 ――チリリッ
 不意に、頭の芯に小さな針を突き込むような感覚。
「待て、クシー」
 カイは夜具を引き上げ、寝台の上に身を起こした。
「どうした?」
 遅れてクシーも片肘をついて起き上がる。
「何かが……」
 火照った体に夜具を巻きつけ、カイは窓辺に歩み寄る。姿が見えないように窓枠の縁に隠れるようにして立ち、外を窺う。蒼い月に照らされた庭は、蒼く沈んで何の気配も感じられない。
 気のせいだったかと、カイはくるりと踵を返し、クシーの待つ寝台へと歩を進める。蒼い月の光が銀の髪に映って、カイの髪までが蒼く光った。
 ――ゾクッ
 今度は背を走る悪寒。カイは歩みを止めた。
 ――何の……気配……?――
 振り返らず、背中で外の気配を探る。
「衣装をつけろ」
 短く小さな声でクシーに告げる。カイの凛とした声に、クシーは何も言わず従った。寝台の下に脱ぎ散らかされた衣装をつける。カイもその傍らに滑り込み、体に巻きつけていた夜具を剥ぎ取ると、自身の衣装を手に取った。


 同じ魂を持つ者よ
 我が傍らに疾く来よ
 気配は近い

「うう……っ」
 突然頭の中に響く声。同時に鋭い痛みが体中を駆け巡り、カイは耐え切れずに頭を押さえ、その場にうずくまった。まだ腕を通していなかった衣装が乱れ、白い肩が覗く。
「どうした! 大丈夫か?」
 クシーの手がカイの背にまわされた。カイは膝をつき、頭を押さえて赤子のように丸くなったままだ。女であってもカイは剣の修行を積んだ剣士、いかなる時にも決して弱音を吐いたりしない。呻きはするものの、暴れることはなかった。だが、そうやって耐えて震える肩が、却ってカイの苦しみを表していた。
「術……師」
 切れ切れに千切れそうな意識の下から、カイはやっとの事でそれだけを告げる。
 自分と同じ魂を持つ者――術師が近くにいると。
 大気の精霊がこの身を押さえつけているのが感じられる。ねっとりと意思を持って、それはカイの体にまとわりついていた。
 突然、意識の闇が白くなる。押さえ込まれていた思考が解放され、痛みが遠のく。体は依然重く沈んで動かぬままだが、不思議と頭の中は冴え渡っていた。
 ――誰だ――
 気を研ぎ澄まし、問い掛けてみる。
 ――誰だ、と問うたか――
 短い答えが返った。
 ――術師……だな――
 ――ふふ……術師、と一括りにする――
 低く笑う気配。
 古来、術師とは万物に宿る精霊を、言霊を使って操る者とされる。その数は少なく……いや、現実にいるのかいないのかさえも判らない存在、とされていた。人には判らぬ気配を操り、力の度合いによっては人を殺めることすらできる。そのため国の史にあっては軍事に利用されたという記述もあり、だがその実、多くの人々の畏怖の対象ともされていた。
 突然、蒼い闇が窓辺に忍び込み、濃い影となった。それはゆっくりと立ち上がって次第に人の姿を形作り、長い上衣を引きずった黒い人影となる。
「誰だ!」
 クシーが叫ぶ。寝台に立て掛けてあった剣をとり、鞘を払う。蒼い月が刀身に映って、剣呑に光った。
「笑止。そんな剣でわたしに挑む気か」
 平坦な抑揚の無い声。大気の精霊を操り、声を変えているのか。顔かたちも闇の精霊によって覆い隠されていた。
 依然、カイは立ち上がれない。
 言葉も無く、クシーは短い気合を吐いただけで術師に斬りかかった。右を突けば左に、左を突けば後ろにと、術師はまるで楽しむように紙一重のところでクシーの剣をかわす。無駄な動きは一切ない。もしこれが平穏な時であったなら、目の前に繰り広げられる光景は予め手順の決められた剣舞のようでさえあった。
「遊びはおしまいだ。わたしの魂の片割れを返してもらおうか」
 術師の抑揚の無い声が告げる。
「魂の片割れ……?」
 クシーが訝る。ぐるりと部屋を見回し、寝台の脇に未だ立ち上がれずにうずくまっているカイを認めた。
「あいつが……おまえの片割れだと言うのか?」
「そうだ」
「渡すかっ!」
 クシーが激昂するのを初めて見た、とカイは動けぬ体の内で感じた。顔は見えないが、その怒りは離れたところにいるカイにまで伝わってくる。
「だめ……だ、逃げ……クシ……」
 声を絞り出すが、クシーには届かない。重い腕をなんとか引きずるようにして印を結び、術師に対峙しようとする。
 ともすれば霞みそうになる視界に、上衣の下で術師がゆっくりと印を結びかける気配を感じた。
「……!」
 カイの口は重く、言霊がうまく紡げない。念ずる気に誘われて蒼い月の光の精霊が降りてくるのが感じられる。
 術師の印が結ばれた。その指の間から除々に膨れ出す赤い光。
 カイもようやく印を結ぶ。言霊は、まだ紡げない。蒼い光が印の内に膨れ出す。だが、従う言霊を持たない精霊は気まぐれに……。
 赤と蒼がぶつかり合う。力を加減することもなく暴れまわる蒼い精霊は傍らのクシーをも呑み込んだ。
 ――突然の閃光
 ――地の揺らぎ
 眩惑(げんわく)から醒めた視界に、金の(はな)が舞った――
『クシーッッッッ!』


