〜七〜
――チリリ、と頬が焼けたような気がした
――肌を刺す鋭い小さな痛み
――だが
――振り向いた先には既に何の気配もなく……
「どうした? カイ」
「いや、何でもない……」
急に歩みを止めたカイを振り返って、タウが問うた。
盗賊ならば賑やかな王都の人が集まる場所に出没するのではないか、とのタウの言葉に背中を押されるようにしてここまでやって来た。今、白銀と漆黒の二人の剣士がたたずむのは、オルセイヌの都の中心である。ぐるりと見渡せば、商家の屋根に足元を隠されながらも、オルセイヌ王宮が暮れ行く空を切り取るように美しい姿でそびえている。
商家の軒先には様々な珍しい品物が並び、土産物屋や怪しげな占いを生業とする店、そして奥まった路地には、栄える街にはつきものの妓楼が怪しげな灯りを焚いて客を待っていた。
行き交う人々は様々な髪の色に様々な瞳の色を纏い、服装も様々だ。交易の盛んな、富める国の証であった。みなぎる『気』は陽の色を帯び、七日の間続いた祭りの余韻をまだ残している。今でさえ、この賑わいだ。祭りの最中にあっては、さぞ華やかだっただろう、と二人は少々気圧され気味である。
そんな中にあって、カイはここに来てから釈然としないものを感じていた。都は確かに陽の気に溢れている。今までの、どの街よりも格段に華やいだ『気』。だがその中に、一点のほんの小さな染みのように、深く沈む『気』を感じていたのだ。邪悪とは言い難く、それでも奇妙に捻じ曲げられた『気』。
「あながち、タウの意見は間違ってはおらぬのかも知れんな」
先ほど感じた焼けるような感触が微かに残る頬を指先でなぞりながら、カイは低く呟いた。
「おまえ、やっぱりその銀の髪は目立つな。すれ違う奴らがみんなおまえを振り返って行くぞ」
足早に歩を進めるカイの脇にぴったり添うようにして、漆黒のタウがそっと耳打ちした。
都の人々は皆、小綺麗な衣装を纏っている。いくら旅の途中だとはいえ、裾の擦り切れた上衣を頭から被っていたのでは却って不審な者のように見えるからと、カイは上衣を脱いでその見事な銀髪を惜しげもなく人目に晒している。足早に風を切って歩く背に銀の糸が長くゆるやかに舞い、腰につけたクシーの形見の剣も、暮れ行く日の光に美しい象嵌を煌かせていた。
寄り添うタウは、上衣を全部脱いでしまうことはせず、上質な漆黒の布を肩から流している。イティオス伯の屋敷で替えてもらった新しい衣は、小綺麗な都の人々の装いに溶け込んで見えた。もとより整った顔立ちの男。まるで死の使いのような闇色を纏っていても、白銀のカイと並べばその闇色の影のように一対をなして、却って人々の視線を集めていた。
「タウ、おまえも人のことを言えんぞ。人の見る目は自分にも向けられていると気が付かないのか」
「なに?」
慌てて辺りを見回すタウを横目に、カイは肌の緊張を解いて行き交う人々の眼差しを感じてみる。無防備な肌にたくさんの視線が突き刺さる感覚に、どうあっても二人目立ってしまうのだな、と、頬に浮かんだ笑みをかみ殺すように目を伏せた。
カイの体に、ドン、と鈍い衝撃があった。一度にたくさんの『気』を窺って漫然としていた隙に、前から来る者に直前まで気が付かなかったらしい。とっさに身を捩ったがかわしきれず、背を丸めて走ってきた小柄な男とぶつかったのだ。
「すまない」
首を巡らせて振り返り、短く謝罪した後で、カイはさっきまでとは違う違和感を覚えた。
「待て」
鋭い声で男を呼び止める。カイの少し先で同じく歩みを止めたタウは、怪訝そうな面持ちでカイとその先の男を眺めている。
