〜想い〜
やっぱり背が高い。夏生より十センチ以上高いだろうか。
「背、高いね」
「高校に入ってから伸びたんだよ」
瑞樹は言った。
「まだ伸びてたと思う。生きてたらさ」
夏生は何も言えなかった。黙って玄関のドアを開けた。
「僕の家、割と近くなんだ」
瑞樹も玄関から出てきた。
――幽霊なのになんか変――
でも目の前で『壁抜け』なんかされたら 正直、怖いかも知れない。
「角の神社の裏っ側」
――あらま。すごいご近所さんじゃないの……って事は、中学とか一緒だったのかな。でも気が付かなかった。ここの中学は一学年十クラスあったからね。同級生でも知らない人、いたもん――
夏生はちょっと惜しい事をしたな、と思った。
瑞樹と夏生は並んで歩いた。他の人が見たら夏生一人で歩いているように見えたのだろうが、誰とも会わなかった。
――それにしても――
夏生は隣の瑞樹の気配を感じながら考えた。こんな綺麗な子、目立っただろうに。
どちらかと言えば夏生は『部活動、命』だったのでその手の話題には疎かった。男友達がいなくもなかったが、それは同性どうしの付き合いに近かった。今までに正式に付き合った人なんていない。
神社の角を曲がり、裏側の細い通りに面して瑞樹の家は建っていた。『橘』と書かれた黒い石の表札が門扉のところに埋め込まれていた。夕方ということもあって台所だろうと思われるあたりの開け放たれた小窓から、食事の仕度をする音が聞こえる。
「未練がましくさ」
瑞樹は門扉に手をかけた。
「毎日ここにも来てるんだよ。由希さんの部屋と自分の家と……それに学校と」
「三ヶ月の間ずっと?」
「そうだね。いつか誰かが僕を見つけてくれるんじゃないかと思って」
「誰も何も感じなかったの?」
「うん……」
前髪に隠れて瑞樹の表情は見えなかった。どんな気持ちなんだろう。誰にも気付いてもらえないなんて。
「……泣いてる?」
瑞樹に言われて夏生は驚いた。自分でも知らない内に泣いていたのだ。
「えっ? うそ、ち……違っ……」
全部言い終わらない内に夏生は何かに包まれた。
「ありがとう」
瑞樹の声が頭の上から降ってきた。夏生は瑞樹の腕の中にいた。
「……!」
驚いてじたばたしたら、間違ってインターフォンを押してしまったらしい。
「どなたですか?」
男の人の声がした。
「あのっ……えーっと……」
しどろもどろに夏生が答えると玄関のドアが開いた。そこにあったその顔は……。
「瑞樹クン!?」
そっくりだった。瑞樹の顔をした男の子がそこにいた。
「兄貴を知ってるの!?」
男の子は驚いた顔で言った。
「いや、知っているっていうか……」
「母さーん! 兄貴の知り合いの女の人!」
夏生が言い終わらない内に、瑞樹を兄と呼んだその子は叫びながら中に入って行ってしまった。
「弟さん?」
夏生は振り返って瑞樹に訊ねた。
「そう。今、高一。年子なんだ」
「弟さんにも見えないの?」
「……」
悲しそうな顔で瑞樹は黙り込んでしまった。
「久しぶりだな。直樹の顔見るの。家の前までは来るけど中に入る勇気がないんだ」
ややあって瑞樹は力無く言った。
「まあまあ。瑞樹のお友達?」
そんなに待たない内に、奥から女の人が手を拭きながら出てきた。瑞樹の母親だろう。
「まあ、そんなようなモノです」
夏生は説明のしようが無くてそう言った。
「お参りに来てくれたのね。さ、入って頂戴」
こんな事になるとは思わなかったが、夏生は瑞樹の母の言うとおり、中に入れてもらった方がいいかも知れないと思った。
「じゃ、失礼します」
玄関で靴を脱ぐと和室に通された。床の間の横に、大きくはないが真新しい仏壇があった。
「これが瑞樹クンの……」
そこまで言って、夏生はまた頬が濡れるのを感じた。
「瑞樹の為に泣いてくれるのね。ありがとう」
瑞樹の母はそう言って目頭を押さえた。
「あの子にこんな可愛い彼女がいるとは知らなかったわ」
何か誤解されてるみたいだけど、とにかく仏壇に手を合わせた。本人の幽霊が横にいるのに仏壇にお参りするのもどうかな、と思ったが、こういうモノを目の前にしてお参りしないわけにはいかない。
