〜告白まで 一〜
「暑っちー」
もうすぐゴールデン・ウィーク。この間入学式があって部活の申し込みをしたと思ったのに高校に入ったら、すっごく時間が経つのが早い気がする。このままじゃすぐにジジィだよ。
弓道着の背中がベタベタする。気持ちワリィ。少し体動かしただけで、こんなに汗をかく季節になっちゃったんだな。
「
葛西、休憩だってよ!」
倉持直哉が、こっちに向かって親指を立てて見せた。バッカだな。ほーら、やっぱり顧問の足立に頭ハタかれた。
「ああ」
ここで笑うと、こっちまでとばっちりを喰う。普段のポーカーフェイスを崩さず僕は返事をした。
中学の頃から伸びだした僕の背丈は、今では一八七センチになっていた。直哉と並んでも頭半分高い。中学の頃は直哉の方が高かったのに。
中学二年生の時、初めて女の子から告白された。可愛い子だったけど、今いちピンとこなくて断ってしまった。やっぱり自分から好きになった子じゃないと。だからって、その時他に好きな子がいた訳でもないんだけどね。
顔立ちもまあまあ――と直哉は言う――だから陰で僕の事を好きだとか言ってる女子がいるらしいけど、顔で選ばれたって嬉しくないよ。好きでこの顔に生まれたワケじゃない。
僕はせめてこの顔に似合うくらいの人格をそなえようと努力した。高校に入ってから、中学三年間続けたバスケを捨てて弓道部に入ったのだって、精神修養の意味もあったんだ。なぜか直哉もくっついてきちゃったけど。
幸か不幸か、そのお断り事件(?)から告白された事はない。僕がなるべく目立たないようにしているせいか、表立って騒がれることはなかった。その方が僕も嬉しい。
「ぷはー。練習の合間のコレは腹に染みるな」
弓道場の壁にもたれた格好でポカリのペットボトルを飲み干し、直哉が言った。
並んでもたれていた僕は吹き出してしまう。
「おまえ、オヤジ臭い」
「なんでだよー。葛西だってホントはそう思ってるだろ?」
「まあな」
「いっつもポーカーフェイスでさ。おまえ、顔いいんだから、もっと自分に素直になって愛想よくしたら絶対モテると思うんだけどなー」
直哉がもったいなさそうな顔で、僕を見る。
「あいにく、モテようとは思わないんでね」
僕も残ったポカリを飲み干した。
「顔、気持ち悪いから洗ってくるワ」
さっき吹き出したポカリが口の周りに飛び散ってベタベタする。僕はタオルを引っ掛けて、水のみ場に向かった。
「おう。あと五分で練習再開だからな。遅れんなよ」
背中の方から直哉の声が追いかけてきた。
水飲み場兼足洗い場で蛇口を全開までひねる。弾かれた水しぶきが陽の光に透けてキラキラと光っていた。
「気持ちいいー」
顔を洗ってタオルでごしごし拭くと、やる気が湧いてきた。さて。弓道場に戻るか。急がないと、また顧問の足立の機嫌が悪くなる。さっき直哉がご機嫌を損ねるような事したから、今度何かやったらそいつは頭ハタかれるどころじゃないだろうな。
ふと視線を巡らすと、向こうの方から弓道着の女子が二人歩いて来た。
「あ。バカ。遅れちまうぞ、あいつら」
僕は舌打ちした。あんな所を今頃のろのろと歩いてたんじゃ間に合わない。
一人はショートカットで背が高く、もう一人は肩より少し長いストレートの髪。
楽しそうに笑って話してる場合じゃないだろ。腕をあげた拍子に……何か落とした。おい。気付かずに行っちゃったよ。……って、あれ? そっち弓道場じゃないのに。
僕は不審に思いながら落し物に近づいた。ミニ・タオル。猫のもようの……何かのキャラクター? 僕はそういうのに疎くて良くわからない。
ミニ・タオルに気を取られているうちに二人はどこかに消えていた。
「わっ! やばっ、遅れる!」
我に返った僕は、それを拾い上げて懐につっ込むと急いで走った。
案の定、三分遅れで弓道場に戻った僕は、顧問の足立から腹筋・腕立て百回ずつのありがたい別メニューを頂戴した。
