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銀の剣士


〜十一〜


 深い、蒼。
 水底に沈んで行くような、蒼。
 白い喉に食い込むしなやかな指先が、カイの鼓動に合わせて脈打っているようだ。
 唇には柔らかな縛め。
 カイは、ふと、意識を手放しかけた。刹那、王の指が緩む。カイの視界を彩っていた蒼の双眸が細められた。
「まだ……できぬか」
 離れていくファイの唇から漏れた、冷たく甘い吐息が(ささや)く。
 一気に全ての縛めを解かれ、カイは寝台の上に仰向いたまま、激しく咳き込んだ。咳き込みながら、王の言葉を反芻する。
 ――できぬとは……何を?――
「強くなれ」
 身を起こし、ファイは立ち上がった。金の髪がふわり、と風を(はら)んだ。
「強くなれ。この王宮内においても、わたしの縛めを跳ね退けられる程に」
 カイも、動かぬ身体を無理に引き起こそうともがく。腕に力をいれて、肩先を寝台から引き剥がした。
「そ……れは……術師として……?」
 半身を起こした姿勢で、渾身の力を唇に込める。女にしては低い声。剣士として、男として生きてきたカイの、切ない意地だった。
「そうだ。術師を封じ込めるこの王宮内においても、言霊を紡げる程にな。そなた、名はなんという?」
 ファイが問う。
「カイ……」
 名を言ったところで、カイは言い澱んだ。
「カイ……何だ?」
 更に問う、ファイ。
「……カイ・クレイオス」


 ――守りたかった人――
 ――守りたかった意地――
 ――ひと目なりとも見たいと思った王が、ここにいる――
 ――私は……この王に仕えるべきなのか……?――


「兄貴、銀髪の兄ちゃんを探してるんだろ?」
 茂みの中で、まだ顔を引き攣らせたまま、ケトは視線で王宮を指した。
「何故それを?」
 タウの眉尻がピクリと上がり、黒い瞳に少しばかりの剣呑さが宿った。
 それに気圧されて、ケトがジリリ、と一歩下がる。
「おいら、見てたんだ。銀髪の兄ちゃんが白い馬に乗っけられて、ここの城門をくぐるのを、さ」
 側にはだれもいないというのに、ケトはここで一層声を潜めた。
「王宮ん中に入る方法、教えてやろうか」
「なっ……! 盗賊みたいな真似はでき……んぐ!」
 知らず、タウの声が大きくなる。慌てたケトが、全てを言い終わらない内にタウの口を押さえた。
「んぐぐ……」
 すばしっこさでは、小柄なケトには敵わない。剣ならば誰にも……いや、カイ以外には負けない自信はあるのだが、ケト相手に剣を振るうわけにはいかない。しっかりとタウの口を押さえ込んだまま右へ左へと身を翻す少年を相手に、タウの拳は空しく宙を突いた。


「カイ、か。良い名だ。クレイオス家の娘か。あの男も変わった男よの。自分の娘にこんな(なり)をさせおって」
 ファイの指先が再びカイの破れた襟元をつまむ。なだらかな曲線を描く胸元が、ピクリと跳ねた。
 これは自分の意志でやっている事だと……今のカイには、そう反論する力は残っていない。もうカイは抗わなかった。美しい細工の施された天井を見据え、されるがままになっている。
「おかげでそなたを探すのに手間取ったわ。うまく隠れたものよ」
 ファイの唇が冷淡な笑みを刻む。凄烈な美しさ。見る者を心の底から凍えさせるような笑み。
 カイは素直に、美しい、と思った。
 美しい王の冷たい笑みに、何故だかふと、クシーの柔らかな笑みが重なって消える。
 同じ瞳の色。同じ髪の色。
 優しかった、カイにとって只一人の理解者だった、五つ年上の従兄殿。
 だが目の前の王は全く違う。冷たい美貌。王の指が食い込んだ喉が、まだ熱を帯びて脈打っているようだ。ともすれば力でねじ伏せられてしまいそうになる。
 力で……。
 ぞく、と背筋に悪寒が走った。
 あの夜の事を思い出したのだ。強大な力を持つ術師に会った夜。
 ――私は探さねば――
 探して、見極めなければ。こんなところでぐずぐずしている時間は無い。


 カイは身体を起こそうとした。叶わないと判っていたが、どうしてもここから逃れたかった。
「無駄な事を。そうまでして何故逃れようとする? ここにいれば好きに暮らせる。わたしの傍らに仕えよ、カイ」
 襟元の布を指先で弄んだまま、ファイはむしろ楽しむような口調で言った。
 カイは、その王の蒼い双眸を、キッと見据える。王の蒼にはカイの碧が、カイの碧には王の蒼が突き刺さった。
「私には……探さねば……ならない者……が、いま……す」
 やっとの思いで口にする。だが、少しずつではあるが、カイの紡ぐ言葉は滑らかになっていった。
「ほう。これだけの短い間に、ここまで話せるようになるとは。これは楽しみ」
 再び王の顔がカイに近づく。唇に唇を重ねられ、カイは眉根を寄せた。
「そのように嫌がるな。そなたは、これからは共に暮らし、術師としてわたしの役にたって貰うのだからな」
 ふふふ、とファイの口元が緩む。
「王、術師なら……私より力の……強い者……知っています。私の……探さねばならない……者……」
 一縷の望みをかけて。自分が自由になり、術師をも探し出す方法。
 あの術師なら、自分よりも王の役に立つだろう。もっとも、あの術師が王に従うならば、の話だが。そうやって彼を探し出したなら、王の手に渡す前に自分は見極めるのだ。術師が自分を『魂の片割れ』と呼んだその訳を。そして自分が産み落とした子の父親がクシーなのか、術師なのか。その為にも、彼を探させて欲しい、と懇願するつもりだった。


