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彼の気持ち


〜振り向いて 一〜


 その日は前日が試合だったので、朝練は無かった。ま、ウチの朝練は半分自主トレみたいなトコがあるけど。
 夕べ遅くまでレンタルビデオ屋で借りた映画を観ていたからなんだか眠たい……。
 電車の中は、もう暖房が入る季節になった。ありがたいけど眠気に拍車がかかる。
「ふぁ……」
 何回目かのあくびを噛み殺した時、電車のドアが開いた。ここは僕の乗った駅の次の駅。学校に行くにはあと2つ目の駅で降りる事になる。
「待って、待って! その電車、待ってーっ!」
 半分眠っている僕の頭に、どこかで聞いた事のあるような声が響く。大きな袋をかついだ女子高生がダダッと走ってきた。
 彼女が駆け込むと同時に
『プシュ……』
 ドアが小さな音をたてて閉まる。 ぎりぎりセーフ。良かった。遅刻しなくて済んだらしい。
 ここからは顔はよく見えないけれど、ウチの高校の制服だ。彼女は肩で息をしながらあたりを見回した。
 あれだけ派手な声をあげて駆け込んで来たんだ。みんなが注目している。可哀相に。
「ははは……」
彼女は照れ笑いをしながらバツが悪そうに下を向いた。あれ? あの子……。
 人が少し移動して、僕は彼女のすぐ前に押し出された。その顔を見た時、僕の眠気はいっぺんで吹き飛んだ。桐生さんだ。背中に大きな袋――防具袋をかついでいる。剣道部も昨日試合だったのか?
 心臓が急に早鐘のように鼓動し始める。チャンスだ。今を逃したら、金輪際話し掛ける事なんてできないと思った。心臓の音が彼女に聞こえてしまうんじゃないかと思ったけど、平静を装って僕は声を掛けた。
「おはよう。桐生さん」


 彼女は誰に声を掛けられたのか、わからなかったようだ。まず最初に僕の学生服の胸のあたりを見て、それから、ずずっと視線を上の方に移した。
「ありゃ。葛西くん。あれ? 部活は? 朝練ないの?」
 僕の眼を見つめると彼女は言った。くるくるとよく動く瞳はとても可愛らしい。これは僕の欲目だけではないハズだ。
「今日は試合後の骨休め」
 そう言った後、僕は彼女のスカートがドアにはさまれているのに気が付いた。なんだか彼女らしい。不謹慎だとは思ったけど、僕は笑い出してしまった。
「え? 何?」
 僕がどうして笑っているのかわからないといった風に、彼女は怪訝そうに見上げる。僕はそっと耳打ちした。
「スカート。見てごらん」
 彼女は驚いてスカートに目をやる。慌てて引っ張ったが、どうにも抜けない。諦めたのか、防具で隠した。
「隠してもダメだと思うよ。僕たちの降りる駅、向こうのドアが開くだろ」
 彼女は何事か考えていたが
「やだ。こっちのドア開かないよぉ」
 半泣きのような声で言った。


「取ってあげようか」
 そう言うと、僕は彼女の後ろにまわった。スカートの裾を持って引っ張る。桐生さんのスカート。そう考えるだけで、僕の手は震えた。髪の毛一本でつながってる凧のような僕の理性。頼む。フッ飛ばないでくれ。
 それにしても……。はさまれている部分は少しだけなのに、なかなか取れない。
「ちょっと力入れるよ」
「うん。お願い。少しくらい破れちゃってもいいから」
 そう言うと、彼女は手を合わせてお願いのポーズをした。か……可愛い。僕はくらくらと軽い眩暈を感じた。
「じゃ、遠慮な……くっ!」
 思いっきり引っ張った、その時。
『ビリィィィッ!』
 派手な音が電車中に響き渡り、周りの視線がいっせいに僕たちに集まった。