弓道場の隅で別メニューをこなした僕は、汗を拭きながらふとあたりを見回してみた。
さっきの子がいたら、これ返さなくちゃ。僕の懐で、ミニ・タオルがほのかなふくらみを主張している。それが女子の持ち物だというだけで、なんだかくすぐったい。注意して見回してみたけれど……。さっきの女子はいなかった。
あれ? おかしいな。弓道着、着てたんだけどなぁ。調子悪くなって帰ったのかな。仕方ない。今日は持ち帰って、明日渡そう。
僕はミニ・タオルを学生鞄にしまった。
次の日も、その次の日も、この間の女子は部活に出てこなかった。
先輩の顔は男子も女子も覚えてしまっているから、見覚えが無いということは一年生だと思う。入部一ヶ月足らずで、もうやめてしまったんだろうか。だとしたら、根性のないヤツ。
なんとなく納得いかないまま、ゴールデン・ウィークも過ぎてしまった。毎日学生鞄に入れていたミニ・タオルも、その内に持ち歩かなくなった。
「葛西ぃ。今日、帰りに付き合わないか?」
部活が終わって部室で着替えている最中、直哉がここ最近にしては珍しく僕を誘った。
もうすぐ衣替え。この季節、部室は男臭くてかなわない。男の僕がそう思うんだから 女子がこの部屋に入ったら気絶するかもな。
「ああ。いいよ。じゃ、外で待ってる」
まだ着替えの途中の直哉を残して、僕は部室の外に出た。
丁度、胴着に袴姿の女子が隣の部室のドアを開けている。胴着に袴……?
「あ」
肩より少し長いストレートの髪の子と、ショートカットの背の高い子だった。この間のミニ・タオルの女子!
そうか。剣道部だったのか。遠くからだったから見間違えたんだ。剣道部なんて、防具をつけた姿しか見たこと無かったからな。よく見れば弓道着より、袖が少し長いか。
「
悠真、今日コンビニ寄ってこ」
「こないだ
茉由におごってもらったから、今日は私がおごるよ」
「悪いね。じゃ、キャラメル味のアイス」
「はいはい。わかったよん」
僕の方を気に留めるでもなく、二人は楽しそうに話しながら部室の中に消えていった。
ミニ・タオルを落とした子――ストレートの髪の方――は『ゆま』と呼ばれていた。
今日はあのミニ・タオル持ってないや。明日にでも持って来よう。それにしても……。
何年生だろう、あの子。僕より頭二つ分位、背が低かったな。やっぱり一年生かも知れない。
何の根拠も無かったけれど、僕はなぜだかそう思った。
「お。悪い。遅くなった」
直哉が疲れきった顔で、のっそりと部室から出てきた。
「いや」
厳しい稽古で体は疲れていたけれど、僕はなんだか気分が良かった。
それから直哉に付き合わされて、ゲーセンに行った。さっきまでの疲れきった顔がウソのようにはしゃいでいる。
制服のままだったから先生に見つかったらマズかったけど、直哉が穴場を知っていたおかげで僕たちは充分楽しんで家路についた。
部活の疲労感とゲーセンで興奮した後の脱力感で、僕は家に帰るなり二階の自分の部屋に上がると学生鞄を放り出してベッドに横になった。
腕を伸ばしてノビをすると、ふと枕もとの引き出しが目に止まった。
あ。そうだ。明日、これ返さなきゃ。体を半分起こして引き出しを開けると、ミニ・タオルを取り出した。ちゃんと洗ってビニール袋に入れてある。僕の部屋の男臭いのが移ったら可愛そうだと思ったからだ。ネコのキャラクター。すっとぼけた絵柄を見ていたら、あの子の顔が浮かんできた。
「今頃これ返しても、不審に思われるんじゃないかな」
頭に浮かんだあの子の顔が、嫌そうにゆがむ。ストーカーみたいに思われないだろうか。あれから随分時間が経ってるし……。
「うーん」
しばらく猫のキャラクターと睨めっこしていたが、僕はまた引き出しを開けてそれをしまい込んだ。
手元にあるミニ・タオルをどうやって返そうか迷っている内に、いろいろな場面であの子を探している自分に気が付いた。
