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銀の剣士


〜十二〜


「嘘……だ……」
 捜し求めた術師。その彼が目の前にいる。だがそれは、カイにとって思ってもみない再会であった。
 王が……一国の王が術師だったとは。あの夜、この身に刻まれた屈辱は、未だ消えることなく残っている。その相手がオルセイヌ国王だったとは……!
「信じられないようだな」
 ファイの声が、すうっと元に戻り、カイの身体を縫いとめていた力が緩む。先ほどまで曖昧だった王の顔が、もとの美貌に戻った。
 ファイの手が、するりと自らの衣装の上を滑る。結び目を一つ一つ解き、はらりと上着を脱ぎ落とした。そのままくるりと半身を捻り、こちらに背を向ける。その背を滝のように流れ落ちる金の髪が、風に弄ばれてふわりと踊った。
 (あら)わになった肌に、くっきりと残る一筋の引き攣れ。一目で剣によって傷つけられた跡だと見て取れる。
 これは……。
「覚えているだろう。そなたがわたしに負わせた傷だ。よもや忘れたとは言うまいな?」
 背中越しに、ファイはふふ、と笑った。
 ――……覚えている!――
 クシーの亡骸の傍らで、クシーの剣を使って付けた傷だ。忘れられる筈が無い。
「では……何故、王が術師なのですか」
 搾り出すような、苦渋に満ちた声。カイは王を見上げたまま、瞬きすら忘れて問うた。
 ファイは衣装を整え、カイに向き直る。
「王だから術師なのだよ」
 そのまま薄い笑いを浮かべて、カイの瞳を探るように見据えた。
「王だから……?」
「オルセイヌ王室には数十年に一人、正統な術師が生まれる。それがわたしだ。わたしの『力』は王族の証なのだ」
「嘘だ! 街にも術師の存在は知られている。かつて術師がいたと、皆が知っている! それに……現に、私にも言霊が使えるではないか!」
 カイは声を荒げた。
「……やはり、そなたは覚えてはおらぬのだな」
 無礼な物言いを咎めもせず、意味ありげな笑みのまま、ファイはふと視線を外した。
 窓の外にはなにも無かったような青空。一点の曇りも無い、まっ青な空が広がっている。
「街で知られている術師とは、少しばかり『念ずる力』の強い者の事だ。王族の力はそんなものでは無い。だから王族を術師と呼ぶのは語弊があるかも知れんな」


