〜二〜
カーネリア国がペリエル国との戦いに勝利したのは、シエナの軍策が良かったからである。要所、要所に兵を潜ませ、敵に悟られない内に先手を打つ。正面切っての戦いだけでなく、砂漠に出現する逃げ水のように敵を誘っては逃げる。何度も肩透かしを喰わされた相手が、油断して侮るようになった所を見計らって一気に攻め入る。
軍学の学士が『既にお教えすることはございません』と舌を巻く程、シエナの策は素晴らしいものだった。
何かとカーネリアに小競り合いを仕掛けてくるペリエル国は、カーネリアにとってうるさい刺虫のようなものだった。
何度も何度も執拗に刺して、相手が弱ったところを一気に潰しにかかる。ペリエルとは、そうやって成り上がってきた国だった。
一度、真正面から戦わねばならない。
壊滅させないまでも、カーネリアは相手にするには大き過ぎる国なのだと、解らせなければならない。
そう判断したカーネリアからの進軍だった。
軍の四分の一を失うほどの打撃を与えたところで、カーネリアは進軍を止めた。
これ以上の戦いは続けられないと判断したペリエル国に、今後一切カーネリアには挑まぬとの約定を記した書状を付きつけ、調印をさせたその還りである。
ペリエル国内で戦を仕掛けるためには、どうしても大国リオドールとその隣の小国カルドラルを通らなければならなかった。カルドラルはカーネリアに好意的な国であり、こちらの王からはいつでも査証無しで領内を通っても良いという約束を取り付けてある。
だが、もう一つの国リオドールの方は、そう簡単には事が運ばなかった。ペリエル国と戦を始めるに当たって、軍策よりも一番頭を悩ませたのが、リオドール国を無事に渡り切る事であった。
シエナは危険である事を承知の上で宰相と共にリオドールに赴いた。苦労して協議に臨んだが、のらりくらりとかわすリオドール国王を説き伏せるのは容易ではなかった。だがさんざん焦らされ、命さえも取られかねない状況の中でやっと、往きと還りの二度のみ国内を通ってもよいという、国王の許可を取り付ける事ができたのだ。
そんな武勇伝も軍の間に知れ渡っている。それ故、シエナに寄せるカーネリア軍の信頼は絶大なものであり、それが今回の派兵に一層の良い効果をもたらしたのだった。
「シエナ様、あと少しで国境です。ここを越えれば、我がカーネリア国はもうすぐですぞ」
エルガ将軍が腹の底から大きな声を発し、シエナの傍らに自らの馬を寄せた。いつも稽古場でシエナが剣の修練をしてもらっている、国内随一の剣の使い手である。
父王より、少し若いだろうか。白髪の混じる長い髪を持ち、同じく白髪混じりの髭を口元にたくわえている。
一見飄々として見える将軍も、ひとたび剣を握れば一点の曇りも無く磨かれた丸い珠のように調和がとれ、どこにも隙が無かった。
「私の策が効を奏して良かったと思っています。机上では確信がありましたが、実戦でどの位通ずるか不安でしたので……将軍には、いろいろと無理を言いましたね」
シエナは馬上から今回の一番手柄を挙げた将軍に微笑みかけた。それは戦いを終えたばかりの者にしては柔らかく、人の心を蕩かすような笑みだった。
シエナを皇子と信じて疑わない将軍であったが、そのほんのりと色香を匂わすような笑みに、しばし言葉を失う。
「お……やっ、わたしとした事が、シエナ様に見惚れてしまいましたわ。このようなお顔を拝見できるとは、わたしも幸せ者ですな。はっはっは……」
エルガ将軍は年甲斐もなく少しばかり頬を朱に染め、しきりに髭をひねりながら、その場を離れる。シエナの微笑みは、苦笑に変わった。
目の前に広がるのは荒涼とした大地である。道筋の伸びた先に幾つもの建物が並んでいるところをみると、ここが国境であるらしい。