「瑞樹の部屋はそのままにしてあるの。良かったらぜひ上がって行って」
瑞樹の母は、夏生の返事も待たずに二階の部屋に夏生を案内した。
「そっちは直樹の部屋。瑞樹の部屋はこっちよ」
廊下の突き当たりのドアを開け、中に入るよう促した。中は整頓されていて、夏生の弟、
悠の部屋とは大違いだった。
「きれいにしてるんだね」
何か飲み物でも……と瑞樹の母が出て行くと、夏生は自分のベッドに腰掛けた瑞樹に言った。
「そうでもないよ」
瑞樹はそう言うとそのまま寝転んだ。
「ねえ、いいの? お母さん、私をあなたの彼女だと思ってるよ」
夏生はさっきの引っ掛かりを思い出した。
瑞樹は久し振りに自分の部屋に入って安心したように眼を閉じていた。
「別にいいよ。ほかに彼女なんていないし」
「うそ。瑞樹クン、彼女いっぱいいたでしょう」
そんな事を言われても信じられない。この見た目なら、きっと引く手あまただ。
「うそじゃないよ。僕、モテないもん」
眼を閉じたまま、瑞樹は唇の端を持ち上げた。
「そうかなぁ。モテそうなんだけどなぁ」
夏生は眉間に皺を寄せる。絶対にモテてたけど自分は気付かなかったってタイプだと思った。
「ははは……お世辞でもありがと」
瑞樹の眼が、薄く開く。
「お世辞じゃないって。私だったら告白しちゃうよ。きっと」
大きく頷きながら、夏生は力強く言った。
「……」
瑞樹の応えは無い。その沈黙に気付いて、夏生は顔から火を噴いた。
――やだやだやだーっ。私ってば何言ってんのよ。今のって、告白じゃないの。充分。相手は幽霊だよ。幽霊に告白したのって世の中広しといえども私だけじゃないの?――
「それ、マジに受け取ってもいい?」
夏生がゴチャゴチャと自分一人で煮詰まっている間に、瑞樹の顔がすぐ近くに有った。
「え……?」
瑞樹の瞳に射貫かれたような気がして夏生は身動きができなかった。心の奥底のところをその視線でギュッと掴まれたような気がした。
「心残り」
ふいに瑞樹が言った。
「探してくれるって言ったよね。一緒に」
ああ、その為にここへ来たんだった。
「僕さ、まだ経験ないんだ」
「は?」
「女の子と、その……」
え? うそ。そういう事するわけ?
「ま……待ってよ。ちょっと……わっ!」
ふわっと目の前が暗くなったと思ったら、夏生はまた瑞樹の腕の中にいた。
「ちょっと待った。やだ。そーいうの、ナシ!」
夏生はもう、何がなんだかわからなくなって来た。友達の由希んチに行ったらやたらキレイな男の子がいて、その子は何と幽霊で、オマケにこんなややこしい事になって……。
瑞樹は自分の腕の中でじたばたする夏生を見ていた。
「そうだよな。幽霊相手じゃ嫌だよな」
ちょっとふてくされた顔をする。不謹慎かもしれないけどなんだか可愛くて夏生は笑ってしまった。
「どうして笑うのさ」
瑞樹はもっとふてくされた。
「だって幽霊なのに全然幽霊みたいじゃないんだもん」
夏生は瑞樹を見上げた。
「私ね、嫌いじゃないよ。幽霊でも。瑞樹クン、幽霊にならなかったら私たち出逢ってないだろうし」
そして夏生は瑞樹から眼をそらした。
「でも……。幽霊になる前に……生きてるうちに逢いたかった」
瑞樹の腕に力がこもる。
「僕も。できればこんな形で出逢いたくなかった」
肩が震えていた。夏生が瑞樹の背中に腕を回そうとしたその時。
『コンコン』
ドアをノックして瑞樹の母が入って来た。
「ジュースで良かったかしら」
瑞樹の母に続いて、弟の直樹も入って来た。
「兄貴の彼女なんだって?」
――だから違うってば。いや、違ったんだってば。あれ? わかんなくなって来た。もういいや、どうでも――
夏生は投げやりな気分になる。
部屋には夏生・直樹・瑞樹の母の三人がいた。それに他の二人には見えないが、瑞樹もちゃんとそこに座っている。
「あの……。瑞樹クン、亡くなってから何も変な事ないですか?」
夏生は言ってしまってから変な事を聞いた、と思った。何言ってるんだろう、と思われたかな、と窺ってみても、特に不審がられた様子はない。夏生はホッと胸を撫で下ろした。
「変なことって、霊現象とかの事かしら」
母親がサラリと『霊』という言葉を持ち出した。
