〜十三〜
時期を待って忍び込む。茂みの中でそう約束して別れた。
王宮近くに宿をとり、タウはケトの迎えを待った。そして今日、待ちつづけた顔が彼を宿屋から連れ出した。
靴が砂を踏む音だけが微かに聞こえる。他にこの道を通る者はいない。人通りが無いというのは、これから王宮内に忍び込む二人にとって有り難い事だった。
敢えて城門とは違う方向から王宮に近づく。門番が二人の顔を覚えているとは思えないが、大事をとったのだ。
石造りの城壁が続く。四角い石を積み上げて造られたその城壁は、表面がとても滑らかに削られ、足がかりになりそうな突起は見当たらない。
少年ケトに先導されて、漆黒の上衣が風になびかぬように手で押さえ込みながらタウが続く。イティオス伯の屋敷で召し替えさせられた新しい上衣も、だんだんと旅の日々が染み込んで、彼の身体に馴染んできていた。
夕闇が迫る時刻。王宮には、昼の勤めの者と夜の勤めの者が交替する、ざわついた空気が漂っている。それは、城壁を通してさえも伝わって来た。
二人は城壁が森に食い込んでいる所まで歩いてきた。ケトは構わずその中に入って行く。タウは上衣から手を離し、剣が幹に当たらぬように配慮しながらその後に従った。
「あった、ここ」
そう長く歩かない内に、ケトが立ち止まる。鍵となる石を指先で確かめるように撫でている。
「どうやって入るんだ? 見たところ何の変哲も無い石が並んでいるだけだが」
タウが大雑把に石の表面を撫でた。長い腕をいっぱいまで伸ばして届く限り全部の石に触れ、また先程の石に戻ってくる。触り心地も他の石と変わりなく、色も違いが無い。
「これだよ」
ケトが指し示したところに目を向ける。草と石との境目に、よく見なければ判らない程の傷がついていた。草が生い茂って判りにくくなっているが、夕闇の中でも注意して探せば判る。
「ここから上に五番目の石。こいつに仕掛けがあるんだ」
傍目には城壁に手をついて休んでいるようにしか見えない様子を装いながら、ケトは視線で『こちらに』とタウを招いた。
「いくよ」
短く言うと、そのままグッと体重を預ける。石が少しばかり沈んだと思ったら、人一人が通れる位の範囲の壁が向こう側に倒れた。
「どういう仕掛けになってるんだ」
感心したように見回しているタウを、ケトが急かす。
「早く。すぐに閉まっちゃうから」
胴衣の袖を引っ張られ、タウは前のめりに倒れそうになりながら中に入る。石の擦れる少しだけ重い音がして、壁が動き出した。タウは挟まれそうになる上衣の裾を、慌ててたぐり寄せる。すぐに壁は元通りになって、入口は跡形もなく消えていた。
城壁の中は木々が生い茂る、ちょっとした林になっていた。上に目を転ずれば、林の切れ間から王宮の建物を見ることができる。立ち並ぶ木の間から透かして見ると、すぐそこはよく手入れされた庭になっていて、人の姿は無かったが、どことなくせわしない空気が漂っていた。
「一度開くと、しばらく開かないんだ。敵に追従されないような仕掛けになっているらしいよ」
ケトは今閉じたばかりの壁をポンポンと掌で叩いた。淡い色の短い髪が無造作に跳ね、軽く踊るような前髪の下に、人懐こそうな笑みがある。
「こんな重大な秘密、相手が子供だといっても、よく外の人間に教えたな」
無防備過ぎるのではないかと考え、タウは腕組みをした。王宮の警護に関わる重大な秘密だ。ケトにそれを教えた女官は、迂闊過ぎるのではないだろうか。
「おいらがほんの子供だったからさ。多分、成長する頃には覚えていないと思ったんだろ。おいら、記憶力にはちょっとばかり自信があるのさ」
自慢そうに胸を少し反らして小首を傾げると、ケトは人差し指で頭をツンツンと指し示した。
「今だって充分子供じゃないか」
タウが淡い髪の頭を小突く。
「ひでぇな。そりゃ兄貴ほど大人じゃないけど、もう立派に独り立ちしてるんだぜ、おいらは」
ケトは、ぶうっと頬を膨らませる。その仕草が子供っぽいのだと、タウは腹の中で笑った。
「しばらくここで時間を稼ごう。ここの壁がまた開くようになるまでね。何かあった時に逃げられないと困るからさ」
再び壁を軽く叩きながら、ケトは王宮の建物を見上げた。
つられてタウも見上げる。石造りの建物は、夕陽に染まって茜色に輝いて見える。この中にカイがいるのか。彼女を連れ去った男が本当に王ならば、そうなのだろう。
いや、王なのだ。何の為にカイを連れて行ったのか、その目的は判らない。だが、それが王であると確信したからこそ、こんな危険を冒してまでもここに忍び込んだのだから。
「待ってろ、カイ。もうすぐ助けてやる」
除々に茜色を濃くして行く王宮を見上げたまま、タウは唇を噛んだ。