『ふふ……術師、と一括りにする』

 最初に会った時、低く笑われた声を思い出す。この事を言っていたのか。カイはただ黙って、王の口許を見つめていた。
「王宮には術師を封じ込める力がある、と言ったであろう? それは術師から王族を守るためではない。王族からこの王宮を守るため、なのだ」
「王宮を守るため?」
 本心を隠したまま笑む王に向かって、カイはその言葉尻を返した。
「それ程、王族の『力』は強い。まるで化け物だ。そしてそれは代を重ねる毎に除々に強まっている。一人では背負いきれない程に、な」
 青い、青い、空。それを見上げるファイの瞳は、それを映して、いっそう蒼色を深める。
 何を思っているのか。一人では背負いきれない力を持っているというのは、王自身のことなのか。自身の力を化け物と呼び、そのくせカイの力をも欲しがるとは。
「一人では背負いきれない程に……」
 自然とカイの口から言葉が漏れた。蒼の双眸から視線を外し、除々にその瞳は王の身体をなぞって下りていく。何かの答えを探すように彷徨わせた視線の先には、己の影を落とす敷布の襞があった。
 俯いて、握って白くなった手の甲を見つめたまま、カイは『もしや』と思い当たる。
 ファイがコツコツと靴音を響かせて更に近づく。腰を折って、重大な秘密を打ち明ける時のようにカイの耳元に囁いた。
「そう。一人では背負いきれぬ。だからわたしの魂は分かたれた。半分はわたしに。そしてもう半分は、そなたに」
「……!」
 反射的に、カイは顎先を上げた。真っ直ぐに王の瞳を求め、そのままその蒼に縫いとめられてしまった。
「……わたしは王族ではないのに」
 魂の片割れと呼ばれたのは、このことだったのか。そう問い掛けたかった。そして何故それが自分なのか。王族でもない自分が、何故そのような魂を引き受けなければならなかったのか。
「さてな。それはわたしの知った事ではない。摂理が曲げられたのか、そなたの血筋に王族の血が混ざっていたのか……。だが現にわたしは分かたれた。母の胎内にあって、自分の魂が千切れてこの身から離れていくのを、わたしは暗い海の中からただ見守るしかなかったのだぞ。その時からだ。わたしがこの胸の渇きに苛まれはじめたのは」
 ファイの手がカイの血の気の引いた白い頬に添えられる。その手には慈しみなどこもっていない。狩りをする獣が、しとめる前に獲物をいたぶるような、そんな冷たさが伝わってくる。
「わたしはずっと渇いていた。ずっとそなたを探していた。自分の半身がもぎ取られる痛み、そなたに判るか? そなたが忘れてしまっても、わたしは覚えている。あの祭りの夜、そなたは目覚めた。そなたに何が有ったかは知らぬ。だが、その中に潜む『力』の目覚めだった」
 父に他家に嫁ぐように言われた夜のことだ。初めてカイの碧の瞳に蒼が宿り、それを違和感をもちながらも必死に耐えていた、あの日。
「王宮内にあっては、わたしはそなたを探すことはできぬ。だがあの時、わたしは城外にいたため、そなたのいる場所を知ることができた。幸運の女神などというものが存在するなら、わたしはいくらでも感謝してやる。『気』を辿って探し出し、そして、やっと我が物にしたと思ったのに……そなたはわたしにこのような傷を負わせ、そして気配を消した」
 あの後、カイはクシーを亡くした悲しみに沈み、言霊を使うことは無かった。そしてその幾月か後には、セラを産む為に、自らの行方を誰にも知らせずにいたのだった。
「わたしは王宮内にいては簡単な言霊しか紡げぬ。家臣らにそなたを探させたが……まさかそのように男の格好をしていようとはな。まんまと騙されたものよ。家臣らには『銀の髪を持つ女術師を捜せ』と命じてあったのだからな」
 言い終わると、ファイはカイの頬から指を滑らせた。白い喉を下り、肩の線をなぞって、なおも滑り落ちる。上衣の下、胸を覆い隠すように巻かれた布の始まりに触れると、指はそこで止まった。
 カイが必死に守ってきた意地。その布の下で確かに息づく曲線は、彼女が紛れも無く女性であることの証だった。
 初めて(まみ)えた夜、カイは衣装をつけていなかった。身体だけを見れば、女性であることは一目瞭然。普段から男の(なり)をして暮らしていたなどと、誰が思うだろう。王が女術師を捜していたのも道理だ。


「……では、今度はそなたが答える番だ。そなたはわたしと会って、何を見極めようと言うのだ?」
 降りていったのと逆の筋を辿って、再びファイの指が頬に戻って来た。縫いとめられたカイの瞳は、未だ王から離れることを許されていないようだ。間近に触れる剥き出しの『気』に呑まれそうになりながらも、カイはゆっくりと術師を探していた理由を思い起こす。
 ……そうだった。
 術師に会って、自らの腹を痛めて産み落とした子の父親が誰か、見極めるのだった。
 クシーの子であれば良いと思っていた。金の髪に蒼の瞳を持つ、優しかった従兄殿の子であれば良いと。
 術師に会って、その顔を見れば、クシーの子であったと確信できる。そう思っていた。
 だが目の前で艶然と笑む王はどうだ。クシーと同じ金の髪と蒼の瞳を持っている。白馬の前に転げて意識を手放す刹那、馬上の人を常世の国から蘇ったクシーだと思ったほどに。
 ――金の華が舞う――
 ――蒼の海がたゆとう――