 駅から学校への道を桐生さんと二人で歩く。願ってもないシチュエーションなのに僕は情けなかった。なぜか。力を入れすぎて彼女のスカート破っちゃったんだ。
「ごめん。ハデに破れちゃったな」
 桐生さんのスカートは、後ろのところが派手に裂けている。僕はそれを隠すために、彼女の斜め後を歩いた。視線を動かすと、彼女のその……下着が見えてしまうワケで、これはもう男の僕にとっては修行のようなモノだった。
『僕は仙人。ヤマシイことなど考えておりませぬ』
 呪文のように唱えながら、必死に下を見たい誘惑と戦っていた。
「イイって。こっちこそゴメンね。気ぃ使わせちゃってさ」
 桐生さんは僕の思惑を知ってか知らずか、のん気にそう言って顔の横で手をヒラヒラさせる。
「あのままだったら、学校遅刻するトコだったんだよ。助けてもらって感謝してるんだから」
 はぁ。そう言ってもらえると、僕も少しは救われるカモ。
「でもどうするのさ、そのスカート。そのまま授業はヤバイよね」
「ジャージでもはいておくワ。今日一日ぐらい許されるでしょ」
「帰りは?」
「しまった。帰りの事まで考えてなかった」
 めったにないチャンス。言い出そうか、どうしようか……。僕は少し考えていたが、決心を固め警戒されないように何気ないそぶりで切り出した。
「僕が桐生さん家まで送るよ」
「えー。悪いよぉ」
 案の定、彼女はびっくりしたようだ。声がひっくり返ってしまっている。
「だって僕の責任だから。僕がそうしたいんだ。なっ」
 彼女に断る隙を与えないように間髪を入れず、畳み掛けるように僕は言った。斜め後ろから顔をのぞきこむと、彼女は視線を外した。
 お願い。断らないでくれ。もう、こうなったら祈るしかない。
「あ……ありがと。じゃ、アテにしてるよ」
 僕の願いが通じたのか気迫に押されたのか、彼女は承諾してくれた。


 校門が見える。登校する生徒たちが増えてきた。
「悠真っ! おはよっ!」
 名倉さんが、校門の反対側から来て声をかけた。
「あ。茉由おはよ」
 桐生さんも手を振って答えた。
「あれー? 葛西くんと一緒なの?」
 名倉さんは傍にピッタリくっついている僕を不思議そうに見上げた。
「僕が力入れすぎて、スカート破っちゃってさ……」
「ええええーっっ?」
 説明を最後まで聞かずに、彼女は大きな声をあげた。待ってくれよ。みんなに注目されちまうじゃないか。そう思ったのは僕だけではなかったようだ。
「しぃーっ! しぃーっ!!」
 僕とほぼ同時に、桐生さんも名倉さんの口を押さえた。でも、ちょっとキツく押さえすぎたようだ。名倉さんは押さえられた手を払うと、声をひそめてでも強い口調で言った。
「はぁっ、苦し……。ちょっとアンタたち、朝っぱらから何やってんのよっ」
「茉由、アンタ……。なんかイケナイ想像したでしょ」
「え? 違うの? だってスカート破ったって、そういうコトしてたんじゃないの?」
「ばぁーか」
 二人はホントに仲がいい。僕と直哉みたいだ。
「名倉さんっておもしろい事言うんだね」
 僕はおかしくなって笑い出した。なんだか僕の心の奥の願いを覗かれたみたいな気がした。
「僕はどう思われてもいいけどさ。桐生さんが誤解を解きたいなら、ちゃんと説明しておいてよ。じゃ僕、顧問の先生のトコに用事あるから」
 ホントはもっと一緒にいたかったけど、顧問の足立に昨日の試合の結果を報告しなけりゃいけない。僕は後ろ髪を引かれる思いでその場を去った。


 今日は桐生さんと一緒に帰れる。そう考えただけで、僕の心臓の鼓動は早くなる。勇気を振り絞って言ってよかった。ヤマシイ気持ちは無いぞ。うん。……多分。彼女のスカート破っちゃったのは僕だから、やっぱり男たるモノ最後まで責任を取らないと……。
 その日は一日中、雲の上を歩いているようにフワフワとした気分だった。


「はい、桐生。次読んで」
 今日最後の英語の授業。教科担任が桐生さんを指名した。彼女が読み始める。……あれ?
「どこ読んでんだ、桐生」
 教科担任のあきれたような声。桐生さん、どうしたんだろ。全然違うトコ読んでるよ。
「何をボーッとしてたんだ? 彼氏でも見てたか? もういい、座れ」
 教科担任がデリカシーのない事を言う。教室中が爆笑する中、僕は笑えなかった。彼氏だと? 彼氏だとぉーっ?
 ちょうどいいタイミングで授業終わりのチャイムが鳴り響いた。これで彼女もこれ以上笑い者にされない。僕はホッと安堵のため息をついた。


