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きよしこの夜


〜宴〜


 球技大会が終わったと思ったら、すぐ文化祭の準備が始まる。このところ悠真たちは、その準備で大忙しなのだ。
「公立なのにウチの学校の文化祭、派手なのよねー」
 コンビニでアイスをほおばりながら、茉由は言った。
 茉由の前にはアイスが二個。茉由の好きなチョコレート味とキャラメル味だ。
 それを眺める悠真は面白くなさそうに呟く。
「……ったく 茉由ってば、ホントにアイス二個も食べるつもり?」
 この間の約束を本当に実行すべく、二人は学校近くのコンビニに立ち寄ったのだ。
「約束だもんねー。悠真にもひと口あげようか」
 スプーンでキャラメル味の方をすくって、茉由は差し出した。
「いらない。それより茉由、絶対お腹こわすからね」
 悠真は自分のバニラ・アイスを口に入れた。
「呪いの言葉を吐くんじゃないの」
 そう言って、茉由も差し出したスプーンを自分の口に持っていった。


 悠真たちのクラスは『コーヒーとクッキーの店』をする事に決まっている。コーヒーの仕入先も決まったし、器材や小物の手配も済んだ。
 日持ちのするクッキーは、今のうちから放課後都合のつく者が残って調理実習室を借りて作っている。といっても ほとんど強制的になんだけど。
 今日もそのおかげで部活に参加できなかった。
 それでも悠真たちのクラスは地味なほう。他のクラスは自作の映画を上映したり、カジノを開いたり、この寒いのに お化け屋敷をやる計画をしているところもある。
 お化け屋敷なんて、理科室の中に舞台セットさながらに建てちゃってるのだ。
 おかげでここ何日かは、まともに理科室で授業が受けられない状態。


「お化け屋敷はイヤだよね」
 思い出したように悠真は言った。
「えー? 楽しそうだけど?」
 茉由は、今度はチョコレート味を口に運んで言う。
「だって理科室だよ。骸骨とか人体模型とかホルマリン漬けとかがあるんだよ」
 悠真は思い出して気分が悪くなった。
 割と怖いもの無しの悠真だが 理科室だけは苦手だ。封印してしまいたい位、イヤな思い出がある。
 小学五年生の時、理科室の掃除当番だった悠真は、骨格標本にけっつまずいてご丁寧にも一緒に倒れてしまった。今でもその時に自分の顔にへばりついてきた骸骨の笑い顔――に見えた――を思い出す度、叫び出したくなる。あんなモノ、間近で見るもんじゃない。


「いいじゃない。葛西騎士サマと一緒に行けば」
 今度はまたキャラメル味をすくいながら茉由が言った。
 それが問題なんだってば。葛西くんといると自己嫌悪のカタマリになってしまってダメなんだもん。このところ忙しいからちゃんと話す機会が無くて、申し訳ないけど正直ホッとしてもいるんだ。
 でもそんな事を茉由に言うのも気が引けて、悠真は話題を変えた。
「そんなに食べると茉由、衣装合わなくなっちゃうよ」
 茉由は模擬店でウェイトレスの役が決まっている。誰が言い出したのか忘れたが、フリフリのメイドさん風の衣装で化粧までする。
 悠真はそういうのがどうも苦手で、当日はクッキーやコーヒーの搬入など裏方に徹する事にしていたのだ。
 葛西聖夜はといえば、全員一致でボーイの役に推薦されていた。
「大丈夫だって。少々太っても稽古すれば減るもんね」
 茉由はそう言うと、またチョコレート味を口に運んだ。


「あ……っ。痛っ……」
 なんの前触れもなく、突然茉由がお腹を押さえた。
「ほーら。やっぱりお腹こわした」
 悠真は冗談かと思って軽く返事をした。
 茉由は答えず、そのまま床にしゃがみ込む。
 おかしい。冗談にしては今日のは迫真の演技だ。額には脂汗までにじんでいる。
 いつもと違う茉由の様子に、悠真は冗談ではないと感じた。
「茉由っ? 大丈夫っ!?」
「う……」
「どうかしましたか?」
 二人の様子がおかしいのに気づいたコンビニの店員が駆け寄って来た。
「急に友達の具合が悪くなったんです。茉由、歩ける?」
 店員に事情を説明し、悠真は茉由の背中をさする。
 茉由はエビのように丸まって、とても歩けそうにない。
「すみません。救急車お願いしますっ!」
 悠真は叫んでいた。


