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玻璃の橋板


〜三十〜


「私が行こう」
 それは、シエナとアーベルの婚約の披露目がされる筈だった日。自分が直にリオドールに乗り込むのだと言ったシエナの瞳は、強い意志を秘めているように見えた。
 会議の間に集う重臣達が、使者には誰が立つのかと話し合いをしようとしたところに、シエナ女王がアーベル以下、数人の護衛の者を引き連れて訪れたのである。
 護衛の武官は、誰もが腕の立つ、カーネリア軍の精鋭ばかりだ。如何な攻撃を仕掛けられたとしても、大きな軍を率いているに劣らぬ程、頼もしかった。
 大仰に軍を率いて行けば、先の約定を破ったとされかねない。少ない人数で行った方が、後々厄介なことにならずに済むだろう。また同行する人数が少なければ、小回りも効き、却って動き易いのだ。
 一行の出で立ちは、すぐにでも馬上の人となれるものである。万が一の用心にと武具を着け、得物も携えていた。だがいかにも戦装束といった雰囲気が感じられないのは、見事な装飾が施された、儀式用の格別のものを纏っているからなのか。儀式用とは言っても、その造りの良さは、実戦で使っているものに何ら劣るところはない。
 シエナが直々に彼の国に行くことを納得した重臣達に見送られ、一行はカーネリア城を後にした。


 突然のカーネリア国女王の訪問に、新王ルバトは慌てふためいた。リオドール城内も、そんな王の様子を写し取ったかのように酷い騒ぎとなる。女官は花や布など、様々な物を捧げ持って回廊を小走りに行き交い、武官は城の護りを固くするよう、密かに武人をそれぞれの部署に配置した。
 そんな中、ラウナ皇子は自分の部屋で静かにその報せを受けた。
 先ほど女官アイラから、城門の前に着いたカーネリア国の一行が、城の中に招き入れられたことを聞いたのである。
――シエナがこの城の中に居る――
 ラウナは穏やかに微笑んだ。
 離れてから、どのくらい経ったのだろう。思い起こして数えてみれば、一年余りの時が経っていた。
 美しくなったと聞いた。そこに居るだけで、彼女の周りだけが静寂と清涼に包まれるのだとも。砕け散る氷の煌きを纏って、彼女は立派な女王になったのだと聞いた。
 愛しいシエナが今、この同じ城内に居るのだと聞けば、ラウナの心は波立ってもおかしくはない筈なのに、何故だかその心は水鏡の(おもて)のように静かだった。
 窓際に歩み寄り、愛しい人が居る筈の宮に眼を向ける。硝子を通して見る宮は、屋根の上の方が日の光を返して眩しく見えるだけであった。
――わたしの望みが叶うのかも知れない――
 一度死を決意してしまってからは、ラウナは全てを悟ったように落ち着いていた。
 政の道具として使われ、シエナの行く手を阻むようなことは、もうしないと誓った。なのに自分はこうしてリオドールの城に戻されて、己の意思とは関係なく、リオドールの国益のために使われる身となり果てた。
 王は、いずれカーネリアへ……と考え始めている。それに気付かぬシエナではないだろう。ならば、彼女はどうするか。
「ふ……」
 ラウナの瞳が、微かに恍惚の彩りを帯びる。
 シエナがこのリオドールに来た用向きは、自分の命を取ることなのだと、ラウナは確信した。
 まさか、シエナ自身が来るとは思わなかったけれど。刺客を寄越さず自分自身が来ることで、レミア皇女として刺客に狙われ続けた自分の気持ちを推し量ってくれたのだろうと、ラウナは理解した。
――あの手に掛かって逝けるのなら――
 自分はとても幸せなのだと思えた。