 この後は、各自部活の場所に移動となるため教室の中がにわかに騒がしくなった。
 そうだ。部活に行く前に、もう一度桐生さんに念押ししておかないと。僕との約束、ちゃんと覚えててもらえるように……。
「さよならー」
 彼女は誰に言うでもなく、そう挨拶して教室を出ようとした。
「桐生さん」
 僕は後ろから呼び止める。ストレートの髪をなびかせて、彼女が振り向いた。
「部活終わったら、校門のところで待っててよ」
 彼女にその気もないのに僕とウワサになっては可哀相だ。追い抜きざま、小声で言って僕は教室を出た。


 部活の最中も、なんだか身が入らなかった。すごい事だよ。今までどんなに願っても一言二言しか言葉を交わせなかったのに、今日は一緒に並んで登校して来たんだ。部活が終われば彼女とまた一緒に帰れる。彼女を好きになってから今まで約一年半。今日は最高に幸せな一日だ。さあ、時間が来たらさっさと仕度して帰るぞ。
「葛西」
 どんなに嬉しくても、いつものポーカーフェイスを崩さず稽古に打ち込んでいる……フリをしていた僕を顧問の足立が呼び止めた。
「なあ、葛西。昨日の試合、オマエの技量ならもう少しいいとこ狙えたと思うんだ。今日時間の都合がつくようなら、少し残って稽古していけ」
 そんな……。僕は目の前が真っ暗になった。いつもなら、ちゃんとやります。弓道好きだし。でもどうして今日に限って……?


 一通りの稽古が終わった後、他の部員が帰るのを恨めしく眺めながら、僕は大事な事にハタと気が付いた。剣道部の稽古は、そろそろ終わる頃だろう。僕の稽古が長引くことを桐生さんに言っておかないと、この寒いのに彼女を校門のところで待たせることになる。弓道部員が全員帰ったのを見計らって、僕は弓道着を着たまま剣道部の部室をノックした。
『コンコン』
「はぁーい。入っていいよぉー」
 中から間延びした声が聞こえた。
『ガラッ』
 勢いよく開けたドアの向こうには、胴着を半分脱ぎかけの格好のままの桐生さんがいた。
「桐生さ……! うわっ……ごめんっ!」
ダメだ。刺激が強すぎる。慌ててドアを閉めようとした。でも、こんな時に限ってうまく閉まってくれない。それどころか……ハデな音をたてて……あっけなく外れてしまった。なんてこった。勘弁してくれよ……。倒れてくるドアを支えながら、僕は途方に暮れてしまった。


「あーあ、外れちゃったねぇ」
 ボヤきながら桐生さんが近づいて来た。胴着を羽織り直しただけの格好。そのままドアに手をかけた。
 何やってんだ、彼女は。無防備だぞ。胴着の下からすらりとした足が見えている。胴着は長めで制服のスカートの丈と同じ位だけど、有るべき袴が無いと……何と言うかその……。
「桐生さ……んっ! あの……服着てくれない……かな」
 僕はなるべく桐生さんの方を見ないようにして言った。ほとんど懇願に近い。声が上ずっていたかも知れない。
「え? どして? 見えないからいいじゃない」
 彼女は『?』マークのいっぱいついた顔で僕を見上げた。そういう問題じゃなくて!
「いや……その……。僕も一応、男だし……。僕が困る……かも」
 ドアを支えるために両手のふさがっている僕は、もう目のやり場に困って顔だけあさっての方向に向けて言った。
「んー。わかった」
 桐生さんはなんとか納得してくれたようで、胴着の下に今朝のスカートをはく。破れてるけど無いよりマシだ。


 僕の顔は真っ赤になっているだろう。体中が心臓になってしまったみたいに『ドクン、ドクン』なんて鼓動している。
「このドアねー、外れるとなかなかはまらないんだ」
 僕とは反対方向からドアを支えながら彼女が言う。そうだった。こんな事態になったのも、僕がドア外しちゃったからなんだ。怒っているのか?ちらっと彼女の表情を窺う。
「ごめん。急いで閉めようとしたら、つい……」
 つい弱気な声になってしまう。
「ああ、違うよ。葛西くんを怒ってるワケじゃないって」
 僕の声色に気付いたのか、彼女は笑った。
「ところでさ、葛西くんはなんでここに来たの? 待ち合わせ校門でしょ? それにまだ弓道着だし」
 真顔になって彼女は言った。
「ああ。部活ちょっと遅くなりそうなんで、ウチの部室で待っててもらおうと思って」
「他の人いるでしょ」
「僕だけ自主トレなんだ。他のやつらはもう帰ったよ」
「ふーん」