「は……」
窓から眺められる景色を見ながら、カイは小さく息を吐いた。
この部屋に連れて来られてから、数日が過ぎた。
身体にしっくりと馴染む衣装は、王のものなのだろう。上質な布地が贅沢に使われ、金の刺繍飾りも美しい。動くたびにふわりと薫るのは、王の為に焚き染められた香だ。身分の高い者にしか許されない、禁忌の薫り。
身の丈は同じ位だろうか。長さは丁度良い。脚衣の腰周りも丁度良かったが、胴が少しばかり余ったので、飾り紐で締め上げた。
カイの身の回りに必要なものは、全て王自ら運んで来る。食事も、着替えも、全てが王の持ってきたものだ。
ここに来てから、他の人間を見たことが無い。おそらく、自分の存在は知られていないか、王から『ここには近づかないように』とでも言われているのだろう。
普通なら臣下の者か女官がするようなことまで、王であるファイがやってくれた。
熱に
苛まれていた時は、昼夜の区別がつかなかった。あれから幾日が過ぎたのか、よくは判らない。今では、随分楽に動けるようになった。これも自身の持つ、『力』のおかげなのだろうか。熱もひいて来たようだ。五感が除々に研ぎ澄まされて来る。
辺りに漂う、妙な『気』。
街中で感じた違和感は、この王宮内に色濃く満ちている。術師を封じ込めるというこの王宮の存在が、カイの感覚をおかしくさせていたのだろうか。
しかし、カイの身体は、その王宮にさえ慣れようとしている。
「化け物の力……か」
最初の日に王が言った言葉を思い出す。
まるで化け物のような力。王が自身を化け物と呼ぶならば、その力を二分して分け与えられた自分も化け物なのか。
「セラ……すまない」
慈しんでやらぬまま、潰えた小さな命。この世に生み出しておきながら、何もしてやることができなかった。同じ魂を持つ者の間に生まれた子だったから、命が続かなかったのか。病はそれ程重くなかったのに、あっけなく逝ってしまった訳が、今ようやく判ったような気がしていた。
金の髪が一房、夜の風にふわりと持ち上げられた。
贅を尽くした広い部屋。飾り枠のはめ込まれた窓は開け放たれ、心地よい闇がその四角い世界を支配している。
いつもと同じ夜。
ファイは読みかけの書物から、ふと目を上げた。
願う魂の片割れ、カイは手に入れた。ずっと欲していたにも関わらず、ずっと得られなかったもの。この王の自室の隣、王族にしか伝えられない小部屋に彼女は閉じ込めてある。壁を通してでも漏れてくる『気』。この王宮内にあっても、除々にそれは強くなっている。
哀しみ、諦め、悔恨……。
負の意識に凌駕された『気』。
「そなたの苦しみなど、わたしのそれに比べたら小さなものだ」
ゆったりと身体を包む深掛けの椅子にその身を預け、再び書物に目を落とした。パラリと頁を繰り、また元に戻す。しばらく指先で頁の端を弄び、また繰ってみる。目で追いかける文章は、ただの文字の羅列となって並んでいるだけだ。ファイの視線は何度も同じところを彷徨い、気づくと書物の向こうを見透かすように焦点が定まっていなかった。
「ちっとも頭に入らぬわ」
忌々しげに舌打ちをすると、ファイは荒っぽく表紙を閉じた。堅牢な表紙の書物は心地良い音をさせてページの間の空気を追い出し、ファイの膝の上で自己の重みを主張している。
「覚えておらぬとは、都合の良い事だな」
母の胎内より、ずっと記憶は続いている。その力の強さゆえ、魂が引きちぎられる痛みも、それを乞うる渇望も、この身体を形作る細胞の一つ一つが鮮明に覚えている。
望んで王室に生まれた訳ではない。望んでこの力を得た訳でもない。
忘れたいと思った。振り切るため、たくさんの人々を殺めた。
この手に掛かる人の、最後の吐息を聞くたびに、その一瞬だけは心が満たされた。
――おまえも苦しいのか――
――わたしと同じように苦しいのか――
何時の間にか、影で『蛇王』と呼ばれていた。臣下の者も、自分を恐れるようになった。そんな彼らを見る度に、なおさら苛立ちが募った。
何故、自分なのか。
何故、他の者ではないのか。
全てが壊れてしまえばいい。全てが無に帰せばいい。
魂の片割れを得て、一つになって、そして全てを終わりにするのだ。
「ようやく最初の、そして最後の望みが叶う」
カイの沈む『気』を意識する度、ファイは予感に気が高揚するのと同時に、不可解な小さな苛立ちをも感じるのだった。
暗闇が辺りを支配する。王宮の中も灯台に灯が入り、ゆらゆらと揺らめく灯りが石組みの壁に影を作っていた。
不寝番の者も、小さな緊張感と、静かな宵の安堵感に身を委ねている頃合だ。