「……ったく。悠真が呪いの言葉なんか吐いたからさ……」
 病院のベッドの上で、茉由がブツブツ言う。
 茉由は運ばれた先の病院で急性虫垂炎と診断され、そのまま手術・入院となったのだ。二日経った今も、まだ手術跡が痛いらしい。
「そんなの関係ないでしょーが」
 悠真は花瓶にお見舞いに持って来た花を挿しながら、ブーッと頬を膨らませる。
「まったく。盲腸だなんて、人を驚かせてさ。死にそうな顔してブッ倒れるんだもん。これでも心配して、部活もクッキー作りもブッちぎってアンタのお見舞いに来たんだからねっ。感謝しなよっ」
 そう言って悠真は茉由の足をペチッと叩いた。
「あいたた……っ。やめてよ。まだ響くんだから」
 茉由は本気で痛がった。


「文化祭には、ギリギリ退院できそうなんだけどさー」
 茉由は体を起こした。
 悠真は横からそれを支え、手伝う。まだ腹筋を使って起き上がるのは辛そうだ。
「あの衣装着て、半日立ちっぱなしは無理だと思うんだ」
 そう言って作ったような笑みを浮かべ、上目づかいに悠真を見る。
「で、モノは相談なんだけど。私の代役やってくんない?」
 悠真の花を挿す手が止まる。
 一瞬の沈黙の後。
「えーっ? やだよぉ。私あんな派手な格好できないよ」
 悠真はのけぞった。
「病み上がりの私に、ハードな仕事させる気?」
 茉由の眼が険しくなる。
「傷口パックリ開いちゃうカモね。悠真の薄情モン」
 傷口がパックリ……って……。うえ……っ。
 思わずスプラッタな光景を想像してしまった。
「う……。わかったよ。やるよ。やればいいんでしょ」
 力無く、悠真は言った。
 思わず理科室で不気味に微笑む人体模型が頭に浮かんでしまったコトは、茉由には内緒にしておこう。


 廊下に入院患者用の夕食が配膳される音が響いた。
「そりゃ、そうと」
 廊下の様子を気にしながら悠真は言った。
「もう食事はできるの?」
「うん。今朝から出してもらえるようになった。って言ってもまだ重湯(おもゆ)みたいなモンだけどねー。ぜんぜん食べた気がしないんだよ。これが」
 そう言って茉由はお腹に手を当てた。
「……ってコトは」
 悠真は意地悪い笑みを浮かべて茉由に顔を寄せる。そして小声で言った。
「もうガスは出たんだ?」
『バチッ』
 真っ赤な顔をした茉由の両手が悠真の頬にヒットした。


『ポーン』
『ポポポーン』
 景気良く花火が鳴る。今日は文化祭。
 茉由は昨日退院して来たばかり。文化祭には出て来たけれど、動くのが辛そうだ。
 クラスの意見も聞いたが、代役はやはり悠真に決まった。
 みんなそれぞれの持ち場で働いている。準備や裏方の係は商品の搬入や舞台作りの仕上げで忙しそうだ。ボーイの役の男子は、衣装に着替える為に教室を移動し、先に着替えを済ませたウェイトレス役の女子は化粧も始めた。


「わーっ。化粧は勘弁して」
 衣装には着替えた悠真だが、化粧は抵抗がある。それなりに興味はあってやってみた事もあるのだが、うまくいかなくて目張りタヌキみたいになってしまった。つくづく自分は不器用だと思う。
「スッピンじゃダメ? ね。いいでしょ?」
 両手を顔の前で合わせお願いのポーズをしてみる。
「だーめっ! 決まってんだから!」
 茉由に一喝された。
「だってぇ。私、化粧の仕方知らないモン」
 悠真が泣きそうな声で言うと、茉由は胸を張って言った。
「大丈夫。私がやってあげるから」


「眼、つむって」
「顎上げて。眼はつむったまま」
「眼開けて、上見て。違う。眼だけで見るの。そう」
 茉由の言う通りに百面相をする事十分位。
「できた」
 茉由が紅筆を置く。
「ホント? 終わったの?」
 悠真はほっとため息をついてぎこちなく笑った。
「緊張するね。化粧ってのも」