自分の家にあの子の持ち物がある。そう考えただけで、なんだか甘いような、くすぐったい気持ちになった。
一年生だろう、と目星をつけたはいいが、ここの高校は一学年でA組からH組まで八クラスある。隣か近いクラスでないと、なかなか全員の顔まではわからない。『ゆま』とよばれたあの子は、なかなか見つけられなかった。
部室が隣同志だったけど、部活開始や終了の時間が合わなくて、なかなかあの子の顔を見ることは無かった。
そうこうする内に一学期の期末考査が終わり、上位五十名の名前が廊下に貼り出された。
「葛西。おまえまた十番以内だぞ」
僕が発表用紙を見ようと教室を出ると、直哉が声を掛けてきた。
どれ。あ、あった。六番か。中間より一番上がったな。
「ふうん。おまえは?」
何気なく聞き返す。
「……圏外」
直哉の脱力感いっぱいの声が背後で聞こえたと思ったら
『ぼすっ』
背中をグーで殴られた。
「う」
軽くだったけれど、結構きいた。どうやら僕は、地雷を踏んだらしい。
「いいよな、おまえは。いっつも十番以内だからな」
『いいですよ、どーせ』的な声で直哉がすねる。僕の背中にヤツの手で『の』の字が十一個書かれた。
「やったよ、悠真。アンタ二十一番」
背後から聞いたことのある、そしてずっと気になっていた名前を聞いた。
『ゆま』
あの子だ。発表用紙の中の名前を探す。
あった。二十一番。
桐生悠真……っていうのか。
『きれいな名前だな』
僕は素直にそう思った。
「茉由は?名前ある?」
桐生さんは、さっきの僕と同じような事を言っている。やめとけって。地雷踏むぞ。
「んーと。私は……ありゃー。四十九番だってさ」
最後はため息とも笑いともつかない声で、もう一人の『まゆ』と呼ばれた子が言った。
我ながら嫌なヤツとは思ったけど……。発表用紙に視線を走らせた。四十九番。
名倉茉由。仲がいいんだな。あの二人。いつもくっついてる。何組かな。
……って、何でこんな事、気にしてるんだろう。
「あれ。名倉と桐生じゃん」
僕の背後で直哉がぼそっと呟いた。
「何? 知ってるのか?」
思いがけない展開に少なからず動揺したが、僕はなるべく平静を装った。
「ん。オレと同じクラスだもん。あの二人」
ほー。直哉と同じクラスって事は、B組か。僕がH組だから全然接点ないワケだ。ほとんど校舎の端と端だもんな。
直哉が僕のクラスに遊びに来ている事が多かったから今まで気が付かなかったんだ。これからは僕がB組に遊びに行くとするか。
え……? なんで?
僕はつい今しがたの自分の考えを
反芻して驚いた。あの子に逢いたいのか? 僕は。そう考えた時、胸の奥で心臓がドクンと大きく鼓動した。
高校生活はじめての夏休みがやって来た。思いっきり高校最初の夏休みをエンジョイ……と思ったら、土・日を除いて、それなりに部活の日程が組まれている。
「かったりぃよなー」
直哉が弓道場の壁に無造作に貼られた部活動予定表なる物を睨みながら、ホントに気の抜けた声を出した。
「いいじゃないか。家にいても、どうせゲーセン入り浸りだろ?」
射場の端で弓を片付けながら、僕は笑った。
直哉はこっちがあきれる程、ゲーム好きなんだ。暇さえあればゲーセンに行っている。よく金が続くなぁと思うけどどうやらヤツはそのためにバイトをしているようだ。
「しっ。葛西、声デカイって。足立に聞かれたらどうすんだ」
直哉が慌ててすっとんで来て、僕の口をふさぐ。
「あっ、バカ。弓をまたぐな!」
僕はあせった。手入れが楽で丈夫なグラス製とはいえ、大切な弓。
「おまえ、そんなんじゃ弓道やる資格ないぞ」
思いっ切り睨みつけた。
「悪りィ」
しゅんとしてしまった直哉を見て、少し可哀相になる。
「さっさと安土(あづち=矢が刺さるように盛ってある土)直して帰るぞ」