『ガタッ』
 突然ハデな音をたててドアがはまった。反動で桐生さんがバランスを失って倒れそうになる。僕はとっさに手を伸ばした。彼女の腰のあたりを支えようとしたけれど……。伸ばした手にちょっと遠慮があったらしい。見事に二人共コケてしまった。カッコ悪い……。でも待てよ。あんまり痛くない。
「なぁーにやってんの、二人共。やっぱイケナイ事してるんじゃない」
 僕の背後から名倉さんの声が響いた。


 僕はようやく自分の格好に気が付いた。桐生さんの上に乗っかっている。その……何というか、抱き合うような格好で倒れこんでいた。
「ごめん! 大丈夫?」
 僕はバネじかけの人形のような早さで立ち上がると、桐生さんを助け起こそうと手を出す。彼女が僕に向かって手を伸ばしかけた時、名倉さんが言った。
「悠真、見えてる」
 何が? 思わず僕はまだ尻餅をついた格好の桐生さんを見た。桐生さんの顔。ずずっと視線を下に移す。へそが見えた。……へそ? 転んだ拍子に、桐生さんの胴着がめくれたらしい。胸のちょっと下あたりまで見えている。
「見たな」
 下から桐生さんのくぐもった声が聞こえた。
「見てない! 見てないっ! 桐生さんのヘソなんて見てないっっ!」
 桐生さんの視線が僕に突き刺さる。あ。しまった。僕は……自爆したらしい。
「……やっぱり見たんじゃない」
 彼女は胴着の裾を直しながら、冷たく言った。


「じゃあ、私は先に帰るワ」
 名倉さんは着替えをすませると、部室に鍵をかけた。
「うん。じゃーね」
 後には桐生さんと僕が残された。
「さて。葛西くん、まだ練習あるでしょ」
 彼女は僕を見上げる。もう時間も遅いし、それに……。
「なんか練習する気分じゃなくなっちゃったよ」
 なんだかバツが悪くて、僕は彼女の顔をまともに見られなくなってしまった。
「僕も着替えるから、ちょっと待ってて」
 そう言い残して、僕は弓道部の部室に入った。


 部室の中で袴の紐に手をかける。その時、さっきの桐生さんの胴着だけの格好が頭をよぎった。……何考えてるんだ、僕は。ケダモノじゃないか、これじゃあ。そりゃ、男としてはオイシイ一場面ではあったけど……。仮にも一年半も思いつづけた彼女に対して失礼な気がした。


 僕が着替えるのを、桐生さんは部室の前で待っていてくれた。
「じゃ、行こうか」
 日も傾いて来て風が冷たくなった。彼女に風邪をひかせては申し訳ない。僕たちは斜め前後に並んで歩き出した。


 ゴチャゴチャやってる間に随分と遅くなってしまった。校庭に残っている生徒はあまりいない。僕は桐生さんのスカートの破れが見えないように彼女にピッタリくっついて歩いた。ポツポツと他愛も無い話をしながらだったけれど、僕は幸せの絶頂にいた。自然に顔がにやけてくる。こうして並んで歩いていると、まるで恋人同士のようだ。僕は嬉しかったんだけど……。
 変なウワサをたてられては彼女が可哀相だ。ウワサになる辛さは、良く知っているから……。遅い時間でかえって好都合だった。