 黒を基調にしたボーイの衣装に身を包んで聖夜が教室に入って来た。長身の彼にきりっとした衣装が良く似合っている。
「うっ……。カッコいい」
 悠真は照れてしまって、思わず下を向いた。
 聖夜は悠真を視線の端で捉えると、驚いたような顔をして近づいて来る。
「桐生……さん? ……へえ」
「なに? なんか変?」
 聖夜の濁した言葉に、悠真は不安になった。
「いや……。なんか……桐生さんじゃないみたいだ」
「やっぱ似合わないかな」
「そうじゃなくて。すごく綺麗で大人の女の人みたい」
 聖夜は、まぶしそうな顔で悠真を見た。
「悠真、見てみ。鏡」
 そう言って、茉由は手鏡を渡した。
「……」
 これが私? いつもの私じゃない。見慣れない女の人が鏡を覗き込んでいる。
「悠真は化粧映えのする顔立ちなんだよ」
 茉由は自分が誉められたかのように誇らしげに言った。
「自信持ちなって。大丈夫。アンタは綺麗だよ」


 悠真と聖夜は午前中の当番。
 他にも男女五名ずつの計十二人が、それぞれの持ち場で接客にあたっている。
 昼食前に回ってしまおうという人たちで 『コーヒーとクッキーの店』は大忙しだ。
 あの球技大会以来、聖夜といると何となく気後れしてしまう悠真だが、この忙しさでは一緒に仕事をしていても話をしている暇もない。
 それは今の悠真にとって好都合とも言えた。


「いらっしゃいませー」
「三名様、こちらのお席にどうぞ」
「クッキー足りない。誰か搬入して!」
目の回るような忙しさに、見るに見かねて茉由もお腹をかばいながら手伝ってくれる。
「軽いモノなら運んだげるよ」
「悪いねぇ。茉由。やっぱり交替しなかった方が良かったんじゃない?」
 悠真は、クッキーの入った箱を抱えてそろそろと歩いてくる茉由を気遣った。
「いいんだよ。ウェイトレスの格好してなきゃ、合間には座っていられるもん」
「それもそうか」
「悠真ぁ。これ運んでー」
 カウンターから声がかかる。
「ホントに無理しないでよ。イイ?」
 そう言い残して悠真は、またコーヒーを運ぶために戻っていった。


 昼近くになってようやくお客が一段落する。この時間はハンバーガーやパスタの店などが賑わっているのだろう。
 空いている席に座って、悠真は立ちっ放しで痛くなった足を叩いていた。
「大丈夫?」
 聖夜が使用済みのカップをトレーに乗せたまま悠真の隣に座る。その一連の動作も流れるようで、いつもと衣装が違うせいか普段以上にりりしく見える。忙しさで少し乱れた髪も、かえって彼を引き立てていた。
「あ……ああ、うん。大丈夫」
 悠真は聖夜と眼を合わせられなくて下を向いた。ダメだ。ドキドキしてきた。静まれ、心臓。
 聖夜がじっと見ているのがわかる。なんだろ。何かついてるかな、私。
「午後からフリーでしょ。一緒に回ろう。ちょっと話もあるし」
しばらく黙っていたが、聖夜はそう言うとトレーを持って立ち上がった。
「話……?」
 悠真が顔をあげて聞き返した時には、聖夜はカップを片付けるために流しの奥に消えるところだった。


 なんだろ。
 取り残された悠真は、急にイヤな想像で頭がいっぱいになる。
 もしかして『やっぱり別れよう』とか……? 私が最近、葛西くんを避けているから……。とうとう、友情さえブッ壊してしまったんだ。
 悪い妄想ばかりが勝手に膨らみ、鼓動が早くなる。悠真はそのままテーブルから立ち上がることができなかった。


「お疲れ様ー。じゃ、交替です」
 正午になって午後の当番と交替をする。茉由が悠真の所にやって来た。
「私、あんまり歩き回るとしんどいから、ここにいるよ」
 そして悠真の耳元に顔を近づけ小声で言う。
「葛西くんに誘われてるんでしょ。楽しんでおいで」
 悠真は聖夜の名を聞いて、少なからず動揺した。
「ま……茉由、あんまり無理しないでね。ちゃんと座ってなよ」
 そう釘をさして教室を出る。
「行こうか」
 出入り口のところに、衣装のままの聖夜が待っていた。


