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夏生の秋


〜別れ〜


 ふいに立ち上がると夏生は瑞樹の前に立った。
「どうしたの?」
 瑞樹は夏生を見上げて首をかしげた。フワッと夏生の腕が瑞樹を包んだ。
「私にはちゃんと抱くこともできるのに」
「私たちはどうして出逢ったんだろう」
そのままの姿勢で夏生は言った。
「どうして私にだけ瑞樹クンが見えるんだろう」
 瑞樹は答えを探した。
「魂が……」
 ややあって、瑞樹は口を開いた。
「僕たちの魂が呼び合ったのかな」
 くさいセリフだと思って、夏生は瑞樹の眼を見た。冗談かと思ったら、瑞樹の眼は真剣だった。その眼を見ている内に、夏生にもそれが正しいのだと思えた。
「魂が呼び合う……か。ドラマみたいだね」
「結ばれる筈だった人だから見えたんだ」
 結ばれる筈だった人……か。遅いよ。
 夏生は背中に回された瑞樹の手を感じた。
「やっぱ、私、瑞樹クンが好きみたい」
「うん。僕もキミが好きみたい」
 二人で見詰め合って……。
「ぷっ!」
 夏生が 吹いた。
「あっははは……」
 笑っている。
「ダメだ……。私、こういうの」
 瑞樹も笑った。
「告白なんて、初めてしたよ」
 そう言ってベッドに寝転んだ。瑞樹の前髪が切れ長の眼にかかっていた。ちょっと照れたようなその表情を見ている内に、夏生は幽霊でも瑞樹に出会えて良かったと思った。
 幽霊でも好き。瑞樹のことが大好き。
 夏生はしばらく瑞樹の顔を見ていたが……。
「あれ?」
 眼をパチパチまばたきさせた。
「瑞樹クン。大変かも知れない」
 瑞樹はゆっくりベッドから起き上がった。
「何?」
 夏生はちょっとためらって切り出した。
「瑞樹クンが半透明だ」
「え?」
 瑞樹は驚いて自分の手を見た。自分でも半分透けかかって見える。
「僕、消えるのかな?」
「天国への道が見つかったって事?」
 夏生は思いを巡らせてみた。
 そうか、心残り。それが有るから天国への道を見失ったって言ってた。じゃあ、道は見つかったんだ。何かやったかな……? 何か……。
「……!」
 告白! 心残りって、女の子と気持ちを確認し合いたかったのか。
 瑞樹の体は、さっきより随分透けてきた。
「このまま消えちゃう?」
 夏生は泣き出しそうな声で言った。瑞樹の体に飛びつくと、まだ触る事はできた。
「いやだ……」
 夏生の眼から涙がこぼれた。
「このまま消えないで。私をこんな気持ちにさせたまま消えないで」
 瑞樹の眼を見つめてそして……。瑞樹の唇に自分の唇を押し当てた。体温は感じなかったけれど、確かに瑞樹の感触は有った。
「……ありがとう」
 瑞樹は夏生の頬を両手で優しく包むと静かに言った。
「これで僕は、やっと寂しさから開放されるのかな」
 夏生はハッとした。そうだった。自分の寂しさだけを押し付けてしまったけれど。
「私、忘れないから。瑞樹クンの事。誰と結婚する事になっても忘れないから」
 夏生は無理に笑って、ほんのちょっと意地悪く言った。
「うん……」
 瑞樹は寂しそうに、でも極上の笑顔で頷いた。
 瑞樹の体はどんどん透明になっていって……そして消えた。瑞樹を抱きしめていた腕も、ふっと軽くなってしまった。
 ……何も無くなってしまった。


 夏生はしばらく宙を見つめていた。瑞樹のいたあたりを……。
――天国に行ったんだよね。もう寂しい思いをしなくてもいいんだよね。良かったね。うん、良かった……――
 周りの景色がだんだん滲んでくる。
――あれ? 目の前がぼやけてる。そうか、涙だ。私、泣いてるんだ。
 もういいよね。瑞樹クン、行っちゃったし。もう泣いてもいいよね。ちょっと泣いたら立ち直るからさ。私、これでも立ち直り早いんだから――
 夏生はその場に膝をついた。


 夕飯の時間も、黙ったまま食べた。
「ねえちゃん、恋わずらいか?」
 弟の悠が人の気持ちも知らないでからかう。
『ぼすっ』
 ちらっと視線で威嚇すると、思いっきりお腹のあたりを殴ってやった。
「うげっ」
 小さくうめいて、悠は前のめりになる。それを横目で見て、夏生は『フン』と鼻をならした。
「ごちそうさま」
 おかずの大半を残していたが、夏生は食器を片付けて自分の部屋に上がって行った。


「姉ちゃん、入ってもいいか?」
 ベッドで寝転んでいると、ドアの向こうで悠の声がした。
「いいよー」
 夏生はかったるそうに答えた。なんだか体に力が入らなかった。
「なあ、どうしたんだよ。帰ってから部屋に篭ったままだったし」
 悠は心配そうに言った。口は悪いが、本当は姉思いの優しい弟なのだ。
「なんでもないよ……」
 夏生は力無く言った。
「嘘つけ。しんどそうだぞ」
「うーん、ちょっとね……。女の悩み」
「……生理か」
『ぼすっ』
「うげっ!」
――一言多いんだよ、この子は――
 体をくの字に曲げて床をのた打ち回って痛がる悠を見下ろしていた夏生だったが、ふとある事に気付く。
「あ、そうだ。アンタの中学の同年に橘直樹って子いた?」
 悠は床に寝転んだまま止まった。
「いたも何も」
 腹に手を当てたまま、ゆっくりと上体を起こす。
「俺と同じ部活だったよ、そいつ」
 あらま。世間は狭いのね。
「ちなみに今も同じ高校」
 うん。すごく狭い。
「兄貴が事故で死んで、しばらく休んでたけどな」
「……」
「で、その直樹がどうかしたのか?」
「なんでもない」
 夏生はまた泣きそうになるのを悠に知られたくなくて、黙ってしまった。
 ふいに電話が鳴った。
 いつも母親が出るので姉弟はそのまま気まずい雰囲気で黙ってしまっていた。
「夏生ー。橘さんって男の子から電話よー」
――……へ?――