 床の上に横たわる、もう動かない体。つい先程まで、自分を愛しんでくれた暖かい手。熱く見つめられた、その蒼い瞳……。
 カイは重い体を引きずって、クシーの体に向かって這っていった。前を留めていなかった衣装が肩から外れ、きめの細かい白い肌が露になる。だがそれさえ意に介さない様子で、無心に這いつづけた。
 ――嘘だと言ってくれ――
 ずるり。
 ――誰か、嘘だと……!――
 不安定な言霊を紡いで、結果的にクシーの命を奪ったのが自分だと、認めたくなかった。ここに横たわる体は、他の者だと思いたかった。自分を救おうとしてくれたクシーを、その自分が傷つけたのではないと……!
「美しいな」
 クシーに向かって伸ばされた手は、別の手によって摘み取られた。手首を掴まれ、ただでさえ動かぬ体は簡単に動きを止めた。
「この肌をあの男に与えたのか?」
 術師の平坦な声がぴりりと震えた。
「……許さぬ。わたしの魂の片割れよ……」
 カイにはもう抗う力さえ、残ってはいなかった。動かぬ体は簡単に弄ばれ、術師の意のままになる。
 ――何故だ――
 ――何故『私』なのだ――
 力でねじ伏せられる耐えがたい屈辱に、ともすれば手放してしまいたくなる意識をぐっと耐え、カイは首を巡らせた。剣を握ったままのクシーの手。
 ――この剣には私の脇腹の血が染み込んでいる
 立合いの最中、カイがかわし切れずに受けた剣の傷。その脇腹に刻まれた一筋の引き攣れを、今、術師の指がなぞっている。
 カイの手がクシーの剣へと伸ばされた。気配を殺してその柄を握る。術師がカイの胎内に精を放ち、刹那、彼女の体を押さえ込んでいた言霊が弾けた。同時に目にも留まらぬ速さで剣が薙ぎ払われる。
「……っ!」
 長い上衣の下に、確かな手応え。背に傷を負った術師は、ゆらりと立ち上がった。
「いつかまた……(まみ)えようぞ」
 不穏な言葉を残し、その影は蒼い闇となって消えた。


 その存在さえ稀有な術師によってクシーの命は取られたのだと、イティオス伯には伝えられた。自分の直属の血筋に繋がる者を失った伯の悲しみは、周りの者の涙を誘った。だが、最初の内こそ術師を憎む言葉を吐き出していた伯も、次第に諦めがついたのか、恨み言や繰言をその口の端に乗せることは無くなった。
 カイは、例えそれがクシーを護ろうとしてやったことであったにせよ、自分の不安定な言霊がクシーの命を儚くさせたのだと思うと、やり切れなかった。家の手前、そして己自身のために術師であると言ってしまえない自分をも情けなく思い、鬱々とした日々を自室に篭って過ごしていた。
 だが……。
「カイ様、この頃食が進みませんのね」
 昔から屋敷に仕えている侍女のミリィが、カイの皿を下げながら心配顔で言った。
「ああ。まだ思い切れていないらしい」
 カイは力なく答えた。クシーの死から随分経っても、一向に気分は良くならない。それは自分だけが知る秘密のせいなのか。賄い方が丹精込めて用意した食べ物を見ても、どうにも食欲が湧かなかった。
 だが、もともと食の細い方であったカイは、ことさら心配してはいなかった。
 しばらくすれば、またいつものように食べられるようになるだろう。それよりも。今は父が持ってきた縁談も棚上げとされているが、いつまたそんな話が蒸し返されるかも知れない。こんな状態のままでは、それに対峙することもできない。
 剣の稽古もまた始めなければ。そのためにも一日も早く、気持ちを切り替えて……。


 カイの変化にいち早く気づいたのは、やはりミリィだった。
「おかしいんだ。あまり食べていないのに、この頃衣装がきつくなったような気がする。やはり相手が力及ばぬ者だと稽古不足になっていかんな」
 少し大きめの衣装を仕立ててくれないかと、カイは脱いだ衣装を手に仕事部屋を覗きに来た。
 しばらく涼やかな深碧の瞳を見上げていたミリィが、その瞳の主を物陰に引き込む。
「カイ様。大変ぶしつけな事をお伺いしますが……」
 しばし言い淀んで、だが意を決したように顔を上げると真っ直ぐにカイの双眸を覗き込んだ。
「月のものは、ちゃんとございますか?」
 カイの手から上質の絹でしつらえられた衣装が滑り落ちる。
「ミリィ……私は……」
 震える喉から搾り出したカイの声はかすれていた。
 クシーの死で気持ちが不安定になっていたのだ。食欲が無かったのもそのせいだと思い込んでしまったのも無理はない。ただでさえ女として生きることに疎いカイのこと。自分の身に新しい命が宿っていることに気づかなくても、それは責められることではなかった。
 ミリィの見立てでは、カイの腹の子は五箇月に入ったところだった。もう後には引けない。
 自分より高い身の丈のカイ。その頼りなく震える背を優しく撫でながら、ミリィはそばかすの愛らしい顔に笑みを浮かべる。心を暖かくさせる、柔らかな微笑み。カイの震えが少し小さくなった。
「私はこれから、このお屋敷を下がらせて頂きます。私はカイ様のお味方。ご心配には及びません」


 その翌日にはカイの姿は屋敷から消えていた。最低限の身の回りのものと、クシーの形見となってしまった剣だけを持って。
 侍女のミリィはそれに遅れること三日。やはり行方は知れなかった。