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玻璃の橋板


〜外伝 二〜


「見えましたぞ。あれがリオドールの城です」
 カーネリア国随一の剣の遣い手であるエルガ将軍が、栗毛の馬に乗ったシエナに向かって言った。彼らのいるこの場所は高台になっていて、遠くがよく見通せる。
「やっとここまで来られましたね。ですが……」
 シエナの瞳が曇った。その視線の先、リオドール城の方角から、騎馬の一群がこちらに向かってやって来るのが見えた。


 カーネリア国にとってペリエル国は、うるさい刺虫のようなものだった。何度も何度も執拗に刺して、相手が弱ったところを一気に潰しにかかる。ペリエルとは、そうやって成り上がってきた国だった。
 そのカーネリアやペリエルと並び、三大強国として近隣諸国に名を知られているのが、今シエナ達がいるリオドール国であった。
 何かとカーネリアに小競り合いを仕掛けてくるペリエル国。一度、真正面から戦わねばならない。壊滅させないまでも、カーネリアは相手にするには大き過ぎる国なのだと、解らせなければならない。
 その為には、両国の間にあるこのリオドールを通る必要があった。だがリオドール国王もまた、カーネリアに食い込む機会を窺っていたのである。
 文書で出した通行許可願いは、いとも簡単に打ち捨てられた。いくら待っても返って来ぬ返事に業を煮やし、シエナと宰相、そしてエルガ将軍はじめ少々の武人だけで密かに乗り込んで来たのであった。
「ここまで城に近付ければ、上々と言えましょうな」
 エルガ将軍が、まだ黒い点の集まりにしか見えない騎馬の一群を眺めながら、腹を括ったようにつぶやいた。


「どうやってここまで来られたのですかな? 我が国の国境警備はそこまで情けない体たらくでありましたか」
 リオドール城の正殿の宮の一室で、リオドールの王がシエナの瞳を射るように見据える。シエナも負けじと見返した。
「国境警備には何も落ち度はありません。我々の方が、少しばかり(まさ)っていたまで」
 取りようによっては挑戦とも聞こえる言い方である。だがシエナの凜とした面差しは、その場を清涼な気で満たし、無益な争いを望んではいないのだと相手に告げていた。
――喰えないヤツだ――
 リオドールの王は、カーネリアの皇子と睨み合ったまま心の中で舌打ちをした。こちらの挑発にもなかなか乗っては来ない。相手が少しでも不穏な動きを見せたなら、それを口実に捕らえてやろうと機会を窺っていた。先程からそれとなく水を向けてみるものの、この皇子はそんなこちらの思惑を知っているのか、話し方ひとつ、声色ひとつでそれをかわしてしまう。
――これも、この者の交渉の力と見なければならぬか――
 真っ直ぐにこちらを見つめ返しながらも敵対するでもなく、まして媚びる風でもないその皇子に、カーネリアを手中にするにはまず、この者をどうにかせねばならないのだと感じていた。


 シエナはしっかりと相手を見据えている。ここリオドールは、今のところ敵国ではない。だがいずれ、そうなるであろう。この国の王が、カーネリアを欲しがっていることは、とっくに調べがついている。
 今回の通行許可の打診になかなか色良い返事を返して来ないのも、そうやって焦らしている内にこちらの何かを探っているからなのかも知れない。
 だがもう猶予はない。ペリエル国との戦は、今のカーネリアにとって避けては通れぬ道なのである。
 シエナは、すっと胸を反らせた。
「往きと還りの二度のみで良いのです。我がカーネリア軍は速やかにこの国を通り抜け、隣国ペリエルに入ります。その間、六日。決してリオドールの地に仇なしたりは致しません」
 書状にしたためてあった事柄を、再度確認するかのように告げる。それからリオドールの王が首を縦に振るまで、たっぷり半時を要した。


 交渉にも一応のめどが付き、細かい部分を詰める段になって、リオドールの二人の皇子が部屋の中へと呼ばれた。
 国王の隣に黒髪の大柄な皇子が掛け、その隣に蜂蜜色の髪の華奢な皇子が掛ける。
「こちらが第一皇子ルバト。そしてこちらが第二皇子、ラウナです」
 国王が、二人をシエナに紹介した。黒髪の方が第一皇子で、蜂蜜色の方が第二皇子らしい。シエナはその者達の顔を、しかと見た。
 『拝謁の儀』という、近隣諸国の皇子・皇女を一時人質にとる儀式も、二代前の王の御代からこちら、行われていない。リオドールの皇子を見たのは、これが初めてであった。
「これは噂に聞く、カーネリア国皇子シエナ様。ご尊顔を拝し、光栄です」
 第一皇子ルバトは慇懃無礼(いんぎんぶれい)な口調で言うと、どう見てもこちらを見下していることが判ってしまうような形ばかりの会釈をした。
――これは――
 シエナの眼には、第一皇子ルバトはリオドール国王によく似ているように見えた。紡ぐ言の葉には、その人となりが窺えるものだ。父王に似て、この者も腹に一物ありそうである。
「お会いできて光栄です。この滞在が、カーネリアにとって実りあるものとなりますよう」
 第二皇子ラウナが、シエナに向かって軽く会釈をした。まだ少しこちらを警戒している感はあるが、今リオドールは中立の立場。波風を立てぬよう、心得た挨拶である。
 シエナは何も言わず、ただ会釈を返してその者を見た。
 第二皇子、ラウナ。はしばみ色の瞳は理知的な光を湛え、こちらの心の中まで見透かしてしまいそうに澄んでいる。非情だと言われる父王やそれに似ている第一皇子とは対照的に、この者が王になったなら、リオドールとの国交も穏やかに進むであろうと思われた。
「今回の申し出を聞き届けて下さり、感謝しています」
 シエナは艶やかに微笑んで見せた。
 美しくあるが、毅然とした態度。好意をもって接するものはその懐深く包まれることを許すが、そうでない者は――例えそれを隠して近づいたとしても、決して無傷では済まさぬという、無言の圧力をもった笑みだった。
――いずれ、この国と戦をすることになるやも知れぬ――
 その折には、この第二皇子とも刃を交えることになるのかも知れないと、シエナは思った。


 二人が偽りの姿で再び出逢うのは、それから半年後のことである。