直哉の肩を軽く叩き、僕は的場(まとば=的が立ててある場所)に向かう。一年生は稽古が終わったら、ちゃんと整備して帰らなければならない。どこの部も同じだと思うけど。
安土の整備も終わり、部室に戻る。
「剣道部……今日も稽古なのか」
つい、隣の部室が気になって聞き耳を立ててしまう。ドアを開け閉めする音が聞こえるから、今日も稽古があるらしい。
「そこの一年生。さっさと出ろよ。鍵しめるぞ」
ぼーっと着替えていたら、先輩に怒られた。部室の鍵を預かるのは部長と決まっている。部長は僕たちが整備をしている間も待っていてくれたんだ。
「すみません」
僕たちは短く謝ると部室を出た。
剣道場の方で竹刀を打ち合う音がする。ドアが開け放たれているのでよく聞こえる。なんとなく気になって、僕はそちらに近づいていった。
中では防具に身を包んだ剣士たちが激しく打ち合っている。
垂袋に名前が書いてあるのが見えた。
あ。いた。
『桐生』と書かれた垂袋をつけた剣士がひときわ大きな剣士に向かって打ち込んでいる。強い……ように思う。僕は剣道の事はよくわからないけど。
弓道が『静』の武道だとしたら、剣道は『動』の武道だな。どちらも昔は戦のための武術だったんだけど。頭の中に、剣を振りかざす桐生さんと弓を身構える僕とが浮かんだ。なんだ。この妄想は。
「よ。何見てんだ」
後から直哉に頭をこづかれた。
「痛てぇ」
オーバーに後頭部をさすって振り向くと直哉のにやけた視線とぶつかった。
「いーよなー。可愛いよなー」
可愛いって誰の事だよ。おい。面かぶってて誰が誰だかわかんねぇだろ。平静を装って僕は聞いた。
「剣道部に誰か好きなヤツでもいるのか。直哉」
「まあな。同じクラスの……」
なんだと?
「同じクラスの?」
つい挑戦的になってしまう。
「……やっぱやめた」
「なんだよ、直哉。気持ち悪りィな。最後まで言えよ」
すっごく気になる。桐生さんじゃないだろうな。
「なんで、そんなに気にするワケ?」
直哉がいぶかし気に僕を見上げる。
「いや……。オマエの好みってどんなヤツかな、と思ってさ」
「……オレに気があるのか? オマエ」
わざと恥らうようにシナを作って直哉が言った。
「……」
笑う気もおきない。
「一人でやってろ。バーカ」
僕は直哉のオデコをパチンと指で弾いた。
『ドスン』
突然、僕は何かにぶつかった。後ろ向きで直哉と漫才もどきをやっていたので誰かが剣道場から出てくるのに気が付かなかったようだ。
「すみません」
僕より先に相手が謝る。桐生さんだった。
「あっ……。ごめん。ジャマしちゃって」
彼女の瞳に見つめられて、僕は少しばかりアセった。僕より小さなその体は、稽古の後の熱で上気している。
『剣道部はクサい』
と誰かが言っていたけど、彼女の髪からも剣道着に包まれた体からも女の子特有のいい匂いが立ち上っている。
僕はクラクラと軽い
眩暈のようなものを感じた。
彼女が行ってしまってから、直哉が僕に向かって意味シンな視線を投げかけた。
「ふーん。そういう事か」
僕はどきりとする。
「……どういう事だよ」
「オマエ桐生が好きだろ」
「!」
僕は言葉が無かった。恐る恐る聞いてみる。
「やっぱ、オマエもそう思うか?」
「はぁ?」
直哉は、信じられないといった視線を投げ返した。
「オマエ、自分の気持ち気付いてなかったのか?」
「まあ……な」
僕は言葉を濁した。
「いっつも憎たらしい程ポーカーフェイスのオマエが、一瞬だけどアセってたもんな。オマエのそんな顔、最近見てなかったから快感」
そう言って直哉は嬉しそうに笑った。
「ま、オマエもただの男だったワケだ」
なんかその言い方、イヤらしいぞ。でも言い返す言葉が見つからなくて、僕は黙ったまま直哉と視線を合わせないようにしていた。
「葛西?」
僕が黙ってしまったのに気付いて直哉が覗き込む。
「オレが好きなのは名倉だ。心配するな」
そう言って直哉は僕の背中をグーで軽く叩いた。