 賓客を迎える宮の一部屋に、シエナ達カーネリアの者は通されていた。武官の装束はそのままであったが、シエナだけは戦装束を解き、女王の衣装に着替えていた。
 肩を開けた上質な布地の衣装が、シエナのきめ細かく滑らかな白い肌に映える。肩口から続く胸の線は、以前は許されなかったものだ。今は女人であることを誇るかのようにまろやかな曲線を描いている。背に流した髪は漆黒の闇を思わせ、貴石を散りばめた鎖状の髪飾りで飾られている。露わにした胸元を彩る首飾りには焔の石が嵌め込まれていた。
 リオドールの女官が、仕度を終えたシエナを案内する。その後に続いて、シエナは部屋を出た。シエナの後には、凛々しい姿のアーベルが続く。
 回廊がゆるりと曲がったその先の部屋で、王が待っているのだと言う。そこは以前、ペリエル国との戦の折、リオドール領地の通行許可を願い出た際に通された部屋であった。
――思えばここで、ラウナと最初の出逢いを迎えたのだ。
 扉の前に立ち、シエナは感慨深げにそこに施された美しい象嵌を眺める。カーネリアのものに勝るとも劣らないそれは、腕の良い細工師の手によって施され、長の歳月を経てなお、美しくそこに在るのだと知れる。以前訪れた際には、それに気付く余裕もなかったのだけれど。
 案内の女官に続いて扉を入れば、円形の大きな卓の奥の椅子に、新王ルバトが掛けて待っていた。
「ようこそおいで下さいました。お疲れでしょう」
 ルバトがにこやかな笑みを浮かべてシエナを迎えた。
「わたしは足を悪くしてしまったので、このような姿のままで申し訳ない」
 引き摺る足を見られたくないからと、強大な国カーネリアの女王を迎えるというのにルバトは立つこともせず、椅子に掛けたままであった。
 眼を転じれば、ルバトの隣にはラウナ皇子が居た。立ち上がってカーネリアの女王を迎えた彼は、何もかもを承知したかのように、静かな面持ちでこちらを見ている。シエナは初めて逢ったかのように軽く小首をかしげて会釈して見せると、すぐさま王に視線を移した。
 勧められた椅子に座ると、ラウナも座る。それを眼の端だけで見てとり、シエナは王に向かって艶然と笑んで見せた。彼の無礼を許すという意味だったのだが、その笑みは周りの者を圧倒する。ルバトもすぐには次の言葉を見つけることができなかった。
「カ……、カーネリア国女王シエナ様におかれましては、ご婚約が相整われたそうで……おめでとうございます。そちらの方が、王婿(おうせい)となられるお方ですか?」
 ようやく言葉を見つけ、付き従うアーベルに視線を走らせた。公の報せではなかったが、人々の噂で大方のことは知っている。シエナの婚約の相手は、彼女の従兄でもあり、いつも付き従っている影のような近衛の長なのだと聞いていた。
「ご婚儀を迎えられました暁には、何をおいてもお祝いに駆けつけさせて頂きます」
 放っておけば、ルバトは畳み込むように、とめどなく話し続けるだろう。シエナは王の瞳を見つめ、一層の笑みをその唇に刷いた。それが饒舌な者の言葉を奪うのに絶大な効果があることを、シエナは知っていた。
 この場にはそぐわない程の美しい笑みに、ルバトは自分の言葉の何がそうさせたのか判らず、口をつぐんだ。大国の機嫌を窺う小国の長のように――実際は、それ程までの格差はまだ無かったのだが――シエナの顔色を見ては、懸命に考えを巡らせ、そこから何かを読み取ろうとしている。
 揃えた指先を口元に添え、くす……と小さな声をたてて、シエナは笑った。
 ルバトはますます情け無い表情になる。
 シエナの横に控えて居ながらも、アーベルは彼女がそんな笑みを零したのを、ひどく驚いた面持ちで見ていた。
 あの戦以来……いや、物心がついて以来、初めてのような気がする。
 それは生まれてよりこのかたずっと女人として暮らして来た者よりもなお、女人らしい笑みだった。
「そのことでお話があって参りました」
 シエナはようやく口を開いた。
「こちらに第二皇子、ラウナ様がお戻りになられたとのこと」
 当のラウナを見ることもせず、そのままじっと新王ルバトの瞳を見つめる。柔らかな口調ではあったが、ひた、と据えるその視線は鋭くルバトの瞳を射抜いた。
「本日は、そのラウナ様のことで参ったのです」
 そこでようやくシエナは愛しい人を見つめた。視線が交わったのはほんの数瞬のことだったけれど、住む国を分かたれ、離れ離れになってしまった二人には、永遠にも思える時間だった。
 万感の想いを込めて、互いに見つめ合った。
 やがてシエナの方から先に視線を引き剥がす。そうしなければ、ずっとそのはしばみ色の瞳に囚われてしまいそうに思えたから。
「ラウナのことと申されますと?」
 新王ルバトが、困惑したように訊ねた。シエナは僅かに(おとがい)を上げ、すっと眼を細めた。ゆっくりと口を開く。
「カーネリア国、第三十一世女王シエナの婿……つまり、共にこれからのカーネリアを背負う者として、ラウナ皇子を貰い受けたいのです」
 きっぱりと、シエナは告げた。この部屋の時の流れが止まる。誰もがみな、聞いた言葉を理解できず、我が耳を疑った。
 ラウナでさえも、そのはしばみ色の瞳をいっぱいに開いてシエナを見つめたままである。ルバトに至っては、何かを言おうと口を開けて瞬きを数回し、それでも何も言えずに情けない表情のまま凍り付いたように動かなかった。
 シエナは席を立った。黒曜石の瞳で王の瞳を射抜いたまま、ゆっくりと歩を進める。リオドールの近衛の兵は、その妖艶な仕草に心奪われ、主を護ることすら忘れていた。
 視線を合わせたまま、シエナは王のすぐ傍まで歩み寄った。王の真正面に立って、優雅な仕草で腰をかがめる。上質な布地が触れ合う衣擦れの音と、シエナの使う香の薫りが、王の感覚を奪った。そうして夢でも見ているような心地の王の耳元に、シエナは睦言をささやくかのように唇を寄せた。
「以前、どこぞの国が捨て駒として我が国に皇子を送り込んで来たのだったが……今更その皇子が惜しいなどと、口が裂けても言えぬであろうな」
 王の耳にだけ届く、シエナの声。
 美しい笑みを湛えたままであったが、その声は低く、そして有無を言わせぬ響きを持っていた。
 リオドール国王は、金縛りを解かれたようにぴくりと小さく痙攣した。恐る恐る視線だけを巡らせて、シエナの様子を窺おうとする。だがあまりにも近付きすぎていて、彼女の表情を捉えることはできなかった。ただ、肩口から零れた漆黒の髪の隙間から、美しい貴石のはめ込まれた大振りな耳飾りが揺れているのだけが見えた。
 回らぬ頭で、懸命に考える。申し出を受けるべきか、受けざるべきか。
 国力が衰退してしまっている今、強国カーネリアと事を構えることは不可能であろう。すぐに二つの国の力の差が歴然としていることに思い当たり、リオドール国王は、自分が言うなりになるしかないことを悟った。
 だが、それでも……。
 いつかはカーネリアを手中にしたいという先王の願いは、共に国政にあたってきた自分には、絶対のもののように思えた。先王が亡くなった今でも、この身体の中に染み付いて離れない。ラウナが戻り、その才を見て、その願いが果たせるかも知れないと思った。だからこそ、ラウナの助言を得て、足がかりを作るべく下準備をしようとした矢先なのに。
 王は言葉を探す。
「それは……」
 何を言おうとしたのだったか。シエナの耳飾りがゆうるりと揺れるのを見れば、続く言葉は霧散した。
 シエナがすっと眼を細めた。
「ラウナをこちらに寄越せば、カーネリアは今後一切、この国には手出しはしない。またそれだけではなく、他国の脅威からも護ってやろう。どうだ? この話、悪いものではなかろう?」
 強国の長として。少しばかり顔を離し、シエナが王の顔を覗き込む。王も眼をいっぱいに開くと、相手を見た。
 間近に見えるのは黒曜石の瞳だ。シエナの纏う、どんな貴石よりも美しく見えた。射るような視線は、首を横に振ることを躊躇わせる。
 威厳に満ちたシエナの言葉は、弱体化したリオドールの王を震え上がらせた。
 ここで『否』と応えれば、カーネリアはただでは済まさないであろう。リオドールが密かに先の調停を覆そうとしたのと同じように、『何もしなければ攻め込みはしない』という約定を破るつもりかも知れない。
 ラウナ一人を差し出して、事が納まるのなら……。
「承知……しました」
 小さく吐き出された言葉に弾かれたように、ラウナ皇子が異母兄(あに)を見る。彼の瞳は、驚きに瞠られていた。
異母兄上(あにうえ)……」
 我が耳を疑った。シエナが異母兄の耳元で何を囁いたのか、ラウナは知らない。だがそれが戯言で済まされるものでないことは、彼の表情を見れば判った。
 そのはしばみ色の瞳を、シエナに向ける。彼女はゆっくりと腰を伸ばし、満足そうな笑みを浮かべてこちらを見た。
――美しくなった――
 ラウナは愛しい人を、飽かず、見つめた。彼のはしばみ色の瞳は、リオドールという魔物との契約が切れた喜びに満ちていた。