 店にしている教室の中からは判りにくかったが、廊下は人でいっぱいだった。
  「私、着替えたいんだけどな。こんな格好じゃ恥ずかしいし……」
 悠真がキョロキョロしていると聖夜が言った。
「着替える場所なんて無いでしょ。みんな衣装のまま回ってるよ」
 確かにどの教室も使用中で、着替える場所など無さそうだ。先ほど着替えに使った教室も生徒たちの私物が詰め込んであって、着替えるスペースなど無いのはわかっていた。
 悠真は、仕方なく諦める。
「こっち行こう」
 聖夜が悠真を促す。
 二人は、いっぱいの人を縫って歩き出した。
 すれ違う女の子たちがみな聖夜を見る。そして聖夜と悠真の二人が通り過ぎた後、友達同士で何やらヒソヒソ話をしては「キャーッ」と歓声をあげている。
 聖夜はそんな事はお構いなしに、やや早足でずんずん歩いていった。
「あの……話って何?」
 聖夜の歩調に合わせて歩きながら、恐る恐る悠真は聖夜を見上げた。
「うん……。どっか静かな所に行こう」
 聖夜の言葉は、いつもと違って歯切れが悪い。
 悠真は、刑の執行を待つ死刑囚のような気分になった。


 校外からのお客さんも大勢来ているので、どこも人でごった返している。
 二人は黙ったまま静かな場所を探して歩いた。
 あちこち歩き回っていると、比較的人の少ない教室を見つけた。
「ここ入ろうか」
 教室の中は薄暗かったが、聖夜は構わず先に入る。
 ……あれ? 廊下とか他の教室とか派手に飾り付けてあるから気づかなかったけど、この教室って……。
「葛西くん、ここお化け屋敷!」


 悠真はしばらく躊躇していたが、意を決するとお化け屋敷に変貌した理科室の中に入った。
「葛西くん……どこ?」
 迷路状になった理科室の中は、進むに従って薄暗がりからどんどん暗さが増していき、入口から五メートル程進むともう手探りでなければ進めなかった。
 二つ目の角を曲がった時、悠真はふいに肩をつかまれた。
「きゃ……」
 小さな悲鳴をあげて、悠真はその場にしゃがみ込む。
「僕だよ」
 顔をおおっていた手をどけて見上げると、聖夜が困ったような顔をして立っていた。
「桐生さん、後ろついて来ると思ったのにいないんだもんな」
「ご……ごめん。理科室は、ちょっと……」
 悠真はひきつった笑いを浮かべると周りを確認した。
「何やってるの?」
 聖夜がいぶかしげに聞く。
「あの……人体模型とか骨格標本とか無いか確認してるの」
 悠真は聖夜の衣装の背中をギュッと掴んで、怯えたような声を出した。
「やっぱり理科室嫌いなんだ? そうじゃないかと思った」
 聖夜はクスクスと笑った。
「そ……そう。ちょっとしたトラウマ」
 ひきつった笑顔のまま、悠真は言った。
 聖夜は自分の服を掴んでいる悠真の手を解くと、自分の手で包み込んだ。
「手、つないでてあげるから。大丈夫」
 二人はそのまま歩を進めた。
 悠真は聖夜の手のぬくもりの心地よさと対照に、先ほどから嚥下(えんげ)できない心地悪さを感じていた。
「あの……で、話って……?」
 思い切って、悠真は切り出した。
『お化け屋敷を出た時が、二人の別れの時かも知れない』
 そう覚悟して。