 ゆっくりと波打つ彩りに呑まれ、カイの意識は靄がかかったようにはっきりとしなくなった。
「判らない……判らなくなってしまった。クシーも王も、同じ髪の色を持ち、同じ瞳の色を持っている……」
 王の瞳から逃れるように、カイは顔を横に逸らした。遅れて髪が彼女の頬を打つ。その銀の鞭は、王の手をも打った。
「髪と瞳の色が何だと言うのだ?」
 威厳を持った声が彼女の頭上から降り注ぐ。何故だか抗えない。カイはゆっくりと息を吐いた。
「私はあの後、子を産んだ。その子はすぐに亡くなり……金の髪と蒼の瞳を持つ子供だった。クシーの子か、術師の子か……それを見極めたかったのに」
「……子だと?」
 ファイの声色が変わる。新たな獲物を見つけた時のように高揚した声。
「後にも先にも、人と肌を重ねたのはあの時のみ。ならば二人の内のどちらかが子の父親だ」
 既にセラはこの世にはいない。いかな術師だとて、あの世の者に害をなすことはできないだろう。諦めにも似た気持ちで、カイは再び自分を見下ろす王を見上げた。
「あの男の子か、わたしの子か……見分ける良い目印を教えてやろう」
 王の目が楽しげに細められる。カイは力の抜けた瞳で、それを見ていた。
「その子の足には何か変わった事は無かったか」
 足? ……足!
 セラの右足には、ある筈の無い指がもう一本ついていなかったか。
「何故、それを?」
 思わず、頬に添えられたままの王の手を握った。ひんやりとしたその感触に、背筋が凍る思いがする。
 聞いてはいけない。これ以上聞いてしまっては、心の拠り所がなくなってしまう。
 思う心とは裏腹に、カイの耳は王の言葉の続きを待った。
「それこそが王族の証。足の指が多かったのであろう?」
 ファイはカイの指の間から手を引き剥がし、ゆっくりと靴を脱いだ。その右足には、小指の外側に花のような痣が有った。
「王族の子には指が一本多く顕われる。それもまた血筋の証。生まれた後、すぐにその指を切り落とし、焼印を押す。この国の正当な後継者であるとの証だ。これは周りの者は知らぬ。王族にしか伝えられてはおらぬ事だ」
 言い終えて、ファイはまた優雅な仕草で靴を履いた。