無事にリオドール国を抜けられるという安心感からか、自然、皆の顔に笑みが浮かんでいた。
明日の晩には子供の顔を見られるだろうか。
明後日の朝には好いた女の店に行けるだろうか。
みな帰還した後の暮らしを思って、心を弾ませていた。
『ヒュッ』
突然、耳元で風が鳴った。
「ぐ……」
シエナの後ろで呻き声が上がる。続いて、ドウッと何かが落ちる音が聞こえた。
「馬を寄せろ! シエナ様をお守りするのだ!」
エルガ将軍の張りのある声が、辺りに響き渡る。
振り返ったシエナの視界に飛び込んできたのは、胸に刺さった矢に手をかけ、苦しげに地面を転げ回る兵の姿だった。
あとは修羅場と化す。
シエナも守られるだけの王族ではなかった。
「私のことは良い。自分のことは自分で守ります」
言うや否や、剣を抜き、馬の腹に軽く蹴りを入れる。それを合図に、カーネリア軍は敵を倒すために進んだ。
飛んで来る矢を剣で叩き落し、そうしている間にも射掛けてくる敵に向かって、方向を見極め、全速力で馬を走らせる。岩陰に潜んでいた敵を薙ぎ、切り裂き、突きあげた。
皆、生きるために、戦った。
やらなければ、やられてしまう。それが戦だった。
怒号が飛び交い、剣の交わる音が響く。
矢が鋭い軌跡を描き、槍がそれを打ち払う。
悲鳴をあげ、魂切れる者。苦しげにもがく者。
そして砂埃がおさまり、馬のいななきが鎮まった。
全てが終わった後には、一面の赤。岩陰に、草むらに、荒地に……。
あたり一面、人の血で真っ赤に染まっていた。
――何故……――
握り締めたままの剣の柄に、ぬるりとした感触。赤い滴りがまだ温かく纏わり付き、鉄錆びの臭いがする。
シエナは、す、と地面に視線をやった。
足元には、人の体が横たわっている。先ほどまでは細かく痙攣していたが、今はもう動いてはいない。
臭いにむせ返り、苦しくなって辺りに目を転じる。あちこちに、同じような衣装を纏った人の体が転がっていた。
「ペリエルの残党でしょうか」
息を切らしたエルガ将軍が、シエナを見つけて徒歩で駆けて来た。馬を引いている。どうやら戦いの際に、愛馬に矢が当たったらしい。人柄の良い将軍らしく、傷ついた馬をいたわって自分は鞍上から降りたのだ。
シエナは膝を折って、うつ伏せに倒れている骸の傍らにしゃがみ込んだ。
黙ったまま、骸となった兵士を剣の鞘で押し、仰向ける。兵士の口の端から、一筋の血が流れ出た。
シエナは、見開いたままの兵士の眼を、指先でそっと撫でて閉じてやった。
兵士の胴衣の襟を裏返し、飾り帯を外して一通り検める。
骸の手から零れた弓を手にして、その造りを確かめる。
次第にシエナの表情が曇っていった。
「その方が、どれだけ良かったでしょう。ご覧なさい。この上衣の縫い取りを」
シエナはエルガ将軍に向かって顔を上げ、兵士の上衣の胸にある小さな縫い取りを指差した。その指の先には、黒い変わり織の布地に細い藍色の糸で、小さな紋様が縫い取られていた。
「よく見ないと地紋に紛れて判らない程の縫い取りですが、これはリオドール独特の紋様です。こちらの弓も、リオドールに古くから伝わる造りと見受けられます。おそらく、国境警備の者達ではないかと……」
懐紙で剣を拭って
鞘におさめながら、シエナは苦々しい思いで横たわる骸を眺めていた。
――この始末、どうつけたら良いものか――
先に仕掛けてきたのは先方。だが、リオドールの兵を敵として屠ってしまったという事実は、重たく鈍い光を放って紛れもなくカーネリア軍の前に横たわっていた。
「ふ、ふふふ……」
玉座に座り、リオドールの王は事の成り行きに満足げに頷いていた。脇の卓の上から、高杯を持ち上げて口に運ぶ。喉を鳴らして飲み物を干すと、口の端を指先で拭った。