 二人の間に、不思議な沈黙が流れた。それは少しの間だったのか、それともしばらくの間だったのか。
「その術師を探し出して、そなたはどうするつもりなのだ」
 ひどく冷たい声だった。先ほどまでの、からかいの混ざった傲慢な態度ではない。
 こちらを牽制するような、戦いの一瞬の手前のような……。
「私は……見極めねばなりません」
 次第に滑らかになる、カイの声。
 ファイの瞳が、すぅっとカイの身体の上を滑った。


 依然、タウの口はケトの手によって塞がれたまま。
「いいか、そのままで大人しく聞いてくれよ、兄貴」
 ケトの口調が、少し大人びたものになる。真摯な光を帯びた瞳に、タウは突き出した最後の拳を引っ込めた。
 タウが大人しくなったのを見て取ると、ケトはゆっくり口を覆っていた手を離す。
 ようやく自由になった口から、タウは深く息を吸い込んだ。
「……で、何だ」
 半分ふてくされたような声で、タウは尋ねる。
「おいら、昔は盗賊なんかじゃなかったんだ。おやじが生きている間はね」
 ケトはゆっくりと話し始めた。
 ケトの幼い頃、母親は死んだ。母親が死んだ後は、商いをしていた父親が、男手一つでケトを育ててくれた。
 父親の商いは繁盛し、扱っていた品物が珍しい異国のものだった事も有って、時々は王宮内に出入りを許されるようになった。
 幼い子供を連れた出入りの商人は、たちまち女官達の人気を得た。父親が商いをしている間、子供だったケトは女官に連れられて王宮内を歩き回ったものだ。相手が子供という事もあり、女官達は警戒心も薄れたのだろう。ちょっとした隠し通路などにもケトを連れて行ったりもしたのだ。
「だからさ、おいらについてくれば、城門を通らなくても女官達しか知らない抜け道を通って中に忍び込むことだって、できるってわけさ」
 しばらくの沈黙。
 どうしたものか。それはとても後ろめたい事のように思えた。
 隠し通路を使って王宮に忍び込む。まるで盗賊だ。
 だが……。
 囚われの身となってしまったカイを助け出すには、そうやって忍び込むしか方法は無いようにも思えた。
 タウは白くなる程、唇を噛んだ。ややあって、小さくひとつ、息をつく。
「すまない……頼む、案内してくれ」


「術師を探し出して、そなたは何を見極める?」
 ファイは、なおも言い募った。
 高貴な者だけが纏うことを許された、贅をつくした香がカイの鼻先をかすめる。
「それは……言えません」
 蒼の瞳を見据えたまま、負けじとカイは声に張りを持たせた。
 まだ言霊を紡ぐには程遠い強さだが、言葉は切れ切れにならずにファイの耳にも届いた。
「王のわたしが望んでも、か?」
 顎先を下げ、上目遣いにカイの瞳を覗き込むと、ファイはゆっくりと確かめるように問うた。
「王の御前であるが故」
 瞳にきつく力を込め、カイも自らの意思を確かめるように答えた。
「これは私と術師との間のこと。王のお耳に入れることではございません」
 カイは仰向いたまま、寝台の上にぎゅっと爪を立てた。己の心を叱咤するように、拳に力を込める。不規則に波打った上質の敷布は、美しい襞模様を描いた。
「ふ……ふふふ……はは……」
 突然、ファイがくぐもった笑い声を漏らした。次第にそれは高くなり、大きなものとなる。
「ははは……術師とそなたとの間の事、か。王のわたしには関係ない、と。そう言うのだな? ……っくっくく……」
 なおも笑い声を立てるファイ。身体を前後に揺らし、さも可笑しそうに。
 カイは、そんな王の姿を、ただ見上げるだけだった。
 何が可笑しいのか。王に従わない娘を口実に、クレイオスの家を滅ぼそうとでも言うのか。
 目の前で腰を折って笑いつづける王を眺めながら、カイはその心中を推し量りかねていた。
「ならば……」
 ひとしきり笑い終わると、ファイは目尻の雫を指で弾いた。
「そなたの言う術師にならば、話せると言うのだな?」
 そう言い放ったファイの瞳の蒼が深くなる。
「王……?」
 何をするつもりなのかと問うつもりだった。
『パァ……ン!』
 ――何――
 突然カイの身体の中で何かが弾け飛んだ。手足が重く、枷をはめられたように寝台の上に縫いとめられる。
 目の前の王の美貌が(もや)に隠されるように、除々に曖昧になっていく。輪郭が薄れ、誰なのか判らなくなっていった。
「どうした。まだ思い出さぬか」
 カイの耳に届いたその声は、先ほどまでの王の声では無かった。
 平坦な抑揚の無い声。それは……。
「お……まえ……はっ!」
 カイの瞳に映る姿、耳に届くその声。
 あの夜から一時なりとも忘れたことは無い。赤い砂地を越え、国々を渡って訪ね歩いた日々。
 長い間捜し求めていた術師が、王の衣装を纏ってそこに立っていた。