 聖夜はしばらく黙っていたが、ややあって口を開いた。
「桐生さん、僕のこと嫌いになった?」
 聖夜は前を向いたまま、悠真の顔を見ない。
「え?」
 悠真は聖夜の表情を読めずに聞き返した。またしばらく沈黙が続く。
 悠真は先にたって歩く聖夜の背中を見つめていた。ふいに聖夜が立ち止まる。
「僕に対して感じてくれていた友情は、もう無くなっちゃった? このごろ桐生さん、僕と眼を合わそうともしないし……。僕の事、避けてるみたいに感じる」
 ため息混じりの声で聖夜は一気に言った。悠真を振り返り、悲しそうな顔で見つめる。
「あ……」
 悠真は体に電気が走ったような気がした。
 葛西くんが不安になってる? いつも自信たっぷりで余裕があって大人なのに。
 聖夜はつないだ手に少し力を込めた。
「ごめん。こんな事、本当は言うつもりじゃなかったのにね。でも今日の桐生さんを見たら、どうしても我慢できなくなって……」
 そして自嘲気味にフッと笑う。
「桐生さん、綺麗でいつもよりすごく大人っぽくて、僕の手の届かない人に思えたんだ」
 悠真はカアッと頬が熱くなるのを感じた。そしてつないだ手をもう一方の手で包み込んだ。
「違う。違うの。葛西くんの事、嫌いになんかなってない!」
 思わず悠真は叫んでいた。
「じゃあ僕を避けていたのは、なぜ?」
 聖夜は悲しそうな表情のまま聞き返す。
「そ……それは……」
 悠真は口ごもってしまった。
「『それは』なに?」
 聖夜は悠真と視線の高さを同じにして聞く。やさしい瞳の色。
「それは……。わ……私も好きになっちゃったからっ」
 あさっての方向を見ながら、悠真はヤケクソ気味に言った。
「……」
 聖夜の反応は無い。悠真が視線だけを動かして聖夜の様子を窺うと……。大きく眼を見開いた聖夜の顔があった。
「……誰を?」
 聖夜が上ずった声で聞き返す。
 悠真は聖夜の顔をまともに見られなくて、それでも聖夜から離れるのはもっとできなくて、思わず聖夜の首に腕を回して抱きついた。
「……こういうこと」


 悠真はとまどっていた。
 自分は今、こんな所で何をやってるんだろう。勢いで聖夜の首に腕を回し、抱きついてしまった。……そこまではイイのだが。さて一体いつこの腕を外したら良いものやら……。
 腕を外せば聖夜の顔をまともに見る事になる。それも照れてしまって無理だ。いろいろ考えあぐねて、しばらくそのまま固まってしまっていた。
「桐生……さん。く……苦しい」
 悠真の耳元で、くぐもった聖夜の声がする。
 あんまり悠真が腕に力を込めたので、聖夜の首を締めてしまったようだ。
「あっ……っ。ごめんっ」
 悠真が腕を緩めると、聖夜は何度も大きく息をした。
「ごめんね。大丈夫?」
 悠真は心配げに聖夜の顔を覗き込む。眼が合ってしまった。
「今言ったこと本当?」
 視線を外さず聖夜が聞く。探るような、でも期待のこもった甘やかな視線。まっすぐに悠真を見つめている。
 悠真も感電したように視線を外せなくなってしまった。
「う……うん。ホント」
 そのままの姿勢で答える。
「じゃあ、どうして僕のこと避けたりしたのさ」
 少し険しい表情になって、聖夜は言った。
「それは……」
「『それは』?」
「それは……。いつも葛西くんが自信たっぷりで大人だから」
 一度言葉にしてしまうと、後は(せき)を切ったように言葉が続く。
「それに比べて私はなんにも取り柄がなくて、でも葛西くんは何でもできて、私はつまらない人間で不恰好でテニスも負けちゃうし、だけど葛西くんはバスケだって上手くて羽が生えてるみたいだったし、今日も衣装が良く似合ってカッコよくて、それに……」
 言っている事がだんだん支離滅裂になってきた。
「ちょっ……。ちょっと待って」
 聖夜が慌てて制止する。
「羽が生えてる……って良くわからないけどさ。僕のどこが大人だって?」
 そう言ってひと息つくと、額にかかった前髪をうるさそうにかきあげた。
「僕なんてすごく子供で独占欲が強いし、自分に自信がないから桐生さんにも無理強いできないんだよ」
「自信がない……?」
 不思議そうに悠真は聖夜を見上げた。
「そう。自分に自信があったら今頃こんな所でウジウジしてないよ。桐生さんにだってもっと積極的にアタックするさ。 あの時告白したのだって、たまたまキッカケが有ったからで……正直、心臓バクバクだったんだよ」
「そう……なの?」
「そうなの! それに桐生さんのどこが『取り柄がない』んだって? 君は綺麗だし、努力家だし、自分をしっかり持ってるじゃないか。まわりに流されて自分の上辺だけ飾るような真似はしてないだろ?」
 いつもより強い調子で聖夜は言った。
「僕が好きになった人だ。君の悪口は、例え君でも言わせない」
 そう言うと聖夜は悠真を抱きしめた。そして耳元で優しくささやく。
「自信持って。大丈夫。桐生さんは素敵だよ」