伝令として王の前に控える兵は、背筋に冷たいものが降りる心地がした。
辺境の小国に過ぎなかったリオドール国を、この王は一代でここまで強大な国にしたのだ。武力を頼みに、随分と非情な事もしたと聞いている。
「では、本当にその軍は、我が国境警備軍に刃向かったのだな?」
口の端に笑みを貼り付け、王は再び兵に問うた。
「はい。軍影を見つけましたので、王からのお達しの通り先に射掛けたところ、思わぬ強さで刃向かって来ました」
問われるままに答える兵も、随分傷ついている。胴衣にはどちらのものとも判らぬ血が赤黒くこびりつき、脚衣にいたっては破れ、傷ついた皮膚がそこから覗いている。頬にも剣によると思われる太刀傷が、浅くではあったが残されていた。
戦いの場から、命からがら逃れて来たのだ。
「王……、あれは本当におっしゃる通りの反乱軍だったのでしょうか?」
兵は震えながら王を見上げる。
「それで、生き残ったのはお前一人なのだな?」
問いには答えず、王は再び問うた。獲物との距離を計るような視線で、鋭く兵を射抜く。
「は……はい」
身の縮む思いで、兵は答えた。背を丸め、深く頭を垂れて、王と視線が合わないように小さくなっている。傷ついた体が細かく震えているのが、傍目にも判るほどだ。
「酷い傷だな。お前は薬湯を使うが良い。特別に城内の湯を使わせてやろう。ゆっくりつかれば、その傷も癒えようぞ」
王の言葉に、侍官が傷ついた兵を促す。兵は侍官に肩を借り、片足を引きずりながら王の前を辞した。
――思ったよりも簡単だったではないか――
去って行く兵の背を見送りながら、王は腹の奥底からほの暗い笑いがこみ上げて来るのを抑え切れなかった。
カーネリアは思惑通り、リオドールの国境警備軍と一戦を交えた。あの小賢しい皇子が思慮深く動くのではないかと危惧していた。だが、ペリエル国との戦の後で疲弊していたのだろう。こちらの仕掛けた罠にまんまと引っ掛かってくれた。
――あの皇子……――
過日は、宰相と、あとは少しの武人を引き連れただけで通行の許可を得に来た。凜とした面差しと交渉の力に、これは一筋縄では落ちぬと見て取り、今回の策を立てたのである。
内心、どこまで通用するのか計り切れない部分もあったが、これでカーネリアに食い込む機会を得ることができた。
「……宰相」
兵が扉の向こうに消えたのを確認すると、傍らに控える宰相に向かって、王は視線だけで何事かを指図した。宰相は目つきの鋭い女官を呼び、小さな紙包みを手渡す。女官は膝を折って一礼すると、衣装の裾を翻して扉の向こうに消えた。
そしてその後、城内において、傷ついた兵を見た者は誰もいなかった。
***
逆らえない現実。
王族に生まれたからには、己の意思など汲んではもらえぬ。
皇女として生まれたのに、亡くなった兄皇子として育てられた。
軍学を学び、剣を習い……。
重臣の中でも数える程しかその事実を知らない。
いつか秘密が明らかになるのではないかと怯えた日々。
偽ってまでも国を背負うという、重圧。
今となっては、そうせざるを得ない状況であったと、納得はしている。
細く腰を絞った正装も、長く背に髪を下ろすことも、自分には許されていない。
これも国の安寧のため。
そう思って諦めてはいた。
だが……。
シエナの自室の扉が三度、叩かれる。シエナが僅かに顎先を下げて頷くと、取次ぎの女官が静かに扉を開けた。
「よろしいですか、シエナ様」
低い声とともに入って来たのは、宰相の息子アーベルである。
シエナと同じく真っ直ぐな黒髪を、頭上高く束ねている。一見穏やかな面差しであるが、ふとした時に寄越される視線は、見る者をその場に釘付けにしてしまう程の眼力を秘めている。