 空は晴れ渡り、日の光が柔らかく降り注いでいる。
 シエナは鏡の前で、ルチエラに髪を梳られていた。
 上質な布地の衣装は、この日のために作らせたものだ。肩先から斜めに掛けた、金色を基調にした錦の飾り帯は、今日が特別な日であることを物語っている。
「お綺麗です……シエナ様」
 髪飾りを留め終えると、女官ルチエラが感慨深げに鏡の中のシエナを見つめ、声を詰まらせた。生母である正妃亡き後、母親とも姉とも思って慕っている女官の涙に、シエナは唇の端を弓形に引き上げて応ずる。
「長い間、心配をかけたな」
 女官の涙を見ても、この心は決して不安に揺らぐことはない。背に流した髪は艶やかに輝き、貴石に彩られた髪飾りがそれを更に美しく飾っている。この髪を頭上高く結い上げることは、もう無いだろう。
 他国と戦をせずとも済むよう、カーネリアを強い国にする。この国をますます栄えさせ、力をつけて、近隣諸国を束ねていく。それがラウナ皇子との約束であった。
 カーネリア国においては、戦場で兜をつける時でなければ、女人は髪を頭の高い位置で結い上げてはならない。ならばこれより先、この髪を男のように束ねることは、決してしないだろう。
 羽箒(はねぼうき)で衣装の上を撫でて塵を払うと、ルチエラは片膝をついてシエナの脇に控えた。
 一振りの剣が達人の手によって差し出されるように、シエナは音もなく、すっと立ち上がった。姿見に全身が映る。
 そこには婚礼の衣装に身を包んだ、シエナが居た。