 カイは凍りついたようにただ黙ってそれを見ていた。
 王なのだ。目の前で自分を『魂の片割れ』と呼ぶ術師は、生まれながらの王だったのだ。
 頭の中で荒波が怒り狂っているようだ。その中に浮かぶ沈みかけた小舟のように、カイの希望は今まさに(つい)えようとしている。それなのに表情さえも崩すことができない。ただ残された王の冷たい手の感触に、刻々と冷やされて行く己の指と背筋をゆっくりと感じていた。
 セラの父親は、術師……いや、王だった。クシーの子であれば良いと願っていたのに、その願いは打ち砕かれた。
 泣けばよいのか。叫べばよいのか。
 全ての希望は打ち砕かれ、足元に瓦礫となって転がっている。
 ファイは、そんなカイの様子を見下ろしたまま、口の端を引き上げた。背筋を心持反らせて腕を組む。更に引き上げられた唇の端から、小さな笑いが漏れた。
「何が可笑しい?」
 所在なく視線を虚ろに彷徨わせたまま、カイは問うた。
「そなたとわたしの子か。面白い。同じ魂を持つ者の間にできた子。もしわたしと同じ力を持っていたならば、この国を滅ぼすことも、いとも簡単であっただろうに」
 カイは、はっ、と顔を上げる。
「滅ぼす……だと?」
 白い壁に、絵画のようにはめ込まれた大きな窓。部屋の中に動くものが無い代わりに、窓枠の中には木々、鳥、街並み……あらゆる生命の動きが詰め込まれて躍動している。
 その生命を背景にして立つ王は、邪な笑みを浮かべた美貌をカイから逸らし、絵画に詰め込まれた生命を滅ぼす、と言う。
「いかにも。わたしは全てを無に帰す」
「何故っ! 王ならば国を守るのが道理だろう。私はそんな王を自分の剣で守りたいと思って来た。王自ら破滅を望むとは、どういうことだっ」
 突然、部屋の中に哄笑が響き渡った。窓の外に張り出した枝にとまっていた鳥が驚いて、羽音も騒々しく飛び立つ。
「笑止。そなたなどに守ってもらわずとも、自分の身ぐらい自分で守れるわ!」
 明らかに侮蔑を含んだ物言いで、ファイは吐き捨てた。
「わたしが王宮内の人間に何と呼ばれているか、知っているか? 『蛇王』と。そう呼ばれているのだぞ。わたしの前に出た敵は一人も生きては帰さない。わたしは王宮外であれば、一人で何千もの人間を殺めることができる。それに……」
 ファイの手がカイの首筋にあてがわれた。指先にまた力がこもる。
「わたしが守ってもらわねばならないのは、この王宮内でのことだ。言霊もまともに紡げぬそなたが、わたしの役に立てるというのか」
 ファイは息がかかるほど近くに顔を寄せた。
「だが、カイ。わたしにはそなたが必要だ。魂の片割れがもう一方を乞うるのは当然の理。そうは思わぬか」
 唇が触れ合うほど近くに王の顔がある。
「わたしは王だ。好むと好まざるとに関わり無く、わたしはオルセイヌ国の王。この国において、わたしは絶対の権力を持つ。そなたとて、この国にある限りわたしには逆らえまいぞ」
 カイを見据えるファイの瞳孔が開き、瞳が金色に変わる。周りの大気がふっと質感を増し、カイに圧し掛かった。
「わたしだけを見、わたしだけに声を聞かせよ。そなたの全てはわたしだけのために有ると誓え」
 優しさの欠片もない口付けが交わされる。憎悪の蒼い炎こそ宿ってはいなかったが、目を見開いたまま、カイは強い眼差しで相手を睨みつけた。
「王なら何をしても良いと……人の気持ちなど、踏みにじっても構わないと、そう言うのか! 自分は何一つ傷つかず、欲しいものだけを得ようなどと……思い上がりもいい加減にしろ」
「わたしが傷ついていないと思っているのか。そなたが思うほど、わたしは満たされてはいない」
 カイに圧し掛かっていた大気が、ふと緩む。
「そなたに判るか? 王だとかしづかれる者の孤独を。わたしは皆が得たいと思うものは全て手に入れることができる。だがわたしの本当に得たいものは、わたしの手の届かぬところにあったのだ」
 ファイの手が、カイの白銀の糸に漉き入れられた。
「わたしは一つになりたい。二つに分かたれた魂を、一つに戻したい。本来なら丸く一つでいられたものを、その力の強さゆえ、別々の者として負うこととなったのだ。わたしの渇きを癒せるのは、そなたの魂だけだ」
 パン! と短い音。カイの右の掌に鈍い痛みが走った。
 ファイが赤みを帯びた左の頬に、乱れかかる金の髪を貼り付けたままカイを見返した。
「いい度胸だ」
 す、と立ち上がり、ファイは傍らに落ちていた着替えの衣装を無造作に掴んだ。
「さっさと着替えろ。そこまで動けるようになったならば、自分でできるだろう」
 上質な布地で仕立てられた衣装を放ってよこす。王の薫りの布地がカイの顔に当たって、その腕の中に落ちた。
「わたしは既に狂っているのやも知れんな」
 部屋から出て行く刹那、扉の取っ手に手をかけて振り向いた王は、そう言って壁の向こうに消えていった。