ホワイトデーの約束



 この間のバレンタイン・デー。オレは、ついに憧れの玉城美奈子(たまきみなこ)さんからチョコをもらった。
 入学式で新入生代表で挨拶をした彼女。壇上のその可憐な姿にカウンターパンチを食らってから約三年間。高校生活最後になって、ようやくオレの想いが叶ったのだ。叶ったんだけど……。


「おはよー、優人(まさと)
 後からポンッと肩を叩かれる。いや、どつかれた……と言った方が正しいのか。振り返ると、やっぱり幼馴染の見原聡美(みはらさとみ)が、ちょっと不機嫌な笑顔で通り過ぎるところだった。
「お……おはよ……聡美……」
 我ながら情けない声が聡美の背中に追いすがる。
 聡美はオレの声を蹴散らすようにしてズンズン歩いていってしまった。


 そう。オレが玉城さんからのチョコを素直に喜べないワケ。同じ日に、この聡美からもチョコをもらってしまったのだ。まさかいつもジャレ合ってる聡美がオレを好きだなんて思ってもみなかったオレは「マジ?」なんて聞き返しちまった。おまけに、そこに玉城さんがチョコをもって現れたもんだから……後はご想像にお任せする。とにかくあの日以来、聡美はオレに会っても不機嫌な笑顔しか見せなくなったんだ。
 オレとしては『そりゃないだろ』と思うのだが、情けない事に昔から聡美には頭が上がらない。小さい頃はよく近所のいじめっ子から助けてもらったんだ。いつの間にか背丈もオレの方がデカくなり、力だってオレの方が強くなったのに。こういうのを『すりこみ』と言うのだろうか。とにかく、結論はホワイト・デーに持ち越された形になった。


「オマエはさぁ、地元の大学行くんだよな」
 休み時間に前の席の野瀬(のせ)が椅子の背を抱くように座って言った。
「ああ。ウチ下宿させてくれるほど余裕ないし」
 オレは前の時間の教科書を鞄にしまいながら渋い顔を作った。
「見原ってさ、どこ行くの? 短大」
 野瀬が興味シンシンって顔で聞く。
「知らない。聞いてねーよ」
 そう言いながら、オレはふと聡美の進路について何も聞いてなかった事に気が付いた。
「オマエたち仲よさそうだったけど、そんなんでもないのな?」
 野瀬が驚いた顔でオレを見る。
「どっか、その辺の短大にでも引っかかってんじゃねーの?」
 内心ちょっと動揺したけど、オレはわざとそう言い捨てた。


 卒業式も無事に終わり、オレは大学が始まるまでの間、家でウダウダと過ごしていた。
「優人、知ってた? 聡美ちゃん、随分遠くに行っちゃうのね」
 ホワイト・デーを明日に控え、幸せな悩みに浸っていたオレを母さんの一言が現実に引き戻した。
「へ? 遠くってどこ?」
「よく知らないけど、新幹線と在来線乗り継いで五時間かかるって。聡美ちゃんのお母さんが言ってたわよ」
 ええっ? 聞いてないぞ。なんにも言わなかったじゃないか、聡美は。
「ちょっと出掛けてくる」
 (あわただ)しくスニーカーをつっかけると、オレは玄関を飛び出していた。
 聡美んチはオレんチから歩いて十分くらいのところ。小さい頃は、見原家は隣のアパートに住んでいた。でもオレ達が中学二年生の時、もう少し離れたところに一軒家を建てて引っ越してしまったんだ。それ以来オレと聡美との距離も少しだけ遠くなった。


 この角の向こうが聡美んチだ。玄関先に大きな荷物が置かれている。聡美が離れていってしまう事実をオレに突きつけるように。
『ピンポーン』
 少しためらったけど、オレは玄関のチャイムを鳴らした。
「はぁーい」
 中から出てきたのは、聡美。
「優人……」
 随分びっくりしたみたいで、次の言葉が続かない。
「オマエ、遠くに行くってホントか?」
 代わりにオレが、まくし立てる。
「うん……聞いちゃったんだ?」
 聡美は困ったような顔で目をそらした。
「なんでだよ。オレに一言も言わずに行くのかよ」
「だって……!」
 聡美の目がオレを捉えた。
「だって優人が玉城さんを好きなのは知ってたから……。チョコ渡して気持ち伝えられただけで良かったんだ。ワタシ」
「いつ行くんだよっ」
 オレの声は自分でもびっくりする位怒ってる。聡美も驚いたみたいだ。
「あ……明日の朝」
 ちょうどその時、中からお母さんの声がした。
「聡美ぃ。なっちゃんから電話よー」
「あ、ごめん……行かなくちゃ。じゃあね」
 冷たく閉められるドア。聡美はそのまま出てはこなかった。


「くっそー。なんでだよっ!」
 ベッドに寝転がって、クッションを壁に投げつける。自分でも、どうしてこんなに腹が立つのかわからない。
 いつも一緒にいられると思っていた。男と女の友情も、オレと聡美なら成り立つと思っていた。それなのに、アイツは勝手に告白して、勝手に離れて行こうとしている。ずっと大事に育ててきた小鳥が逃げて行くのを見ているような……そんな喪失感に包まれていた。しばらくそうやって天井をにらんでいたんだけど……。
「そうか」
 急に氷がちいさくなるようにオレの心の中のわだかまりが溶けていった。
「そうだったんだ。は……ははは……」
 今頃になって気づくなんて。多分、オレも好きだったんだ、聡美のコト。激しく燃えるような恋ってワケじゃない。静かに静かに燃えつづけるロウソクのように好きだったんだ。たげとあまりに近すぎて、あまりに馴れ合ってたから、自分の感情に『幼馴染』という蓋をして気づかないフリをしていたんだ。
「バカだな、オレ」
 つぶやいたら、目の前がにじんでくるのがわかった。


 次の朝早く、オレは人通りの少ない道を走っていた。聡美の家に向かって。
『ピンポーン』
 チャイムを鳴らす。朝早く発つといっても、この時間ならまだいるだろう。
「ふぁ……い?」
 中から寝ぼけまなこの聡美がパジャマにパーカーを羽織った格好で出てきた。
「優人……! 何、こんな早く」
 相手がオレだとわかって、恥ずかしそうにパーカーの前を合わせる。
「ほれ。これ」
 オレは後手に隠していた花束を、聡美の目の前に突き出した。
「……え?」
 何が起こったのかわからないって顔で聡美がオレを見上げる。
「ホワイト・デー。花屋たたき起こした」
 オレは照れてしまって、あさっての方向を見ながらボソッと言った。聡美の顔がみるみるうちにくしゃくしゃになる。玄関のタイルの上にハタハタと涙がこぼれ、暖かなシミを作った。
「た……玉城さんは? 好きなんでしょう?」
「彼女の事好きだと思ってたけど……オマエが遠くに行っちまうって聞いたら、すっ飛んじまった」
 オレは花束を聡美に押し付けながら続けた。
「早く帰って来い。今度はオレが待っててやるから」
「うん……」
 くしゃくしゃの笑顔で聡美は何度もうなずいた。
「オマエ、顔きったねーの」
「うるさいな。優人のせいでしょ」
 友達と幼馴染と恋人をたして三で割った関係。そんな恋があってもいいかな、とオレは思った。