「ありゃー。しまった」
 校門のところまで来た時、桐生さんが突然大きな声を出した。
「なに?」
 僕は彼女を覗き込む。
「中西さんに見られちゃったよ」
 桐生さんが、困ったという顔をして僕を見上げた。え? 中西さんがいたのか? 気付かなかった。でも桐生さんがこんな事を言うなんて、やっぱりあのウワサは彼女の耳にも入っていたんだ。
「中西さんって、隣のクラスの? 彼女がどうかした?」
 知らないふりをして、さりげなく僕は尋ねた。
「え? あんな有名なウワサ知らないの?」
 彼女は驚いた顔で僕を見る。やっぱり。彼女はそのまま続ける。
「ウワサだけどね。中西さんが葛西くんを好きだって」
 彼女の口から発せられた言葉は、他の誰から言われるよりも僕を打ちのめす。僕のこと全然気に留めていない証拠を突きつけられたような気がした。
 そりゃ、まともに話をしたのなんて今日が始めてだけど。僕の事を何とも思ってないことぐらい、とっくに気付いてたけど。
「そんな事、桐生さんの口から聞きたくなかったな」
何言ってるんだ、僕は? 頭の中は真っ白になってるのに、口が勝手に言葉を繋ぐ。
「桐生さんって、ニブい」
 ひゃあ。言っちまったよ。


「どうして僕が家まで送るなんて言い出したか、やっぱりちっともわかってなかったんだ」
 僕は半分ヤケ気味にため息をついた。頭の中がショートしたみたいになって考えがまとまらない。桐生さんのさっきの言葉が僕の心のタガを外していた。


「わっ、葛西くん。見えちゃうよ、破れたトコ」
 彼女のスカートの破れを隠す事なんて、すっかり頭に無かった。僕は構わず続ける。
「もうこの際だから言っちゃうけど、僕ずっと桐生さんのこと好きだったんだよ」
 わーっ。言っちゃったよ、オイ。頭の中で、もう1人の僕がツッコミを入れる。構うもんか。どうせ告白するって決めていたんだ。男らしく告白できたら、玉砕したって本望だ。僕は言葉を繋ぐ。
「今朝、電車で会えてラッキーだと思ったんだ。おまけにこの事態だろ。神様っているんだなって感謝したよ」
「感謝されても……」
 彼女はそうつぶやいた後、叫んだ。
「えぇーっ? 私のこと好きぃ?」
 彼女の当然といえば当然の言葉に、僕は自嘲気味にため息をつく。
「やっぱり。全然気付いてなかったみたいだね」
「だって……! 話だってあんまりした事なかったし……」
 彼女にとっては、突然の事だろう。
「そりゃ、いつも桐生さんが名倉さん達と一緒で、声かけるチャンスなんてなかったからさ。他に好きなヤツでもいるのかとも考えたけど桐生さんのこと見てる内に、そういうのに興味ないだけかな……って」
 彼女は男子ともよく話をするけれど、誰かに特別に好意を持っている……という風ではなかった。
「さりげなくきっかけ作ったりしたけど、ことごとくキミは蹴散らしてくれたんだよ」
 僕のネーム入りシャープが頭をよぎる。一気に告白して僕は少し冷静になった。そしたら急に照れくさくなってしまって、彼女から視線を外す。斜陽が空を赤く染めだした。それを見上げながら僕は桐生さんが何か言ってくれるのを待った。


「『好き』なんて言ってくれて嬉しいけど」
 ややあって、下を向いたまま桐生さんが重い口を開く。
「私、葛西くんがどんな人か知らないから……。今日のことで優しい人だっていうのはわかったけどね」
 彼女の顔に夕焼けが映って、キラキラと輝きだす。風が吹いて、彼女の真っ直ぐな髪をひと房すくいあげた。僕のずっと好きだった人が側にいる。僕の話を聞いてくれる……。僕は彼女から視線を外せなくて、ずっと眺めていた。


 彼女が顔を上げて視線がからまった。
「すぐに僕の気持ちに答えてくれ、なんて言わないから」
 僕は彼女の眼をみつめたまま言った。
「友達でもいいからさ、付き合ってよ。僕がどんなヤツか知るために」
 とうとう言った。彼女は何と答えるだろう。どうか、どうか、どうか……。祈りにも似た気持ちだった。日がずいぶん傾いて、夕焼けの色が濃くなっていく。
「う……ん」
小さいけれど、はっきりした声で彼女は言った。
 え? 『うん』って聞こえたよな。今。『付き合って』で『うん』ってコトは……OKってコトだよな?
「いいの? ホントに!? やったぁ!」
 僕は思わず大きな声で叫んでいた。
「葛西くんって、もっと落ち着いた人だと思ってたよ」
 側で桐生さんが笑っていた。