どことなくシエナに似た容姿は、『影』として彼が仕えるのに好都合であった。
「今宵のお役目、しかと承りました」
シエナの前に片膝をつき、アーベルは軽く頭を垂れた。
宰相の妻がシエナの母の姉であったため、二人の面差しがどことなく似ているのも道理である。
シエナは椅子から立ち上がり、アーベルの肩先に触れた。
「そう固くなるな。幼い頃からの仲ではないか。ここには見知った女官しかいない。昔のように、打ち解けてもいいのだよ」
そっと促して、椅子を薦めた。
「わたしは既に十八になりました。王族であれば、『立太子の儀』を迎える
齢。けじめは付けませんと」
アーベルは静かに微笑んで、それを辞す。
「つまらないこと」
シエナは、つい、と視線を外し、椅子にかけた。
「いっそのこと、おまえが皇子だったら良かったのにね。私の『影』が務まるほどだ。入れ替わったとて、誰も気付かないかも知れない」
戯言であるのに、本当にそれを願っているかのようにアーベルの瞳を探る。
「悪いご冗談を。それでは王室の血が穢れます」
アーベルは少しばかり眉をひそめ、やんわりと
咎める。
「そうか? 私とおまえは、遠いところで血が繋がっているのだが?」
悪戯を仕掛ける子供のような顔で、シエナは言った。
「わたしには王室の血は流れておりません。お忘れですか、シエナ様?」
片膝をついたまま、アーベルは再び頭を垂れた。
「わかっているよ。ほんの戯言だ」
シエナは小さく息を吐いた。
――本当にアーベルと入れ替わることができたなら――
いやその前に、王室の血にこだわりさえしなければ、異母弟ルベルに王位を譲れば済むことである。何も皇女である自分が、こんな皇子の格好をして、皆を欺き続けなくても良いのだ。
砂糖菓子をつまんで、他愛も無いおしゃべりをする。どこの殿方が良いだの、どこの店から取り寄せた指輪が美しいだのと言っては、小鳥がさえずるように笑っていられる。
ありきたりな日常。だが、シエナには決して許されない日常。
思うまいとしていても、ふとした隙に、心の隅に湧き上がる思い。
シエナは軽く頭を振った。
「ところで、アーベル。今宵のこと……おまえには、すまない事だと思っている。他に好いた女もいるだろうに、わたしが本当の皇子でないがためにこんな役目を押し付けることになって……」
優雅な仕草で足を組み、シエナは脇に置かれた卓に肘をついた。その指先に頬を押し付け、少しばかり眼を細める。長い睫毛が影を作り、黒眼がちな瞳に深い彩を添えた。
「いいえ。わたしでシエナ様のお役に立てるのでしたら」
アーベルは頭を垂れたまま、軽く頷いて見せた。
女であるシエナが正妃を迎えても、閨を共にするわけにはいかない。燭台の灯りすら消して、何も見えない暗闇となった部屋で何が行なわれるのか……その後のことは、アーベルに全て託されていた。
正妃となる皇女は、生来、身体の具合が思わしくないと聞いている。今宵を乗り切ってしまえば、今後閨に招く回数も、そう多いものではなかろう。
近隣諸国において、正妃とは血筋の良い女人が就く役職のようなものである。カーネリア国では今までにあまり例は無いが、王との間に男女の情愛が無いことも珍しくない。世継ぎをもうける役目は妾妃に任せ、形だけの妃として、後宮に留まってくれてさえいればそれで良いのである。
神話に語り継がれるように、このカーネリア王室には、その血筋にまとわりついた
凝りのせいか、子は生まれにくい。世継ぎを望む声があったとしても、そのような行く立てから、不審には思われないだろう。
だがアーベルには王室の血は流れていない。幾度か閨の身代わりを務めれば、正妃との間に子ができることも無いとは言い切れないだろう。万が一そうなってしまった場合には、薬を使って当の正妃にすら気付かれぬ内に流してしまうことになっている。