男の背がピクリと跳ね、その足は一瞬歩みを止めかけたが、次の瞬間一層背を丸めて走り出した。
「おいっ、聞こえないのか! 待つんだ!」
男の背に向かって言葉を重ね、カイは後を追った。少し遅れてタウも後を追う。
「金をすられた」
走りながらも息を乱すことなく、カイは後ろに従う足音に向かって小さく舌打ちした。
男は捕まらないように用心してか、角を曲がり細い路地を抜け、小柄な体格を生かして逃げる。だが続くカイも、柔らかな身のこなしで難なくそれを追った。
「埒があかない」
イティオス伯に工面してもらったばかりの金だ。これからの旅の大事な軍資金である。ここでおめおめと見ず知らずの貧相な男にくれてやるわけにはいかない。
走りながら印を結び、それと判らぬように早口で言霊を紡ぐ。と、男の目の前の立て看板が風も無いのにぐらりと
軋んで倒れこんで来た。
「うわっ」
立て看板に絡まり、情けない声を上げて男はその場に派手に転んだ。だがすぐに起き上がって走り出そうとする。
ひらりと高く跳び、カイがその行く手を遮った。
「観念してもらおうか。盗ったものを返してくれれば、手荒なことはしない」
腰につけた剣の柄に手を掛けながら、カイは碧の瞳で鋭く相手の目を射る。見れば、まだ少年のようであった。少しばかりの怯えを必死に押さえ込もうと、きつい目でカイを見返し、次の瞬間、身を翻して元来た方角に走り出そうとする。しかしその先には、漆黒の死の使いが剣の柄に右手を掛け、鞘を握った左の親指で柄を押し出しながら立っていた。少しでも動きあらば、いつでも鞘を払える状態である。
「ひっ」
盗人は小さな悲鳴を喉の奥で押し殺す。
穏やかな時は飄々としてさえ見えるタウの瞳は、今まさにギラギラと輝き、目の前に差し出された獲物に喜びを隠せない。剣士の血が沸き立っているのが傍目にも見て取れる。
腰の剣に手を掛けた剣士二人に挟まれ、とうとう盗人は観念してその場に座り込んだ。
「返せばいいんだろ」
強気な言葉とは裏腹に、獣の皮で作られた財布を差し出す手は微かに震えている。
「ちっ」
己の意に添わない手に小さく舌打ちして、盗人はずっしりと重い財布を投げてよこした。
「いい子だ」
放り出されたそれを左手で難なく受け取ると、カイは口の端を引き上げた。その碧の双眸は盗人の目を見据えたまま、右手は未だ剣の柄に添えられている。そのまま左手だけを動かし、懐へと財布を納めた。
「情けないな、ケト」
不意にカイの背後の店内から、地鳴りのような野太い声が響いた。
「……!」
ケトと呼ばれた少年は、首を縮めて店の方に目を向ける。
「そんなことじゃ、いつまで経っても一人前には扱えねえ」
薄暗い店の入り口から、染み出るように男の影が浮き上がった。声に似つかわしい、大きな体躯の男。はだけた衣装の下から覗く肩から腕にかけての筋肉が、小山のように盛り上がっている。その肌の上に彫られた竜の刺青が、筋肉の動きに合わせてうねうねと踊っていた。
「仕事に失敗したらどうなるか知っているだろう?」
いかにも、といった風体のその大男は、ケトの首根っこを掴むと、ぐい、と持ち上げた。
「ぐっ……苦しい……よ、助け……て……」
吊り上げられて、喉をつまらせたのだろう。ケトは首元をかきむしるようにして息をつこうとする。喉がひゅうと鳴って、苦しげに細められた目から一筋涙が零れた。
「まだ幼い者に、その仕打ちは無いだろう」