階段を壁伝いに上って行く大小二つの影。足音を忍ばせて、辺りを窺いながらゆっくりと上って行く。一つ目の階段が切れた所は踊り場になっていて、そこから更にもう一つ階段が現れた。
「王様の部屋はこの上らしいよ」
タウの耳元に唇を寄せ、ケトは息だけの小さな声で囁いた。
「地下牢にいなけりゃ、王様の部屋にいるって考えは短絡過ぎないか?」
上に伸びる階段を見上げたまま、タウは傍らのケトに耳打ちする。
「王様が何のために銀髪の兄ちゃんを連れて行ったと思う? いたぶる為か、自分の物にする為か、どっちかだろ? だったら地下牢にいなけりゃ、自分の部屋だって」
ケトがさらりと口にした、『自分の物にする為』という言葉。それを聞いて、タウは心臓を直接鷲掴みにされたように息苦しくなった。
――既に女である事がばれてしまっただろう。そうなったら、あいつは……――
どんなひどい目に遭っているか、判らない。一刻も早く助け出さなくては。
ケトと目を見交わして一つ小さく頷くと、タウは再び上を目指した。
「……」
明らかな『気』の揺らぎ。ファイは膝に置いた書物を卓の上に投げ出した。
カイのものではない、また別の『気』が伝わって来る。
「鼠が入ったようだな」
形の良い唇を弓形に引き上げ、傍らの剣を手に取る。それを腰につけ、短剣も装備した。すっ、と音も無く扉に近付き、脇の壁にピタリと背を寄せる。ひんやりとした石の感触が、布地を通して伝わってきた。
扉の向こう側に、一人……いや、二人。何の目的で侵入したのかは知らない。だが、自分に好意的な相手で無い事だけは確かだ。
――馬鹿者が。わたしに敵うと思っているのか――
柄に指を掛け、構える。そろそろと剣を抜き、扉の取っ手に手を掛けた。
王の部屋と思しき扉の前に立ち、再びタウはケトと目を見交わす。ゆっくりと手を伸ばし、取っ手に手を掛けようとした、その刹那。
バタン!
硬い音と共に唐突に内側から扉が開かれた。同時に突き出される剣。寸でのところでそれをかわし、タウは自分も剣を抜いた。
振り払った剣は空を切り、ヒュッと鋭い音を立てる。そこにあった筈の相手の身体は、掻き消すように消えていた。
――後ろか!――
振り向きざま、剣で凪ぐ。だがそこに感じた気配も、また掻き消すように無くなっていた。
一瞬の逡巡。
ガッ!
相手の剣先を感じた刹那、タウの剣がそれを防ぐ。剣の柄と柄がぶつかって、金属質の重い音が響いた。
「王の部屋と知っての所業か」
威厳のある声が間近で聞こえる。すうっと背筋が凍るような……剣をその場に置いて、ひれ伏してしまいたくなるような、声。
タウは強い意志で、辛うじてそれを耐えた。
闇から滲み出るように、王が姿を現した。男であるタウが見ても、その美しさに目を奪われそうになる。だが見る者の心を蕩かすようなその顔に浮かぶのは、残忍な笑みだった。
「王が持ち帰ったものを返して欲しい」
力の均衡。怯んだ方がその身を斬られるであろう事は明白だ。タウの言葉は硬く、だが挑むようにファイに向けられる。
「あの女のことか」
剣の向こうで、王の声が微かに笑んだ。
――やはり――
絶望的な気持ちになるのを叱咤し、タウはなおも言い募る。
「カイを返してもらおう。あいつは俺の旅の連れだ。忍び込むなどしたくなかったが、王宮に連れ込まれては盗賊の真似事でもしなければ取り戻せんからな」
未だ柄と柄は競り合ったまま、微動だにしない。王の放つ『気』に飲まれそうになりながらも、タウは気丈に言い放った。
「カイはわたしのものだ。おまえには渡さん」
余裕を持った抑揚の声の後に、ふふふ、とくぐもった笑いが混じる。
「なんだとっ」
タウは、自分の頭に血が上るのを感じた。
カイは誰のものでもない。自分のものでも、まして王のものでもない筈だ。あいつは自分自身の意思で、自分の歩む道を決めるべきだ。
闇に紛れていたケトが、短剣を手に王に向かって行った。
「小者は引っ込んでおれ」
いつの間に抜いたのか、もう一方の手に短剣を構え、ケトの鼻先にそれを突き出す。
ケトは慌てて立ち止まろうとしたが、勢いを付けて走りこんで来たので急には立ち止まれない。たたらを踏んで鼻先にピタリと押し付けられた剣先を見つめたまま、後ろに背を反らした。
「面白い。カイの仲間が二人か。何かの役に立つかも知れんな」
暗闇でもそれと判る王の蒼の瞳が、金色を帯びる。途端にタウもケトも身動きが取れなくなってしまった。
「な……」
人に在らざる力で押さえ込まれ、タウは握っていた剣が手から零れ落ちる音を遠くで聞いた。ケトは、と目をやると、既に意識が無い。石の床に倒れてしまっている。
「あの者はわたしの魂の片割れ。渡すわけにはいかないのだよ」
薄れ行く意識の中、彼方で王の哄笑を聞いたような気がした。