――ひどい話だ――
自分が皇子でないばかりに……アーベルにも、これから迎える正妃にも、茨の道を歩ませることになるのだ。
シエナは小さく息を吐く。
「好きな女はいるのか?」
自分と同じく束ねられた闇色の髪の
結いを見つめ、シエナは問うた。
「……いいえ。そのような者はおりません」
顔をあげ、アーベルは真っ直ぐにシエナを見据えた。
濡れたように光る、漆黒の瞳。何か言いたげではあるが、その下の唇は動かない。
「ならば、よい」
シエナは、真っ直ぐに寄越される彼の視線を、ふい、とかわした。
「今宵は、おまえだけが頼りだ。合図をするから、それまでは閨の外に潜んでいてくれ。本当に……好いた女でなくてもいいのか?」
「ご心配なさらずとも、大丈夫です。男とは、そのようにできておりますゆえ」
「……そうか」
少しばかり頬を赤らめて、シエナは頬から指先を外した。
再び三度、扉が叩かれた。
「それでは、これで」
アーベルは、もう一度深く頭を垂れ、立ち上がった。
シエナ付きの女官ルチエラが、茶器に薬湯を汲んで持って来た。部屋を辞すアーベルとすれ違う際、軽く会釈をする。
アーベルも柔らかく微笑み返すと、扉の向こうに消えた。
「リオドール国の皇女様がお着きになられました。只今、清めの湯を使っていらっしゃいます」
シエナの座る椅子の傍らに片膝をつき、ルチエラは茶器の乗った盆を差し出す。
「すまないね、ルチエラ。よりによって、こんな大事な日に月のものが来るなんて」
椅子に腰掛けたまま、腕を伸ばしてその茶器を受け取り、シエナは苦く微笑んだ。
「こんな時は、この身が女である事を痛いほど感じるよ。正妃を迎えて、私は秘密を守ることができるのだろうか」
シエナはそう言って、ルチエラの肩にこつんと額を乗せた。
ルチエラは先に妾妃の言葉を宰相に伝えた女官である。妾妃亡き後、秘密を守るためにシエナ付きとなったのだ。シエナもこの女官には心を開いて、生母である正妃亡き後、母親とも姉とも思って慕っている。
「宰相殿も、この度のシエナ様のことを案じております。ご自分で考えられた事ゆえ、口にはお出しになりませんが、未だルベル様の出自が明らかにならない事を口惜しくお思いになっておいでなのですよ」
ルチエラは、シエナの黒髪をそっと撫でた。
「宰相……か。だが、このような事態になったのも、彼の策がもたらした結果だ。私が宰相を煙たく思うのは筋違いだなどと、言われなくても判っている。頭では判っているけれど……心がついていかないんだよ」
シエナは茶器に視線を落とすと、大事そうに両の手のひらに包み込んだ。
「アーベル様のことも?」
ルチエラがシエナの手に自らの手を添えた。
「宰相殿のご子息だから、やはり煙たくお思いになっていらっしゃるのですか?」
間近から優しい声が降る。
「アーベルのことは……言うな」
シエナの声が、小さく震えた。
「このような事態になる前に、全てが治まることを願っていたのですけれど。そうすれば、シエナ様も晴れて次代の女王としてお披露目でき、このような道理に叶わぬ婚儀をせずとも済みましたものを……」
そう言ったルチエラの瞳が潤んでいるのを上目遣いに見て取り、シエナはそっと目を伏せた。
女官の涙を見れば、己の決心も崩れてしまう。
逃れられない運命ならば、立ち向かわなくてはならない。
顔を上げて、行く末を見つめて……そうやって歩いていかねばならない。
自分一人の問題ではない。己の失敗は、国の運命をも変えてしまうのだ。
「皇女をお待たせしてはいけない。私もそろそろ仕度にかかろう」
口に含んだ薬湯を苦い顔で飲み下し、シエナは何かを思い切るように、す、と立ち上がった。