――おぉ、良くわかっていらっしゃる――
夏生は心の中で拍手喝采しながら、ちらっと瑞樹の方を見た。
「気配を感じるとか……」
「全然ないわねぇ。せめて幽霊にでもなって出て来てくれないかしらって思ってるのに」
――だからいるってば。アナタのすぐ隣に――
なんだか歯痒い。
「弟さんも……?」
直樹の方を振り返る。
「僕も感じないな。僕たちすごく仲が良かったのにね。薄情なんだよ兄貴は」
――いくらなんでも、それはないでしょう。本人目の前にして――
また瑞樹を窺えば、複雑そうな顔でみんなの会話を聞いている。
「でもさ、幽霊になってないって事はさ、心残りが何も無いって事だと思うから……兄貴は幸せだったんだ、って思う事にしたんだ」
――全然違ーう!――
夏生は心の中で思い切り突っ込んだ。
「……直樹クンは瑞樹クンにそっくりなのね」
気分を落ち着けようと、夏生は別の話題を振った。
「そうだね。よく双子と間違われたよ。高校に入ってから兄貴の方が背が急に伸びてさ、ちょっとの間、兄貴はやっぱり兄貴なんだな、って思ってたんだけど最近僕も急に伸びて。今では変わらない位だと思うよ」
直樹は夏生の眼を覗き込んで言った。こういうところも兄弟でよく似てる。
「そうね。直樹も背が高くなったから。今だったらまた双子みたいよね」
瑞樹の母はそう言って、ちょっと悲しそうな顔をした。
三十分程、話をしていただろうか。
「そろそろ失礼します」
夏生はそう言って立ち上がった。
「またいつでも来て下さいね」
瑞樹の母が言うと、直樹も大きく頷く。
「ホントに来てね。夏生さんが来てくれると 兄貴も一緒にいるような気がするんだ」
――はい、その通りです――
この状況をちゃんと説明できない自分がもどかしい。瑞樹は、と見てみれば、三人の会話を寂しそうな表情で聞いていた。
玄関のドアのところでもう一度直樹が立ち止まる。
「ホントにホントにまた来てね。待ってるから」
「うん、ありがと。じゃ、おばさん、失礼します」
そう言って、夏生はそっとドアを閉めた。
ふと隣を見ると、何故か瑞樹も一緒に出てきていた。
「家に残らないの?」
不思議に思って夏生は聞いてみた。自分の家なんだから、居てもいいはず。
「僕を見てくれる人はキミだけだから。少しでも僕がまだこの世の中にいるって感じていたいんだ。たとえ幽霊になってもね」
二人は来た時と同じようにまた並んで歩いた。
「私は自分の家に帰るけど、瑞樹クンはどうするの?」
「キミんち、行ってもいい?」
「え……いいけど」
夏生はちょっと考えた。
「でもさっきみたいの、無しだからね」
そう言って瑞樹を睨む。
「はいはい。すみませんでした」
瑞樹は笑った。極上の微笑み。
ああ、なんでこの人が幽霊なんだろう。普通の生きてる人だったら、ここから素敵な恋に発展するのに。私たち、これから発展のしようが無いじゃない。
夏生は心の中で大きなため息をついた。
「夏生ー?」
夏生の家に着いて玄関を開けるなり、台所から夏生の母の声がした。
「由希ちゃんから電話あったわよ。留守にしてごめんなさいって。それからジャガイモありがとうって」
「うん。出掛けるとこだったから置いて来た」
そう言うと夏生は階段を上って自分の部屋に入った。後から瑞樹もついて来る。台所の前を通る時に夏生の母と顔が会ったが、何も言わないところをみると夏生の母にも瑞樹は見えていないらしい。
自分の部屋に入ると、夏生は勉強机の椅子に座る。瑞樹がいるのにベッドに座るのは落ち着かなかった。
「なんか……」
瑞樹がベッドに腰掛けながら言った。
「女の子の部屋ってこんな感じ? ちょっと殺風景じゃない?」
「どーせ。男の部屋みたいだって弟にも言われるもん」
夏生は机の上のぬいぐるみを瑞樹に向かって投げた。瑞樹が少し半透明になったと思ったら、ぬいぐるみは瑞樹を通り抜けてベッドの向こうに飛んでいった。
「ホントに幽霊なんだねえ」
夏生はぼそっと言った。独り言のつもりだったが それは瑞樹にも聞こえていた。
「自分でも信じられないけど、そうみたいだね」
他人事のように瑞樹は言った。夏生はそんな瑞樹の眼を見つめていた。