 シエナは、自分の宮から回廊を渡って中庭を抜け、婚儀の間に向かった。
 偽りの婚儀から二年半余り。あの時と何ら変わらず、それはそこに在った。
 女官によって扉が左右に開かれる。重々しい音と共に、婚儀の間に光が差した。シエナが入ると、すぐさま扉は元通りに閉められる。ここには婚儀に臨む者とその女官、それに婚儀を執り行なう神官だけしか入ることは許されない。
 高い天井には、抑えた色調で一面に模様が描かれている。壁は漆喰に緻密な彫刻が施されもので、上のほうには透かし彫りになった天窓がはめ込まれていた。
 その天窓を仰ぎ見れば、本当に神が降りて来そうな、そんな心地がした。
 あの時と同じように天井に眼を移す。長い年月を経てもなお、朽ちずにそこにある模様は、今日もおごそかにこちらを見下ろしていた。
 天窓から差し込む僅かな光に、舞い上がった塵がきらきらと輝いて見えた。
 衣装の裾を後に長く引き、シエナは奥へと進んだ。
 入口から入って真っ直ぐ進んだ先に、祭壇がしつらえてあった。蝋燭(ろうそく)が灯され、炎が揺らいでいる。天窓からの僅かな光しか差し込まないこの部屋の中では、蝋燭の揺れる灯りに周りの物の影も揺らいで見えた。
 シエナは、その祭壇の前に人影を見つけた。肩から流れる衣の裾を長く引いた背の高い人。
 先触れの女官が女王の到着を告げると、その人はゆっくりと振り返った。
 蜂蜜色の髪を頭上高く結い上げ、こちらに向かってそのはしばみ色の瞳を笑みの形に細めるのは、片時も忘れたことのない、ラウナ皇子だった。シエナの胸は、愛しさで一杯になる。
 駆け出したい気持ちを抑え、慎重に歩を進めた。先触れの役目を果たした女官が戻って来るのとすれ違う。それを視界の端に見留め、また一歩、シエナは祭壇に近付いた。
 シエナが隣に立ってまっすぐに前を見つめると、ラウナも祭壇に向き直った。
 神官が、この国の教えにのっとって儀式を進める。二人の手を重ね、その上から聖なる水を注いだ。水は先にこの国の女王であるシエナの手を濡らし、次に王婿となるラウナの手を濡らしてから大振りの銀の杯に集められる。神官はそれを捧げ持ち、祭壇の上に置く。手を重ねたまま、二人は誓いの言葉を唱和し、婚儀は滞りなく終わった。