未だ剣の柄に手をかけたまま、カイは大男の双眸を見据える。静かな瞳の面に、少しばかりの蒼が宿った。
「ほほう。
別嬪の兄さんか。俺にたてつくとはいい度胸だ。だがやめておけ。女みたいなその腕じゃ、俺にかすり傷ひとつ負わせられやしねえ」
歪んだ口元に薄ら笑いを浮かべ、大男はますますケトを捻り上げる。このままでは
縊り殺されてしまうかも知れない。
『チャキ……』
澄んだ音を響かせて、鞘を払われたカイの剣が落陽を反射した。
「もう一度言う。その子を離せ」
低い、声。剣を構えるカイの手に力がこもった。
タウも剣を抜き払い、体の前に構える。漆黒の上衣が風を孕んでバサリ、と翻った。
「ふん」
大男は二人が剣を構えたのを見て取ると、不遜な態度で鼻を鳴らした。『ピ』と短い口笛を吹く。どこから集まって来たものか、屈強そうな男達が十人、得物を手にカイとタウを取り囲んだ。
「一人では何もできない腰抜けか」
カイの後ろでタウが苦々しく吐き捨てる。男達がじりっと間合いを詰めた。
大男もケトを地面にドサリと放り出すと、腰の剣を抜いた。縛めを解かれた細い体は、地面を転がって崩れかけた店の土壁にしたたかに背を打ち付けた。激しく咳き込んでいるが、大事ないようだ。それを見て取り、カイは身を翻してタウの背にぴったりと自分の背を沿わせた。
「侮るなよ」
「判っている」
背中越しに小声で言葉を交わし、白銀と漆黒が地を蹴って跳んだ。
『ガッ……』
重厚な金属と金属がぶつかる鈍い音。カイの剣が、タウの剣が、相手の得物を薙ぎ払い、僅かな隙をついてそれぞれ一人目の男達に手傷を負わせる。カイは足を狙い、タウは効き腕を狙った。
一人目を倒したカイの剣の柄に、脇から鎖が跳んで巻きつく。ぐいっと引かれて剣の自由を奪われた。鎖の先には舌なめずりをする男の顔。その双眸を碧の眼差しが射抜き、鎖を引く手と剣を握る手との力の均衡がふっと崩される。僅かに生じた鎖の緩みを縫って、カイの手首が翻った。はらりと外れる鎖。男の顔が凍りついた。その眼前にひらりと舞い降り、カイがその唇を美しい弓形に引き上げる。それを美しい、と認める間も無く、男は斜めに薙ぎ払われた刃に倒れた。
タウも荒々しく剣を振るう。カイが認めた剣筋は、今倒すべき相手を見つけて存分にその力を見せ付けている。無駄の無い刃の軌跡に赤い華が舞った。
白銀の天の使いと漆黒の死の使い。二人が剣を手に乱れ舞う様は、美しい絵画のようでもあった。
最後の一人。竜の刺青の大男が剣を体の前で構えてじりりと間合いを詰めた。女のような、と自らが揶揄した剣士にここまでやられるとは思ってもみなかったのだろう。その目からは余裕の色が消え、僅かながら焦燥感が見て取れる。
「何を、焦っている?」
剣先をピタリと相手の首筋に向けたまま、微動だにせずにカイは問うた。
「うる……さいっ」
大男が堪えきれずに先に剣を突き出す。僅かに身を捩ってその切っ先をかわすと、カイは勢い込んで前のめりになった大男の背に向き直った。
「剣を使うならば、それに見合った心眼も磨かねばな」
背中越しに大男の首筋に剣をあてがう。ひんやりと冷たい刃の感触がなめし皮のような肌に染み込み、大男の額に冷たい汗の粒が浮かんだ。
「やるなら……やれ」
野太い、掠れた声。その目は半眼となり、後ろで剣を突き出す銀の剣士の、見えない美貌を窺っていた。
「ひとつ聞きたいことがある」
凜とした声に、風が絡む。鮮やかな剣舞で舞い上がった土煙が、ゴウ、と音を立てて空の彼方に吹き上げられた。
「おまえの仲間に腕のたつ術師はいるか?」