「……」
 悠真は聖夜に抱きしめられて、頭の中がしびれたようにボーッとなってしまっていた。
 どの位そのまま抱き合っていただろう。ボーッとした頭なりに、なんとなく違和感を覚えた。
「あの……葛西くん」
「ん?」
「ここってさ、お化け屋敷だったよね」
「うん? そうみたいだけど」
「私たち、さっきからお化けに会ってないような気がするのよね」
 聖夜は悠真の体にまわしていた腕をゆるめた。
「そういえば……そうだな」
 入口を入って二人は随分歩いた。迷路のようになっているとはいえ、もとはそんなに広くない理科室だ。もうコースの半分位は過ぎただろう。その間に『お化け』が一匹――と数えるのか?――も出てこないのは、おかしいといえばおかしかった。


「まさか……」
 聖夜は小声で悠真に動かないように言い残し、足音をしのばせて次の角を曲がった。
「わあっ!」
「うぎゃっ!」
 悲鳴と共に見えない角の向こう側で、『ドスン』と重たいものが落ちるような音がした。
「なに?」
 聖夜に何かあったのでは、と驚いて駆け寄る。暗がりに慣れた悠真の眼にうつったものは……。
 床にひっくり返っている五匹の『お化け』と白い布を頬かむりのようにかぶった人体模型、それに腕組みして難しい顔をしている聖夜の姿だった。
「どしたの?」
 悠真は『お化け』と聖夜を交互に見比べてたずねた。
「どうもこうもない。こいつら僕たちの話、立ち聞きしてたんだよ」
 聖夜が珍しく怒ったような声で言った。
「ち……違うよ。出て行こうとしたらタイミングを失っちゃって……」
「そ……そう。なんか、取り込み中だったみたいだから……ね」
 そう言って五匹の『お化け』たちは、乾いた声で取り繕うように力無く笑った。
 取り込み中と聞いて、悠真は頬が熱くなる。
「でっ……でも、こんなトコロでゴチャゴチャやってる私たちも悪いんだし」
 ホントは穴掘って入っちゃいたい気分だったのだが。
「ごめんね。みんな。あの……私たち、さっさと出るから」
 早口で『お化け』に謝ると、悠真は聖夜の背中を押した。そのまま出口に向かって全速力で歩き始める。
 聞かれてたなんて……。うううっ……。恥ずかしい。
 そのあとの道順でも『お化け』に会ったが、みな一様に照れ笑いを浮かべながら「どーも」なんて挨拶して来る。
 どうやら、お化け屋敷運営のクラス全員に、二人のことは伝わってしまっているようだ。
 背広に帽子姿でニヒルにポーズをきめる骨格標本にも会ったが、悠真は恥ずかしさでいっぱいで怖いなんて感じる余裕は無かった。


「ふ……ははは」
 お化け屋敷を出て他のクラスが運営するパーラーの窓際の席に座り、聖夜はおかしそうに笑った。
「笑い事じゃないんだけど」
 向かいの席にすわった悠真がため息まじりにつぶやく。
「いや、いざとなると桐生さんは強いな、と思ってさ」
 自分のアイスティーをひと口飲み、聖夜は眼を細めて悠真を見た。
「僕なんか頭に血がのぼっちゃったけど、桐生さんはちゃんと『お化け』に謝って出てくるんだもんな」
 そして悠真の眼を覗き込む。
「部室でドアが外れた時といい、ああいう時の桐生さんの度胸にはびっくりするよ」
 そう言って聖夜は前髪をかきあげた。


 それから遅めの昼食を済ませ、二、三のアトラクションを楽しんだ時点でそろそろ片付けの時間になる。
 二人は自分の教室に戻った。
「悠真ー。どう? 楽しかった?」
 カウンターで売上の計算をしていた名倉茉由(なぐらまゆ)が声をかける。
「うん。おかげさまで。……茉由、ご苦労様。あと替わろうか?」
 悠真は茉由を気遣った。
「ありがと。大丈夫だよ。それよか、さっき委員長がテーブル片付けるのに手が足りないって言ってたから、葛西くんに手伝ってもら…………!」
 売上票に数字を書き込み終え、ふと顔を上げた茉由の視線が聖夜に釘付けになる。
「ん? どうした? 名倉さん」
 聖夜がそれに気付いた。
「アンタたち……。何やって来たのよっ!」
 茉由は顔を赤らめて、小声ででも強い調子で言う。
「葛西くんの襟! これアンタのでしょっ!」
 茉由が指差した所には、くっきりと悠真の口紅の跡がついていた。