 続く祝宴は、婚儀の間の隣の大広間で行われた。臣下の者達が集い、にぎやかに宴が進められる。
 何物にも染まらぬ意志の強さを表すような漆黒の髪の女王が、太陽を写し取ったような蜂蜜色の髪の王婿の隣に並ぶ。
 高い席に座る二人の様子を、遠くから見ている影があった。黒の衣装に身を包んだ、アーベルである。彼は近衛の長の任で、この大広間の警護をしているのだ。
 ここから見る二人は、似合いの夫婦に見えた。今までの様々な出来事など何も無かったかのように、祝福に満ちている。
 最初から、敵う筈もなかったのだ。今ならそう思える。そして、それで良かったのだと、アーベルは思う。
 自分では、あのようにシエナに幸せそうな顔をさせてやることはできない。
――ラウナ様が太陽となってシエナ様を照らす。ならばわたしはこの一生をかけ、対極に在る影となってシエナ様をお護りします――
 宴はまだ終わりそうもない。臣は酔い、歌い、祝福をする。
 シエナが治め、ラウナがそれを支える。そんなカーネリアの国を、自分もまた影となって護って行くのだと、アーベルは心に刻んだ。


 シエナは酒の注がれた杯を捧げ持ち、ラウナに顔を向けた。彼もまた杯を捧げ持って、そのはしばみ色の瞳でこちらを見返した。
 偽った姿のまま臨んだ婚儀の折にも、二人は同じことをした。だが今日は、全てが違っていた。
 ラウナの髪は頭上高く結い上げられ、代わりにシエナの髪が背に流されている。ラウナの身の丈は随分高くなり、シエナを容易に見下ろすことができた。
 衣装の下のシエナの背には新たな傷跡が増え、戦を知らなかったラウナの背にも、同じく深い傷跡があった。
 心さえも傷ついた。失い、怖れ、けれども再びまた(まみ)えることができた。
 大広間の明るい灯りに照らされれば、お互いの顔もよく見える。シエナは杯を干すのも忘れ、片時も忘れることのなかった愛しい人を見つめた。
 くっきりとした目元は涼やかな曲線を描き、はしばみ色の瞳がその中央でこちらを見つめ返している。形の良い鼻梁の下には、赤い唇。
 彫りの深い異国の顔立ちで、どこか中性的ななまめかしさも漂わせている。
 美しさは以前よりも増したかも知れない。だがその一方で、あの時には感じなかった凛々しさも備わっているように見えた。
 そのラウナの瞳が、ふと、柔らかく笑んだ。
「あなたをもう一度我が伴侶と呼ぶことができる日が来るなどと、思ってもみなかった」
 そう言って杯に口をつけると、それを卓の上に置く。
「あなたを大切にしたい。この国で、わたしは女王として表に立つあなたの支えとなり、生きていく。あなたが望む限り、わたしはあなたを残して、逝きはしない」
 そうして強い国を造り、それをこれから二人の間に産まれて来るであろう子に託して、戦のない世を造るのだと。
 ラウナのはしばみ色の瞳は、もう離さないとばかりにシエナの黒曜石の瞳を捉える。
 見詰め合ったまま、力強く、はっきりと。確かな約束を、ラウナは告げた。
 シエナの瞳が、水面(みなも)に揺れる。この時、生まれて初めてシエナは大勢の臣の居る前で涙を零したのであった。
――踏めば壊れてしまう、玻璃の橋板の上を渡って来たようだな、私達は――
 出逢ってから、今日までを思う。ラウナがそれを察したかのように、小さく頷いた。
 零れる涙を、ラウナの長い指がすくい取る。そのままシエナの頬に掌を押し当てた。宴もたけなわである。臣下の者達は、歌にうかれ、美酒に酔い、既にこちらを見ている者など居ない。見つめあう瞳は、饒舌に互いの想いを告げ……祝福のざわめきが満ちる中、二人は口付けを交わした。
 シエナ十九歳、ラウナ十七歳。偽りの婚儀から二年半余り経った今、ようやく二人は本来の姿でカーネリアの神に祝福されたのである。


カーネリア王国史には綴られる。
第三十一世シエナの御代。
女王シエナはその伴侶にリオドール国より第二皇子ラウナを迎え、二人の皇女をもうけたと。
第一皇女が女王の位に就くまでのたった十九年間ではあったが、カーネリア史上始まって以来の血の通った暖かい(まつりごと)を行なったのだと。
弟皇子ルベルや、偽りの妃レミアについての詳しい記述はない。ただ女王は臣下に恵まれ、いつも影のように寄り添い、その右腕とも称された人物がいた……とだけ、王国史は伝える。