「術師……? そんなもの、お目にかかった事はねぇよ」
「そうか」
小さく吐かれた息の音が聞こえ、カイの刃が大男の首筋から離れた。そのほんの少しの隙を見逃さず、大男は踵を返すとカイに向かって剣を突き出した。
『ガッ』
鈍い音と共に大男の体躯が前のめりになる。男のみぞおちに、後ろ手に突き出されたカイの剣の柄が深々と打ちつけられていた。男の手から剣が零れる。澄んだ金属音が、辺りに響いた。
「心眼を磨けと言っただろう」
除々に崩れていく大男の頬を、甘やかな吐息と共にカイの銀髪がさらりと撫でた。
「ケト」
男が、どうっ、と倒れると、カイが少年を振り返った。
「はいっ」
店の土壁に背をもたせかけたまま、呆気に取られたように事の成り行きを見守っていたケトが、弾かれたように背筋を伸ばす。
「いくつだ?」
「十六……う……十五」
消え入りそうな語尾で、少年が応えた。
「十五か。今ならどこかの商家でも使ってくれる。盗賊の仲間になどならずに、真っ当に生きろ」
十五で自分の運命も変わったのだったと思い出し、カイは唇の端を僅かに引き上げた。ケトが頷くのを見届けると、剣を鞘におさめてタウに向き直る。
「殺していないだろうな」
漆黒の瞳と周りに倒れている男達とを見比べて問う。
「急所は外してある。命が続くかどうかはこいつらの運次第だな」
同じく剣を鞘に戻し、タウは己の手にしっとりと滲んだ汗を払うように指を曲げ伸ばしする。立ち回りで乱れた黒髪をもう一度束ね直すと、地面に転がる男達を顎でしゃくった。
「大丈夫そうだ。みんな僅かだが動いている」
タウはまるで自分はただの見物人であるかのように飄々とした声で言った。
その言葉に瞳の色を和らげ、カイは地面でのた打ち回る刺青の大男の髪を掴んだ。そのままぐいっと顔を仰向かせる。
「……だそうだ。私達は命まで取りはしない。正気になったら皆の傷の手当てでもしてやれ。頭となるにはその位の度量も必要だ」
低く、凜とした声でそれだけを告げると、不意に髪を絡め取っていた指を緩める。大男は地面に鼻面をしたたかに打ち付けて、一層くぐもった呻き声をあげた。
商家の角に、壁に沿うようにして立つ人影。その双眸がじっと見つめているのに、白銀と漆黒の二人の剣士はまだ気が付いていなかった。
――その気配
――我が魂の片割れよ
――疾く来よ
――疾く……
「術師……と?」
ファイ・ユピテル・オルセイヌは、オルセイヌ宮殿の王の間の窓から見える景色を眼下に眺めながら、宰相の話を背中で聞いていた。
「は。城下にてそれらしき者を見たという報告が参っております」
頭を垂れたまま、宰相は王の背中に報告する。偶然非番で城下にいた者が、術師らしき者が言霊を使うのを見たと言うのだ。術師を探せ、との命を賜ってより、たくさんの月日が流れた。この報告によって王の機嫌が少しでも良くなればいい、と宰相は思った。
「それで? 術師はどこにいる」
「それが……見失いましてございます。このオルセイヌ王宮内ならばいざ知らず、城下で術師と対峙することは、並の者では無理だと思われます」
オルセイヌの王は気まぐれだ。機嫌の悪い時の彼は、蛇よりも恐ろしい。美しい顔に酷な笑みを乗せて、平気で人を縊り殺す。
背まで丸めるようにして、宰相は嵐が起きないことを願った。
「ならばわたしが出向こう」
金の髪をさらりと翻し、ファイが振り向く。その唇の両端は、新しい生贄を見つけた荒ぶる神のように弓形に引き上げられ、蒼の双眸が冷酷な光を宿していた。